それ、が起こったのは日曜の昼下がりで、夏美は居間でテレビを、ギロロはテントの中で武器の調整をしていた。二人は同時に同じ感覚としか言いようのない、自分の体の制御がきかなくなるのを感じた。突然地面に穴が空いたような、無重力に投げ出されたような、一瞬の浮遊感が強烈に二人を包んだ。 「?! なにごとだ!」 浮遊感から逃れたギロロが見たのは先ほどまでの風景ではなかった。体勢を立て直し、手に武器を持った彼は宇宙船の操縦ルームにいた。わけがわからず驚いたが、緊張感だけは保ちつつ周りをざっと見渡す。そのときようやく隣に夏美がいるのを知った。 「夏美?!大丈夫か!」 「う、ん………ギロロ?」 「そうだ、怪我はないようだな」 夏美に怪我がないことを確認して、ギロロはひとまず安堵する。彼女と自分がどうしてこんな場所にいるのか皆目検討もつかなかった。けれど買った恨みも皆目検討がつかないほど多かったので、ギロロはやはり緊迫する。 「すまないな、二人とも」 余裕と言うよりは、無理をして落ち着かせているような声がして、その声に聞き覚えがあった二人は顔を見合わせる。操縦ルームの操舵部分に回り込めば、そこにはやはり見覚えのある蛙が一匹いた。紫の体色に金色の瞳を持つ、ギロロの兄だ。 「ガルル!」 「おう」 「おう、じゃない! いきなり何をするんだ!」 ギロロは身内の狼藉と知って、緊張感がぷっつりと切れてしまった。ガルルは相変わらず操縦かんを握り締めたまま、ギロロには一瞥もくれずに言う。 「悪いな。急いでいたから、呼び鈴を押す時間がなかった」 「呼び鈴の問題か?! いきなり時空転送などしおって!」 「だから、謝っているだろう。君も、乱暴なことをして悪かった」 ガルルは口先だけは謝りながらもどこか上の空だった。夏美はその様子に首をひねる。彼がこんなに取り乱しているように見えるのは初めてではないだろうか。 「何か、あったんですか?」 「………」 ガルルは黙り、少しだけ視線を彼らに向けた。金色の瞳は、いつもと同じ癖にまったく別人のような光を持っている。 「…………………の願いなんだ。俺には、これくらしかか叶えてやれないからな」 その声があまりにも悲痛に聞こえて、二人は口をつぐんだ。噤まざるを得なかった。がどうしたのだと聞くのが怖かった。二人は顔を見合わせ、ぐんぐんと星を抜ける宇宙船がどこに行くのかと思案する。多分、そこにはがいるはずだ。 * * * * * * * 「ナツミ! ギロロくん! 来てくれたのね!」 二人してあれほど心配したというのに、はあっけらかんと無駄に元気に腕を広げた。宇宙船は何度かのワープと見られる行為を繰り返し、ガルルの巧みな運転技術もあいまって程なくして小さな星に降り立った。ケロンとは違うとギロロが言っていたから、この星の名前はわからない。降り立った星の小さな病院のベッドで対面したは、けれど二人が予想したような状態ではなかった。 白い入院服を着てはいるけれど、屈託なく笑う姿はどう見ても健康そのものだ。むしろ、入院服が居たたまれなくなるほど元気そうだった。 「まったく……………突然二人を呼んでこいと言うからイロイロと法を無視してしまった」 「ごめんなさいね、ガルル」 「いいさ。俺に出来るのはこれくらいだ」 二人が仲睦まじく会話を始めるのをぼうっと聞いていた二人は、そのあまりにもほのぼのと甘い空気に気持ちを――この理不尽な好意に対する怒りを――爆発させる瞬間を見失ってしまった。ギロロはぽかんと口を開け、一体何なんだと体全体で表している。 「ふふふ、ごめんなさいね。二人とも。ガルルは何も説明しなかったでしょう?」 「そ、そうだ! 貴様らふざけるのも大概に…!」 「ガルルは悪くないの。わたしが頼んだのよ。わたしの口から二人に言いたかったから」 ギロロが食って掛かろうとした声はに遮られる。その声が落ち着いているから、ギロロはぐっと押し黙った。ベッドから半身を起こした状態のは、よく見ればとても疲れているようにも見えた。腕を上げはするけれど、持ち上げられないような。 は一呼吸ついてから、にっこりと微笑んだ。何か大切なものを噛み締めるような笑い方だった。 「………あのね、お祝いして欲しいの」 「おいわい?」 「そう、お祝い。誕生日のね。と言っても、その子の誕生日は今日が初めてなんだけれど」 が微笑み、二人はしばらくぽかんとしていた。何を言われたか始めわからず、ギロロなどはうっかり真面目に考え込んでしまったのだが、ここはやはり女性の直感とも言うべきか夏美が突然ひらめいたように声を上げた。 ああああああああ! その声の高さと喜びの詰まった感じに、はもっと微笑を濃くする。ギロロが不思議そうに夏見を見やり、彼女が驚喜する理由を問おうとするがガルルが視線でやれやれといいう目をするのでムカついたからやめた。代わりにを見る。彼女の服と(元気な人間が入院服を着なければいけない理由?)彼女の言動を(今日が誕生日のやつなど知らない。しかも一回目、だと)もう一度考えた。 そうしてふと、あまりにも拍子抜けするほどぽんと自分の中に答えが舞い込んでくる。 「さん! おめでとうございます!」 「ありがとう、ナツミ」 「本当に本当に………! おめでとうごさいます!」 夏美がに駆け寄ってその手をとった。うっすら涙ぐんですらいるように見える彼女は、心の底からそのことが嬉しいのだろう。しかし、ワンテンポ遅れたギロロはまったくタイミングを見失っていた。 「ガルル!!」 「なんだ」 「おまおま……! 父親になったのか?!」 上手く口が回らないギロロがようやくそれだけ言うと、手を取り合った二人がガルルと視線を配りあわせ、それからゆっくりと溶けるように笑った。 「あぁ、そうだ」 「そうだ、って……、親父たちは知ってるのか?!」 「そう喚くな。夏美に会いたいという願いを聞き入れるためにケロンじゃない星に病院を移したのは親父だ。まぁ今は、いい名前をつけると意気込んで本を買いに行ったからいないがな。すでに我々よりも溺愛しそうな勢いだ」 「………!!!」 口をぱくぱくさせるギロロ。もうそれしかすることが出来ないようだ。 はそんなギロロに笑って、こんなふうに喜んでくれる人がたくさん居て、とても幸せねと別室にいるわが子を思った。 「ギロロ君も祝ってね。あなたの甥は宇宙一幸せなんだって、わたし確信しているのよ」 のダメ押しに、ついにギロロは口を閉ざしてしまった。そして自分のことでもないのに沸騰せんばかりに真っ赤になった。真っ赤になった彼が夏美に促されて「おめでとう」と口にするまで、小さな病室には穏やかで柔らかな、とてつもなく幸せな空気が溢れかえっていた。 |
ハッピーバースディ!
(08.08.31)