どのくらいの時間がたったかはわからない。わたしは膝を抱え伏せた顔をあげた。 いくらか意識を失っていたから眠っていたのかもしれない。一時間くらいかと思ったけれど、まだ時計は止まったままだから正確な時間はわからなかった。窓からは中天に近い太陽から日が降り注いでいる。先ほどと同じ青い空を見た途端、打ち落とされるギロロの情景が呼び起こされた。 眩暈が起きる。吐き気を伴った罪悪感が襲ったけれどやっぱり足は震えたままだった。
「お邪魔するよ」
また顔を伏せて小さくなってしまおうと思っていたとき、その声は文字通り降ってきた。反射的に顔をあげて、予想通りの人物と目があった。広くもない部屋の中央で、ガルルが浮いていた。 わたしはどんな顔をしたらいいかわからずに、「どうぞ」と小さな声で言った。まるで先ほどの戦闘など目撃していなかったように、取り繕った笑顔が引きつる。ガルルは飛行ユニットをつけていなかったけれど、宇宙人らしくふわりと舞い降りた。 けれどこれからどんな会話をすればいいかなんて考えられなかった。時間が止まっているのは十中八九、ガルルが関係している。そしてそれはわたしが首を突っ込んでいいほど、簡単な問題ではない。何よりギロロを助けに走らなかった時点で、わたしはこの問題に関して参加権を失っているように感じた。
「君は、逃げたな」
驚きに、目を見開いた。知られていた、見られていたと理解するよりも早く羞恥が湧き上がって顔が赤くなる。あの戦闘の最中に自分は彼に見つかっていたのだ。当たり前だ。こちらからも見えるということは、つまりあちらからも見えているということ。 とっさに言い訳をしたくなった。一般人が銃撃戦を行えるはずがない、なんて都合のいい言葉が浮かんできたけれど、口に出せば彼が顔をしかめる気がして言えなかった。 代わりに、ありがちだけれど「ごめんなさい」と消え入るように呟いた。 「いや」ガルルは、いつもどおりの落ち着いた声音で答える。
「君を責めているわけじゃない」
言い含める言葉は、徳の高いお坊さんのようだった。彼はたまに老成した知識や考えを垣間見せるときがある。 視線が、目の前にたつ彼をはずれてカーテンのすそに移動した。動揺しているためだとわかっていたけれど、むしろ彼をまっすぐに捉えることこそ罪のように感じた。 ガルルは視線をあわせないわたしをさほど気にした様子もなく今回の事件のあらましを説明してくれた。惑星麻酔やケロロ小隊との任務交代、けれどそれは叶わず帰還することを告げると、彼はいくらか優しい声で「なぜ、ギロロを助けにいかなかった?」と今度は問いかけた。
「……………どうし、て?」 「私の個人的な質問だ。嫌なら答えなくてもいい」
「私」とガルルは自分を敬称した。彼にとって今は任務の最中にあたることを確認する。切り替えのはっきりとした性格は、長く一緒にいてわかったことだ。 視線をカーテンのすそからベッドに移して、わたしは彼の質問の答えを考えた。部屋に戻ってからは思考を遮断し、考えることを拒否していたから脳が動き出すまで少しかかった。 あの場から逃げたのは、純粋に恐怖だけのせいではない。去来した不安やどうしようもない予感が、心を支配していた。進むことなど、選択肢にも入っていなかった。それはなぜ? 数分考え込んでも答えはでなかった。正直に「わからない」といえば、ガルルは気分を害した様子もなく頷く。
「では、質問を変える。………君は、ギロロが好きだったろう?」
言われた瞬間に、わたしの中で何かが固まって固定された気がした。もやもやとした掴みどころのない思いが急に冷えて固まって、形を成したように思われた。徐々に視線を戻して、彼の足元を見る。わざと問題に答えを与えなかったわたしは、さながら目隠ししながらかくれんぼの鬼を務めていたようなものだったのだろう。悩み苦しみながら、それが自分自身で与えている責め苦だということに気づこうともしなかった。 あぁ、この激情の名前を人は恋と呼ぶのか。 わかってしまえば、答えは次々に顔をのぞかせた。まるでつっかえていた棒をはずしたときのように、放たれた真実があるべき場所におさまっていく。
「うん…………好き、だった」
かみ締めるように言うと、今度は形を持った思いがすとんと心に染みた。 目を閉じて、深く深呼吸をする。落ち着くためではなく、安心したからだ。 ゆっくり目をあけると、ガルルがちゃんとそこにいる。
「いつから、気づいていたの?」 「初めからではないよ」 「そっか。…………宇宙に連れて行ってくれたときは?」 「わからなかった。そのすぐあとに、気づいた」
視線の意味と思いを。けれど自分も同じものを抱えていたことを、ガルルは言わなかった。
「ガルル。逃げたのはね、敵わないってわかっていたからだと思う」 「敵わない?」 「そう。夏美ちゃんには、絶対敵わないってわかっていたから」
そうだ。だから逃げ出した。これから彼を助けに行っても、彼が彼女のために戦う場面を見せ付けられるだけだと思った。選ばれなかった自分を見たくなかった。
「たった一人の王子様には、たった一人のお姫様。そう決まっているから」 「……それは君の決め付けではないのか」 「そうかも。でも、わたしには真実だった」
王子様に選ばれた人こそがお姫様になれると、信じていたから。横恋慕する女の子は物語の中で幸せになることはできない。二番煎じは通用しない。 ガルルは、首を傾けて困ったように笑った。表情が和らいで一瞬、軍人の仮面がはがれたように感じた。
「解答に感謝する。それと、嫌なものを見せて悪かった」 「ううん。………もう、帰るの?」
会話が清算されて、別れのときを知らせた。彼は話をまとめることが上手くて、いつもきちんと問題は片付いてしまう。 ゆっくりと頷くガルルに、わたしは少し先ほどとは違う不安を覚えた。
「次は、いつ会える?」
言葉にしてぶつけてみて、それが難しいことなのだと空気を通じて伝わった。彼の表情は崩れなかったし迷惑がってもいなかったけれど、わたしにはそうだとわかった。 だから彼が口を開くまで待つ。けれど待つ時間はあっさりと短かった。
「ゆびきりは、出来そうにないな」
それが最後だった。ガルルは来たときと同じ唐突さで消えた。 最後に一瞬だけ、彼が何か言いたそうに瞳をゆがめた気がしたけれどわからない。一人になった部屋で、わたしはまだ震える足を無理やり立たせた。それから窓にもたれかかって外をにらむ。同じ太陽が中天に近づいて、変わらない景色を見つめていた。 無事だった地球は、それを有難がる様子もなくただそこにある。
わたしは繋がれることのなかった小指をそっと握って、助けられなかった好きな人ではなく、去ってしまった友人のことを思った。
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