その日はとてもつまらなかった。
学校が終わり、さぁこれからが一日の本番だと言うのにケロロの周りに友達はいない。ゼロロは具合が悪いから帰ってしまったし、ギロロはさっきまで遊んでいたのだけれど始終そわそわして落ち着きがなく、おかしいなと思っておいと声をかけたら、まるでそれが合図みたいに「オレ帰る!」と言い出した。
「なんだよー帰るって!」 「わるいケロロ!今日はにいちゃんが帰ってくるんだ!」
ぜんぜん悪いだなんて思っていないような満面の笑顔で、ギロロは放ってあった鞄を持ち直した。そうしてオレへの挨拶もそこそこに、スタコラサッサと帰ってしまう。その足取りがなんとも軽い。軽くて嬉しそうで幸せそうだから、なんだかちょっと頭にきた。
「へーんだ!いーもんね!オレ、一人でだって遊べるもんねー!!」
森の中、一人呟いた声を聞くものはいない。町からそう離れていないここは、子どもたちの格好の遊び場だった。ケロロやギロロやゼロロも例に漏れずよく出入りするお気に入りの場所で、もちろん子供にはお決まりの隠れ家だってあったりする。木の枝と葉っぱ、それに家から持ち出したダンボールなどで作ったお世辞にも綺麗なものじゃなかったが、そこはとても居心地がよかった。だから今日はそこで、時間を潰そうと考えたのだ。
「非常食にとってあるゼロロのおかし食っちまおーかなー。ギロロのまんがも読んでやろ。それからそれから―――――――――ん?」
ささやかな報復を考えながら歩いていると、ふと足に何か当たった。固くて冷たい感触。驚いて下を向けば、そこには鉄の塊が緑の中に埋もれていた。その、見たことのある様式からケロロの瞳が一瞬で輝く。
「うっわーうっわー!なにこれスッゲーじゃん!ほんもの?モノホン?うわーオレ、マシンガンなんてはじめて見たー!!」
持ち上げれば重たいそれは、モデルガンなんて可愛い代物じゃないことがすぐわかった。鉄の重みだ。だが、おかしい。光り輝く物体は、どこも錆び付いてはいなかった。けれど使い込まれている様子のそれに段々頭に上った血が冷めてくる。 これはいったいどこから来た?
「おい、ガキ」 「ゲロォ?!」 「驚くんじゃないよ。それと大きな声も出すんじゃない。ゆっくり、そうだねアンタに勇気があるんなら、こっちを向きな」
突然かけられた声に、驚いて体が固まった。固まったまま、それでも声に言われるまま、ケロロはゆっくりと後をむく。本当は見たくないけど、ほらだって大男とかお化けとか、スッゲー強そうな凶悪犯とかだったらどうすんだよコレー!マシンガンの扱い方なんてわかんねぇし! 振り向いて、下に向けていた視線を徐々に上にずらしていく。
「おやおや、飛んで逃げるかと思ったのに。案外、勇気があるんだね。ボウヤ」
視線の先、映った人影を確認して気が抜けた。なにしろ声の主は大男でもお化けでも凶悪犯らしくもなかったからだ。草に埋もれるようにしてこちらを見ているのは、ケロン体ではないけれど、手足の長いすらりとした女性だった。下から上まで防護服を着込んでいるのは異様だが、倒れこんでいる姿に威圧感はない。
「倒れてる女がそんなに珍しいかい?ボウヤ」 「ぼ、ぼうやじゃない!オレはケロロ!」 「ケロロ?可愛い名前だねぇ」
くつくつと女が笑った。その笑い方に背筋がひやりとする。こんな笑い方は知らない。自分の母親も学校の女子も、今まで会った女性でこんな笑い方をする人はいない。こんな、自分を笑うみたいな。
「ねぇ、ぼうや。物は頼みなんだけど、それ、返してくれない?」 「こ、これ?」 「そうそれ。あぁ、怖がらなくていいよ。別にそれでボウヤを撃ったりしないから」
ぴくりとも動かずに、女は言ってみせる。その言葉がどれだけ信用できるものなのかなんてわからなかったけど、なんだか返すのは怖かった。考えもせず抱えるようにしてマシンガンを抱きしめる。
「どうしたんだい、ボウヤ」 「だ、だめ!なんっかあやしーし!」 「ふうん、そうかい。じゃあ、ボウヤ、ボウヤがやっておくれ」 「や、やる………………?」 「そうそのマシンガンで、ずどんと一発わたしの眉間にさ」
歌うように彼女が言うから一瞬何を言われているのかわからなかった。言われてから理解してからも、それを自分がやることなんて考えられなくて、わからなくなる。マシンガンが嫌に重く感じた。
「な、なんだよソレっ」 「言ってる意味がわからないのかい?大丈夫だよ。安全装置ははずしてある。ボウヤはそれをわたしに向けて、その引き金をひくだけさ」 「ちがうっなんでオレがそんなこと………!」 「わたしに返さないと言ったからだろ。そうでなければ、銃を返しな。わたしはもう動けないんだ。喉は渇くし腹は減るし、生きている意味も理由もない。だからもうここで死んでしまおうと思って―――――――――」 「ゲロッ!水?水があればいーのね?!ちょーっと待ってて!」
言うなりケロロは走り出す。女も驚いて大きく目を開いた。いっきに静けさを取り戻した森に取り残されて(しかもマシンガンはきっちり持っていったようだ)なんだか変な気分だ。それなのにまた静けさと戦う暇もなく遠くから足音がこちらを目指して近づいてくる。
「お待ちどう!!新鮮な水〜!!」 「…………は?」 「なにって水デショ!ほらほらほら、ちょっと起き上がってよ」
先ほどとは打って変わって元気な声を出すケロロの手にはペットボトル。そこから零れ落ちる水滴が、彼を見上げた顔にかかった。冷たい感触に懐かしさを覚える。
「ほら〜、起き上がってってば!」 「あのねぇボウヤ。わたしはさっき、起き上がれないといっただろ?」 「あ、そーか。じゃあ、頭の後ろに手いれるから。あ、でも銃は遠くにおくからな!」
律儀にマシンガンを遠くにおいて、威嚇するようにケロロが叫ぶ。それにぐったりしながら「どうにでもしなよ」と投げやりに返す。瞳を閉じれば自分の頭にそうっと入れられる小さな腕を感じた。力が加わり頭を持ち上げられる。促すように口にペットボトルの端がつけられれば、我慢できずに水を飲んで飲んで飲んで―――――――――飲み干してしまった。
「うっわ、早っ」 「……………うるさいよ」 「いーじゃん!死ぬとかよりずっといーよ!あ、まだ飲む?」
にこにこして、ケロロはもう一度走っていく。別に欲しいなんて言っていないのに世話しない子だなと考えながら、放置されたマシンガンを見つけた。ここからじゃ届かない。仕方がないかと諦める。そうすれば、またあの足音。
「あー!なになに、寝るなよっ!」 「寝てないよ」 「嘘だー。ぜってー寝ようとしてたし。あ、そーだ。オレ聞きたいことあったんだ!」 「なに」
先ほどのように水を飲ませてもらって、息継ぎがてら口を離しながら上を見上げる。頭を支えたケロロの瞳を覗き込むと、あまりにもキラキラしたものとぶつかった。見ほれるように眩しいそれが、はっきりとわたしだけを見ている。
「名前!オレ、おねえさんの名前、知らねーもん」 「…………何を言うかと思えば」 「なんだよ!いーだろっ」 「そう噛み付くな。いいよ。教えてあげる。わたしの名前は………
だ」
教えてあげたらケロロは笑った。先ほどまで銃を抱えて怯えていたはずなのに笑うこの子は強いなと
は思う。
次の日から、ケロロは毎日のようにやってくるようになった。学校から帰り、家から水や食べ物を持ち出しては
に会いに来るようになる。それも
は多くは食べないから母親にはおやつだと言いワケをしておいた。ギロロやゼロロの分も持っていけばと言われ渡されるのは少しだけ罰が悪かったけれど、仕方がない。そうして食糧運びをする内に、
は上半身だけなら動かされるようにまでなっていた。
「
ー!!」 「おかえり。ボウヤ」 「ボウヤじゃないっつーの!ケロロ!」
今日も今日とて憎まれ口を叩きながら、ケロロは
の元に訪れていた。
は木に寄りかかりながら、そんなケロロに笑いかける。出来るだけ子どもにも発見されないところに移動したいと言われて、ケロロが手を貸して動いた場所だった。
「今日はねー、おかしにおにぎりにー、あと水じゃなくてお茶!!好きだって言ってたから特別に買ってもらったんだ!」 「あぁ、ありがとう。別に水でもよかったのに」 「いーんだよ!あ、それにそれに聞いてよー!なんかこのごろギロロやゼロロが付き合い悪いんだぜ!」 「あぁ、頭の固いギロロに病弱なゼロロ?」 「そうそ!なぁーんかさーギロロは妹みたいなのが出来たーとか言っちゃってるし、ゼロロはなんか風邪こじらせたらしーんだけど、見舞いに行ったら嬉しそうでさ。あれは絶対なんかあるね!」 「おやおや。ボウヤは仲間はずれで怒ってるのかい?」 「べっつにー。それにオレも
のこと言ってないからおあいこっしょ!」
けらけらとケロロが笑う。
も微笑んでいた。 二人が話すことと言えば、いつも同じだった。今日学校では何があって、誰がおかしくて、どんな教師にむかついたか。ケロロの父親は有名な鬼軍曹で、自分もそういう風になりたいのだとか。かといえば辛いことも苦しいことも嫌いなのだとふざけるケロロに
は始終困り顔をしながらも相槌を打った。それがどんなに下らなくとも必ず感想を述べて、ケロロはそれに憤慨したり反論したりする。それが楽しかった。楽しくて楽しくて、
の過去や事情を聞き忘れるくらい、幸せだった。
「ボウヤ」
それは出会って七日目のことだった。もう暗くなるからと帰りかけたとき、ふと呼び止められる。振り返れば、
は真剣な顔をしていた。
「もうここには来ないほうがいい。いや、来るな」 「は?いきなりなに?!」 「いきなりじゃないよ。ずっと考えてた。………それがたまたま今日だったというだけさ」 「ますますわっかんねーし!なにそれ、じゃあ明日から食べ物とかどーすんの!」 「自分でどうにかできるものはする。だから、あんたはもう心配しなくていいんだよ」 「し、しんぱいとかじゃ…………」 「いいんだ。わかってる。あんたは優しい子だよ。だから、立派な軍曹におなり」
そのときの微笑みはあまりにも悲しそうだった。まるで今生の別れみたいに告げる
は、もう決心を固めてしまっているようだった。嫌だとか何でとか聞きたいことは山ほどあるのに声が出てこない。そういえば、ケロロは
がなぜここにいるのかさえ知らないのだ。
「だから、ボウヤ。すぐにここから―――――――――」 「やぁっと見つけたぜ!
!!」
気色の悪いダミ声がした。その声を聞いたとたんに
の表情が変わる。眉を寄せて、何かを悔いているような顔。振り返ろうとすれば、制された。
「おーっと、ガキも動くなよ。オレは裏切り者の
を殺しに来ただけで、お前のことは知ったこっちゃない。もしかしたら無傷で解放してやるかもしれねーぞ」 「……………見え透いた嘘をつくんじゃないよ」 「おやおや、元気じゃねーか、
。瀕死で逃げたのになぁ。でもお前のせいで組織は壊滅しちまった。ケロンのエリートに潰されたんだ。知ってるかぁ?」 「………………」 「お前がガキ共に同情しなければ、こんなことにはならなかった!」
後の男(だと思われる)が、怒鳴るように叫んだ。ケロロの肩がびくりと震える。どうしてこうなったのかはわからないが、とにかく背後の男は敵だ。後からひどく嫌な気配が伝わる。(殺気、かどうかはわからない)
は男を見据えていた。しかし、それとは反対に彼女の左手がくいくいと動かしている。ケロロは驚いてそれをマジマジと見た。必死で下を指す彼女の指が告げることは。
「わたしのことは殺してもいいが、この子だけは助けてくれないか」 「はーっはっは!またお優しいことで!だが無理だな。オレの存在を知られたんだ。こいつも生かしちゃおけねーよ」 「そうか………………ケロロ?」
そのときが初めてだった。ケロロ、と名前を呼ばれたのは。そうして目があった瞬間に、彼女が何をしようとしてるか、理解した。あぁ、そうか指の意味は。
「ふせな!ケロロ!!!」 「ちぃっ!くたばりぞこないが!!」
急いで身をかがめればすぐに発砲音がすさまじく鳴り響いた。続けて何発も、
の取り出したマシンガンが火を噴く。でも、ケロロには何も考えられなかった。怖くて怖くてしょうがなくて、自分が生きていると思えなかった。頭のどこかが違う次元に飛ばされたみたいだ。ようやく声をかけられたときにはもう目を開けるだけでクラクラした。
「おい、起きな。ボウヤ」 「……………う、うん?」 「大丈夫。アイツは倒したよ。だから、ほら、立ちな」
じゃあ、
が勝ったのか―――――――――。そう思って顔を上げたケロロが見たのは、数分前のの
ではなかった。胸の辺りに血を散らせた、明らかに致命傷だと思われる傷を負った姿。
「
?!」 「…………これくらいで騒ぐんじゃないよ。あいつは倒したって言ったろ。少しは褒めたらどうだい」 「う…………」 「それとも何かい。勝手に銃を持っていたことに驚いた?お前がいない間に返してもらったんだよ。気付かなかったろ」 「ち、ちが…………そ、れ」 「あぁ、これ。ちょっと待ちな。触るんじゃないよ」 「うあ。ごめん。でも、血、止めなきゃ」 「もう止まらないさ。どうせ死ぬ運命だったんだ。あんたを守れて嬉しいよ」
胸から出血が止まらないというのに、
は笑う。それは初めに会ったときのような自嘲的な笑い方ではなく穏やかなものだったけれど、ケロロは涙が浮かぶのを止められなかった。泣いたってどうにもならないのに。
「泣くな。男だろ」 「泣いてっなんかっ」 「そうだ。それでいいよ。それに、わたしはあんたに泣いてもらえる資格なんてないんだよ」 「………………?」 「さっきの男が言ってたろ。…………わたしはね、子どもを攫ってきては売るような仕事をしてたんだ」 「!!」 「色んな子がいたよ。ちっちゃい子も大きい子も、オーダーがあれば作ったりもしてたみたいだ。………………生きるためには仕方なかったけれど、辛かったねぇ」 「
……………い、いよ。話さなくてっ」
普通に話しているような
の胸の穴から、どんどん血が流れ出す。
「いいんだ。あんたには知ってもらわなきゃ」 「…………」 「組織に反抗したんだよ。何人かと結託して………でも、ケロン軍が入ってきて決着はついたみたいだね…………」 「……………」 「わたしの罪が消えるわけではないけど、よかったよ。生き延びたおかげであんたにも会えたんだ。…………初めは、子どもに助けられるなんて、神様の皮肉としかいいようがなかったが……………」
力なく
の腕が上がる。その白すぎる指先がケロロの頬を撫でた。あまりにも冷たい手だった。
「嬉しかったよ。ありがとう」 「……………
!」 「さぁ、話はお終いだ。早くおゆき。じき、ここには人が来る」 「?」 「何を呆けてるんだい。馬鹿だねぇ。立派な軍曹になりたいんだろ?」
頷くケロロに
は今度こそ優しく微笑んだ。曇りも迷いも憂いもない、綺麗な笑顔だった。
「だったら、走りな。誰にも見つかっちゃいけないよ。わたしと会っていたことを誰にも悟られるな」 「…………な、んで?」 「立派な軍人になるためには、少しの汚れもあっちゃいけないんだよ。犯罪者に関わっていいことなんて、ない。だから、あんたはわたしのためにも立派な軍人におなり。義理をたてようなんて思っちゃいけない。そんなことをしたらわたしが浮かばれないね」
の言葉が終わるより早く、人の声と複数の足音がした。森の入り口からしたそれに、「ほら」と
はケロロを促す。
「早く、おゆき。抜け道くらいあるんだろう」 「う、うん。でも、
は」 「聞き分けのない子だね。さっきはすんなり言うことを聞いたのに……じゃあ約束しよう」 「やくそく?」 「そう約束だ。あんたは立派な軍人になってあたしの墓参りにくる。―――――――――もちろん素敵な仲間たちとね。……………わかったかい?」
が、息を詰まらせた。もうケロロは頷くことしか出来なくて、何度も頷いてリュックを背負った。人の声が近づく。頭の中は混乱しっぱなしだ。
「やくそく……………する!」 「いい子だ。よしじゃあ行きな、ケロロ!!」
かけ声に背中を押されるようにして、ケロロは踵を返して走り出した。がむしゃらに足を突き出し、大地を蹴った。それだけに集中して、もう振り向こうとしなかった。誰かの声が後ろでしたけれど止まらなかった。もし振り向けば、
が見えないんじゃないかと思うと怖かった。石に躓き、小枝にひっかかっても、すぐ立ち上がって走り出す。出口に向かっているのだと無意識に思うだけで、方向なんて頭では考えていなかった。
ようやく森を抜ける。それでもケロロは走り続けた。知っているおばさんに話しかけられても、家に着き母にどうしたのと言われても、止まらなかった。ただ、自分の部屋について鍵をして、へたり込むように座ってからようやく深く息をした。それから、もう自分が自分でなくなるくらい泣いた。ただ彼女が残した言葉たちを思って泣いた。
“立派な軍曹におなり”
“義理を立てようなんて思っちゃいけない”
“約束”
あの約束は、今も胸にある。
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