The torn letter

 

does not return.

 

 






「あぁ、お目覚めかな。突撃兵のお嬢さん」



目が覚めたら、そこは知らない部屋だった。薄汚いタイルのはがれた部屋は窓という窓が全て割れていた。吸った空気がひどく埃っぽい。目の奥がうっすらと霞む。声の先に視線を向ければ、やはり知らないやつが偉そうに立っている。なんて悪夢だ。わたしは捕まっていた。





 

 

 

 



四つ目の任務が言い渡されたのは、昨日の正午のことだった。先日の傷は癒えたばかりでいただいた休暇も使えなかったのに、またどこかの馬鹿が戦争の火種でも撒いたらしい。せっかく買い物に行こうと準備していたのにあんまりだ。他にもやりたいことがたくさんあったのに、とソファの上で愚痴りながらわたしは特製グローブに手をかけた。

戦場でのわたしはいつもどおりだった。クルル曹長が敵を割り出し所在地を突き止め、ゼロロ兵長が人員の配備を調べ上げる。ギロロ伍長は自慢の武器の弾薬を補充し、わたしの後方で備えていてくれる。いつもどおり。ケロロさんの声が「作戦実行」を告げ、わたしは腕を振り上げ地を蹴った。そうだ。そうして今日も戦闘は勝利を掲げるはずだった。ギロロ伍長と喧嘩をするかもしれないけれど、そんなものも全部いつもどおりだ。



「そこまでだケロロ小隊!この人質がどうなってもいいのか!」



敵を殴り倒そうとしたわたしの腕が止まる。叫んだ男の腕の中には小さな女の子がいた。目にいっぱいの涙を溜めている。わたしの動きが一瞬とまり、待っていたかのように敵が周りを取り囲んだ。ギロロ伍長の焦った声がする。なにを言っているかはわからない。考えているうちに後頭部に鈍い痛みが走った。あぁ馬鹿だなと、わたしは眠りに落ちる瞬間考えていた。









そうして目が覚めたわたしは、知らない男の前で椅子に座らせられている。埃っぽい部屋にむせ返って、腕が自由にならないことを知った。足は動くが、それでもあの男を蹴り飛ばすには距離がある。舌打ちしたくなった。(ケロロさんに止められているから、しないけれど)



「さて、君も起きだしたことだし…………さっさと隊長さんにお願いしてもらおうか」



わたしと距離を取りながら、男が笑った。どう見ても廃墟ビルの、薄汚い部屋の中でその男は上等なソファにどっかりと座る。あまりにも似つかわしくない。



「あんた…………誰よ」
「オレはご覧の通り敵さ。しかも大将ってやつ。あんたを攫った張本人だ」



男の首元、悪趣味な金のネックレスがちらちらと光った。まだ目眩がする頭を一度振って、状況をまとめる。そうだ。女の子が人質にされていて、わたしは捕まった。連れ去られたということは、今度の取引材料はわたしなのだろう。



「…………目的は」
「話が早いねぇ。大助かりだ。じゃあ早速、あんたの隊長に作戦停止命令を出させな」



男が高々と足を組んだ。ようやく周囲を見渡すと、壁一面に巨大スクリーンが設置されていることがわかった。その画面いっぱいに自分が写っている。椅子に座らせられ、腕を後ろ手に縛られ、顔がやや煤けていた。腕と足が少し痛むが、血は出ていなかった。



「回線は繋いである。あんたんとこのオペレーターは無駄に優秀だ。この情報も察知済みだろ。あんたはそこで、自分の命乞いと作戦停止の命令を出させりゃいい」
「…………」
「おおっと。オレの声も入っちまってるか。まぁいい。…………恨むんだったら、自分の小隊を恨むんだな。二つ名を持つ起動歩兵にアサシンのトップ、電脳スペシャリストなんて狂ったやつらを野放しにしてたら悪事もしにくくなるんでねぇ…………」
「…………」
「あんたの命と引き換えに、アイツラには少々黙ってもらおうってこった」



男はよく喋る。馬鹿みたいにぺラペラと、脳みそを通しているのかと聞きたくなるほど軽快に話してくれるので状況はよく理解できた。
わたしは結局みんなの足を引っ張っている。
この放送はきっと本当にケロロさんたちの元に届いているのだろう。クルル曹長のことだから抜かりはない。そうしてみんなわたしを見ている。馬鹿みたいに捕まって、醜態を晒し、女であることを利用されてこうやって取引材料にされたわたしを、罵倒することも嫌悪することもなく心配して見ているに違いない。そんな人たちだ。
ギロロ伍長は直線的で融通が聞かないけれどそれだけ実直で優しいから誰が言うのも聞かずに飛び出すかもしれない。ゼロロ兵長は冷静だけれど無茶をするところがあるし決めたことはやってしまう人だから一人で侵入してしまうかもしれない。クルル曹長は負けず嫌いだから、もう何かしらの作戦を打っているに違いない。そしてケロロさんは。



「あんたの隊長は甘ちゃんで有名だからなぁ。あんたが泣いて頼めば撤退するはずだ」



ケロロさんはきっと誰よりも心配している。


男の言葉にわたしの中の、何かが音をたてて壊れ落ちた。自由になる足を思い切り、地面に叩きつける。重低音と共に、床が円形にへこみ埃が舞った。男が驚いたようにこちらを向いている。その男を射殺せそうなほど睨みつける。



「取り消せ」



メキメキメキと平定を崩されたビルが揺れた。その騒音の中でわたしの声は、何よりもはっきりと響いて届く。



「は…………?」
「今言ったことを、取り消せと言ったんだ。このクソ野郎」
「くっ?」
「黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。…………わたしが頼めば撤退してくれるだぁ?寝言は寝ていえ。んなことで撤退なんかするかボケ。隊長たちは、自分の仕事を忘れたりなんかしない」



何よりも隊長が、自分の仕事を忘れてわたしを助けることなんてない。ケロロさんは甘いけれど、でもやれないことはしない人だから。正しいことを間違って、わたしを助けにくるなんて暴挙に出るはずがない。
…………ううん。違う。わたしは来て欲しくないんだ。こんな姿、見て欲しくない。



「アンタなんかの思い通りになんてなるわけないだろっ!!!」



出せる限りの声で叫んだ。
次の瞬間、わたしの背後で聞いたこともない爆音が響く。その音が続いて目を思い切りつぶる。引き裂くような、大きなものがぶつかる音が連続して、ビルが左右に振れた。爆音が止んで恐る恐る目を開くと、そこには見覚えのある小さなポッドが出現していた。窓と壁をぶちやぶり止まったと見られるそれの、上に立つ人がいる。



「げほっ!げほっ!…………ここ、ちゃんと掃除してんのー?すっげ、埃っぽいんだけど」
「…………」
「まったく…………せっかく隊長みずから出向いてやったっつーのに、と、 見っけ」
「…………」
「聞いてたでありますよ〜。女の子がそんな言葉使っちゃ駄目だって、言ったでしょー」
「…………ケ、ロロさん」



ポッドの上に立っているのは、ケロロさんだった。当たり前のようにそこに立ち、笑顔でわたしに手を振っている。まるでここが廃墟なのも敵の懐だというのも全て関係ないというように、明るく笑うケロロさんに一瞬頭が真っ白になった。



「てめぇ、何しやがる!」
「ゼロロ兵長」



ようやく事態が飲み込めた男が武器を構える。それにケロロは静かな声で応じた。一瞬目の前を風が横切る。知っている風に瞬きをすれば、男の喉には刀がつきつけられていた。



「動かないほうがいい。僕、怒ってるんだ…………うっかり刺しちゃうかもしれない」
「ゼロロ兵長!」



青いアサシンが、いつのまにか男の命を握っていた。わたしが呼ぶと一瞬微笑んでくれる。



「ゼロロ、おつかれ。んじゃ、そいつは縛って転がしといて〜。ギロロ伍長のほうはどうでありますか?」



耳元のイヤホンに向かってケロロが聞くと、ポッドがあけた穴から赤い機体が顔を覗かせた。ギロロ伍長が専用機から顔を出す。



「こちらの制圧は済んだ。あとはその男だけだ」
「およっ。さすがはギロロでありますな。んじゃ、クルル曹長ー?」



相変わらず低い声でギロロが応じるのを聞きながらケロロは笑ってポッドの上からひらりと降りた。そのままわたしのところに歩き出す。ヴォンと電子特有の音がすれば、巨大画面にクルル曹長が映し出された。



『クーックックッ。呼んだかい、隊長』
「我輩たちの仕事は終わったであります。そっちの状況はどうよ」
『ククッ。愚問だねぇ。そいつらの仲間の情報は送ってやったから上のやつらが動いてるんじゃネェの?ボスがそれじゃあ期待はできねぇが、グループだけはやたらでかいからもうオレらの仕事はねぇぜぇ』
「そうでありますか。それじゃ帰るから、母艦ごと持ってきてほしいであります。ポッドは突っ込んだとき壊れちゃったしぃ」
『…………人使いの荒い隊長だぜ』



一方的に通信が切れて、クルル曹長が消える。ケロロさんがわたしの近くに来る。わたしは出来るだけ下を向いて、目をあわさないように必死で体を小さくした。ケロロさんは構わずわたしに近寄って縄をほどく。そうしてゆっくりとわたしの前に立った。ケロロさんの足だけが、わたしの視界に写る。



新兵。顔を上げるであります」
「…………」
「まったく…………ほら」



強情に顔をあげないわたしの顔を、ケロロさんは両手で持って無理やり上げさせた。その少し乱暴な手つきに怯えて、わたしは視線だけは合わせないように瞳を伏せた。



「傷は…………ないでありますな。うん。よかった」
「…………」
「外傷は〜、打ち身くらい?これなら救急ポッドは必要ないでありますね」
「…………怒らないんですか?」



心配だけをするケロロさんに、わたしはとうとう痺れを切らしてそう言った。わたしは叱咤されなければいけない。敵の手に落ち、状況を不利にし、隊長を前線にまで出してしまった。それはわたしのミスだ。一瞬の状況判断を誤った、わたしの迷いが招いた最悪の結果だ。それを叱ってもらわなきゃ、駄目だ。



…………こっち向いて」
「はい…………」



言われて視線を徐々に上げれば、両頬を持ったケロロさんの手に力が込められた。顔が不恰好に歪む。



「前に教えたでしょー。もう忘れたんでありますか?」
「いひゃいっ」
「“ありがとう”と“ごめんなさい”は基本だって、我輩たっぷり二時間はかけて語ったつもりでありますが」



歪んだわたしの顔が面白いのか、ケロロさんがにっこりと笑った。あぁ、この笑顔は知っている。わたしを助けてくれたあのときの笑顔だ。自分もぼろぼろで立てなくて、足が折れているわたしに支えられて帰った部屋で説教してくれたときもこの笑顔だった。知っている。わたしはあのときからあなたの手伝いをしたかった。 足手まといではなく、あなたの望むような姿で役に立ちたかった。だから、今のわたしを見て欲しくなかった。



「ご、ごめんなさ、い」
「…………」
「わ、たし、つかまって、迷惑、かけてっ」



歪んだ両目から、後から後から涙が溢れた。泣いたのが久しぶりすぎて呼吸の仕方がわからない。ひゅっと喉が鳴って、わたしはもう声に出してわんわん泣いた。助け出されたことに感謝したいしケロロさんがまだそこにいることが嬉しくて、わたしはただ泣き続けた。
泣きじゃくるわたしをケロロさんの腕がゆっくりと覆って、力が込められる。



「まったく…………生きた心地がしなかったでありますよ」



ケロロさんの手が、少しだけ震えた。


ありがとうと言った声はたぶん彼にさえ聞こえないほど小さな声だったろう。





 

 

 

 


(06.11.16)