敗北宣言

 

 

 


なんてことはない日常は、またわたしの周りで穏やかに時を刻みだした。時間が止まった瞬間が、確かにあったことは理解できる。けれどもう恐怖を伴った実感はわかなかった。
ただ、またこうやって日向家に遊びに来ている自分がいて、それを迎えてくれる温かい人たちがいる。それだけで十分だった。破綻した悩みがひとつ解決したことでわたしの心はいくらか軽くなってもいたし、認めた痛みは簡単には片付くことはないとわかっていた。




「こんにちは、ギロロ」




縁側に出て、彼を探す。程なく見つかったギロロは、いつものように短い返事をしたあとに近寄ってきてくれた。
彼は撃たれたにしては軽症で、それが彼の兄の愛情にさえ思えた。




「どうした」
「夏美ちゃんに会いに来たの。でも、喧嘩がはじまっちゃって」




部屋からの物音や叫び声、それと高い怒声にギロロはため息をつく。それから中を見もせずに、縁側に座るわたしの隣に腰を下ろした。
用があるんならおかまいなくと言おうと思ったけれど、あんまり自然にそうするものだから断れなかった。彼はわたしが会った宇宙人の中で一番警戒心が強く意地っ張りで、頑固者のくせに粗忽なところがあるけれど、誰よりも優しく頼れる人だ。思い返して、自分がどれだけ彼に惹かれていたのか思い知った。反発することでごまかし続け、挙句の果てにひどい言葉までぶつけ続けたというのに、それはあんまりだ。いじめられ続けた女の子がいじめた男の子のことを好きにならないように、彼がわたしを好きになることはない。それよりも、彼にそんなことをし続けた自分の精神のほうが異常だったのかもしれない。




「ねぇ、ギロロ。ごめんね」




罪悪感で胸が苦しくなって、今言うしかないと思った。それはたぶん閃きで、考えた結果ではない。膝を木槌でたたくと足があがる反射のようなものだった。彼が隣にいてよく晴れていて、後ろでは下らないいつもの喧嘩が起きていて、それでわたしは悲しくなったから、謝った。例えばこれが聖堂の厳かな雰囲気で、牧師の前に立たされながらの懺悔であったならわたしはいつまでたってもその謝罪を口に出すことは出来なかったろう。
ギロロは首をかしげ、大きな瞳に疑問を映していた。




「何のことだ?」
「ううん、いいの。わからなくてもわたしは、嫌なことをいっぱいしたから」
「……………俺に、お前が?」
「そう、たくさん。だから、ごめんね」




謝って笑おうとして、上手く出来なかった。彼が理解を示してくれたり、許しを与えてくれるとは思わなかった。彼の性格上、わたしの罪を知っていてもなかったものとして振舞うだろうし、鈍感という特性も持ち合わせているから気づいていないこともあり得る。
ギロロはわたしの言葉をじっくりと聴いて、考える間もわたしの顔を見つめた。




「………とりあえず、お前の気は済んだんだな」
「うん」
「だったらいい」




勝手に謝られたギロロは、それでこの話題をおしまいにするつもりらしかった。彼の中でどんな結論を導き出したのかはわからないけれど、結果的にわたしは謝罪できた。自分の胸の取っ掛かりをなくす為に、彼に働きかけた。だからこれは我侭の結果だった。ガルルに会い、ギロロを好きになって、それを恋だと認めたくなくて、ひどくつらい思いをした。
ガルルが来てくれなければわたしは一生あそこで小さくうずくまっていたのかもしれない。考えてふと怖くなった。道を開こうともせずに目を開かなかった自分は愚かだ。




「………………会いたいなぁ」


気づけば、声に出していた。無性にガルルに会いたい。
いつもいつも手助けや助言をしてくれたのは彼だった。自分がひどく悩んでいる問題でも、彼に話していると解決しているということがままあった。上手く導く手を握っていると、その包容力に眠くなってしまう。眠ってもそこに彼がいると信じさせる強い安心感が彼にはあった。
けれどあの日以来、ガルルは会いに来てくれなくなった。約束をくれなかった彼らしい。その場しのぎの優しさを、誠実な彼は持ち合わせてはいないのだ。




「誰にだ?」
「え?」
「今、言っていたろう。会いたいと」


耳ざとく聞いていたギロロの問いに、答えるべきかどうか悩んだ。彼は自分の兄がたびたび地球に訪れていたことを知らないし、なにより自分の様子を見に来ていたなんて夢のまた夢だろう。だからわたしはあいまいに笑った。「とにかく、会いたいの」




「そうか。それじゃ、ソイツに会えるようになったら教えろ」
「どうして?」
「俺が見定めてやる……………お前が恋をするのに値するやつかどうかをな」




彼から信じられない単語が飛び出してきて目を丸くするわたしに、「約束したろう」とギロロが慌てて付け足した。あんな昔の約束を、何も知らなかった幼いわたしのたわ言を彼は覚えている。そして彼なりに、応援しようと思っている。見極めて失格だったらどうするんだろうと思う反面、それが自分の兄だとしたらどんな反応を示すか試したくもあった。
わたしは自然に顔が綻んで、ゆっくりと笑顔になる。




「わかった。そのときはお願いする」
「よし、約束だぞ」
「うん。ゆびきりする?」




差し出した小指に、彼が頷いて自分の小さな指を出す。絡ませた先から熱が伝わって、そういえばガルルともゆびきりをしたなと思い返した。最初の約束は叶えてくれたけれど、次の約束はどうだろう。もう、反古にしてしまっただろうか。
青い地球を思い出して、あの穏やかな時間がたまらなく懐かしくなった。今は会ってもらえなくても、いつか会いにきてくれるとわたしは信じている。




 

 

 

 

 

 

(07.08.27)