「ギロロじゃないか。久しぶりだな」
嘘を吐きたくなる元凶が、腕を軽く上げて俺にあいさつをした。
「ガルル」
「好調のようだな。任務はもう完了したのだろう?」
今、自分の兄が目の前にいるという出来事がひどく不快で仕方ない。
それは別段兄を嫌悪しているわけではなく、自分の機嫌が悪いわけでもないのだが、今は非常に会いたくなかった。下手を打たない兄のことだ。会話だって頭の中で様々なパターンを作り出し構成させているに違いない。そうなればこちらに勝ち目はない。ただ尋ねられたことを正直に話す。どんな自白剤よりも強力な効果なんて、あんまりだ。
「あぁ………たった今、帰還したところだ」
「噂は色々聞いている。なかなか優秀な突撃兵だというじゃないか」
ほら来た!
だから会いたくなかったのだ、と言う言葉が喉元まで出掛かってけれど時間をかけてゆっくり飲み込んだ。耳の早い兄のことだから知っているとは思っていた。実際、同期のやつらには散々遊ばれたネタだ。突撃兵が女。最前線を女性に任せる小隊など、そうあるものではない。ヤジや親しみを込めた同情の言葉ならなんとか耐えられる。だが、それ以上の明らかに好奇や侮蔑や嘲笑の言葉にはどうにも我慢できなかった。(もちろん我慢などしなかった)
「優秀、というほどものじゃない」
「ほう?だが、実際成績は大したものだ」
そんなこと、言われなくても知っている。
なんとか
を戦場に出さなくてもよくなるように、ネット関係に疎い俺がどれだけコンピュータに向かったと思うんだ。しかし
の成績は賞賛の範囲を決して越えはしない。経歴こそ不明となっていて怪しいが、それ以外はまったくのパーフェクト。もちろん突撃兵として、ではあるが。(そこがまた問題なのだ)
「買いかぶりすぎるな。ただでさえ五月蝿いのに、また増長する」
「そう機嫌を悪くするな。そんなに
に関して触れられるのが嫌か?」
「…………」
「ん?」
「…………わかっているなら、話題に出すな」
もうどうでもいいと言うように、視線をずらしてため息をついた。
これだから疲れるのだ。こちらが困ると知っていて話題を振り様子を伺うような切れ者を相手にすると。(小隊に一人いるから余計にそう感じる)普段は銃の手入れと細かい部品の整理、訓練にしか頭を働かさないのだから頭脳労働などさせないで欲しい。使っていない脳の部分が痛くなる、というのはきっと錯覚じゃない。
「いや、お前と大喧嘩しているのをたまたま見かけたんだ」
「たまたま………?一体どこでだ」
「たまたまと言ったら、たまたまだ」
悪びれもなくガルルは胸を張った。きっと軍のコンピュータから情報を盗み出し(もちろん違法に!)禁じられているファイルを開いてもこの男はそういうに決まっている。階級が違う、前線に出ることもない中尉殿がたまたま伍長と新兵の喧嘩を見ることなんてあるのか。しかもたまたま、だ!(クルルやケロロなら居直るだろう。そちらもムカツクことに変わりはないが)
「
新兵のどこが気に入らないんだ?お前は女性だからと差別はせんだろう」
「…………なまいきだからだ」
「嘘は吐くのはやめた方がいいな。というか、顔が引きつっているぞ」
もちろん嘘だった。嘘を吐くのが苦手なのはわかっているが、こうもはっきり言われるとむしろ清々しい。そしてこの兄も、自分を棚に上げて堂々と嘘を吐くなという。これもいっそ清々しい。気分はよくないが、馬鹿にされるよりはよっぽど楽だった。
俺たち意外は出払ってしまっているような廊下に一瞬沈黙が降りた。教師が生徒に真実を語らせようとするような間が姿を見せる。あぁ、だから会いたくなかったというのに。(もうこの台詞は何度目だ?)
「別に、差別しているわけじゃない。ただ前線というのがな」
「前線が?戦場など、どこに居ても危険に変わりはないだろう」
「それはそうだが、やはり違うだろう。あいつは馬鹿みたいに突っ込んで行くんだ。ドロロがわざわざガードの薄い場所を教えてやるのは、それ以上突っ込ませないためだ。俺の射撃で充分通じるからだ。なのにあの女はわざわざ深入りして殴り倒して蹴散らして、こっちの負担を軽くしようとする。馬鹿みたいに自分以外のことを考える。そこが、気に食わないだけだ」
言ってしまってから、すっきりした。そうだ。原因は
なのだ。素手一本しか武器がないというのに(これは語弊だ。あいつは足癖も悪い)ダカダカ乗り込みこちらの心配もよそに殴りかかる。それがどんなに俺たちの心臓を縮めているかなんて知らないのだろう。だからこそ、戦場で言い争いになる。
「ふむ。つまりは心配で仕方がない、と」
「誰もそこまで言ってないだろ」
「女性だからな。お前のことだ。
の顔に傷なんぞ出来た日には自分のミスだと思い込んで、求婚しかねん」
「そ、んなこと」
「しない、とは断言できんだろう」
やれやれとガルルが肩をすくめた。俺はやっぱり罰が悪くなってきて、視線をさまよわせる。
との任務は数えて三つはこなしたか。そのどれもが奇跡のように完了して、彼女の顔には傷一つない。腕や足の打撲や切り傷は仕方がないとしても、本人はあっけらかんとしているから強くも言えない。(相手の服で血を拭うな、とは言うが)
だが彼女の傷が増えるのも減るのも肩を並べる俺にかかっているのも事実だ。その事実がある以上、たぶんアイツが大怪我をしたら俺は自分の感情なぞお構いなしに衝動的に口走るのだろう。(それを思いっきり嫌な顔で返されるのを、わかっていながら)
「ほら、噂をすればなんとやら、だ。
だぞ」
言われて、振り返る。そうすればガラスの向こうで、隊長室から出てくる
が写る。ひどく嬉しそうに腕を抱えて、戦場で見せるような眼光など嘘のように幸福そうな顔していた。そうだ。そんな顔も出来るんだろう。そちらのほうが何倍もいいじゃないか。
すると、俺の(心の)声が聞こえたわけでもないのに
の足が止まった。そうしておもむろに俺のほうに顔を向ける。そうして見つけた、とでも言うような顔になった。俺はどんな顔をしていいかわからずにとりあえず口を真一文字に結んだ。声は届かないだろうし、ここで喧嘩を繰り広げるなんて真っ平ごめんだ。しかし
のほうはそれを良しとしなかった。俺が怒っているとでも思ったのか、思い切り「あっかんべー」と舌を出してきたのだ。あまりのことに固まる俺。走り去る
。(アイツは逃げ足も速い)
の姿が見えなくなってから、突然俺の肩に手が置かれた。同時に、押し殺したような笑い声。
「お、おもしろいお嬢さんだな」
「五月蝿い。笑いたきゃ笑え」
「いや、非常に面白い。しかも私がいたことにはまったく気付かなかったようだ」
言われてから、ハタと理解した。
「あんの馬鹿!自分の上官になんてことを!!」
「いや、いいよ。それだけお前しか見えていなかったってことだ。可愛いお嬢さんじゃないか」
なぁ?
俺は今度こそ罰が悪くなって、返事をしなかった。
否定したところで、嘘だということはすぐにバレるのだから意味がない。
(言われなくても、そんなことはとうの昔に知っている)
(06.11.16)