あるとき同僚に、お前は考え方が固すぎると言われたことがあった。
ある宴の席のときのことだったように思う。酔っ払ったその男はわたしにそう言葉をぶつけたあと、そう思わないか自分でと問うた。たぶん私は物事を効率的かつ能動的に作動させるための最善の手段を考えているだけだ、と答えたように思う。今思っても面白みのない答えだ。酒の席なら尚更に私の答えは不似合いだっただろう。その男も不満顔で、わたしに自由の偉大さと寛大さを説き始めた。そしてそれが私たちの進む血の道でどれほどの効果を発揮してくれるのかを雄弁に語ってみせた。彼の言うことを要約すれば、決められたことをコンピュータのようにこなし結果だけを求められる軍人には責務と同時に遊び心がなければ自己を保てない、それゆえに自由は大切だ、ということだったのだろう。生来、酒に酔わない性質だった私は彼の意見をよく覚えている。それから何年も経ったが私の性格はたぶん彼の望んだようにはならなかった。
ただ、私は国家の狗になるには少々姑息だったとは思う。
「ガルル中尉、いらっしゃいますか」
控えめなノックの音が、私専用にあてがわれた執務室に響いた。その声の主を察し、私は口角を上げる。開いている、と返事をした声は誰が聞いても平静のものだっただろうが。
「失礼します。看護兵、入ります」
扉から現れた女性は、わたしに頭を下げ、視線を上げた。その手にはファイルと救急箱よりも大きなバックを持っている。
「両手がふさがっていますので、敬礼はご容赦ください」
「あぁ」
「健康診断をさせていただきにきました。…………執務中のようでしたら、出直しますが」
こちらの答えよりも早く踵を返そうとする彼女を私は急いで止める。たった今報告書を書き終わったばかりだと告げると彼女は納得のいかないような顔をしながらも、そうですか、とこちらに向き直った。彼女とは顔見知りだった。だが、これほど無表情な女性ではない。淡々と実務だけをこなす様は優秀そうにも見えるが、どこか怒っているようにも見えた。
実際、彼女は怒っているのだろう。
「では、始めましょう」
「看護兵」
「さぁ、こちらに来て座ってください。採血すれば終わりですから」
「看護兵。…………何を怒っているんだ」
「言っている意味がわかりません。ガルル中尉」
「怒っているだろう。そんな顔をして」
「申し訳ありません。この顔は生まれつきなんです」
言うなり彼女は眉間に皺を寄せ、まるで喧嘩でも売るような顔になる。私は笑いたいのを我慢して、落ち着いてくれ、と言った。彼女の表情はすぐにわかる。基本的に根が素直なのだ。
「私の小隊が地球侵略任務の代行に赴いたのが、そんなに気に食わなかったのか?」
「…………」
「ん?」
「…………気に食わない、わけではありません」
今度こそ、私は口角が上がった。笑い声を上げなかったのは奇跡だったろう。彼女は、比べるのならば私の弟よりも率直で嘘がない。こちらの質問の意図も深い意味も自分で解釈するが使う術を知らない。戦いの最前線で生きるもの全てがそうではないが、出来るなら二人とも特別天然記念物に指定したいと私は思う。
「ただ、羨ましかっただけです」
それから呟かれた言葉に、私の笑みは引いた。元から微かであったが、完全に消えうせた。
普段は忘れているが、彼女の思い人はこのケロン星にはいない。地球侵攻軍の特殊先行工作部隊の隊長として遥か遠くの惑星の空の下にいる。そこに行った私に彼女が羨む感情を持つのは当たり前だった。は看護兵となってから、激務のために休みもほとんどなく働き詰めで地球に行くことなど叶わない。
「元気でしたか?」
誰が、とは特定しなかった。
「元気だった。でなければ、私たちが撃退されるわけがない」
「そうですね。でも、ガルル中尉が戻ったって聞いたときは驚きました」
「上層部もだ。何がそんなに疑問かわからないがね。私たちよりもケロロ小隊の方が優秀だった。結論はシンプルだ」
「それが驚きなんですよ。でもそっか。元気なんだ。よかった」
ようやく、彼女の顔に笑みが見えた。私は、自分だって彼女と会うのは久しぶりなのだがと面白くないことを考えながらも、彼女の関心が向きそうな事柄を話題に出すことに専念した。ギロロは相変わらず武器の選び方が下手だったことやゼロロ兵長はドロロと名前を変えていたこと、そしてクルル曹長の嫌味なやり口や彼女と入れ替わりに入隊したタママ二等兵について語った。私の調子の変わらない語り口にも彼女は退屈するわけでもなく、すっかり機嫌も直ったようで合いの手や首を振りながら熱心に聞き入ってくれる。特にタママ二等兵の覚醒には目を見開き、凄いですね、と嬉しそうな響きで答えた。実際、彼女もあの事件がなければ地球侵略に同行するかもしれなかったのだ。今までで一番長い逗留に、上層部よりも不安や焦燥を募らせているのは彼女のはずだった。
「ギロロ伍長の傍にいたっていう、地球側の少女なんですけど」
「コードネーム723か?あちらの言葉では『夏美』と書くらしい」
「映像を見せていただいたんですけど、ギロロ伍長も隅におけないと思いませんか?」
暗に含ませながら、彼女は笑った。私はとぼけたように、さぁと返事をする。私は立場上明確なことは言えないし、また彼女も本部で危ない綱を渡るつもりはない。すぐに話を切り替えようとするが、私はそこで気付く。
『映像を見せてもらった?』
「誰からの情報かね」
「あら。私にだって情報部にコネくらいあるんですよ。もっと言えば、上層部の方と知り合いなんです」
「そうか…………君も中々侮れないな」
そうでしょう、と彼女は胸を張った。本人は立派に見せているつもりなのだろうが、こちらから見れば子どもの背伸びだ。あまりにも可愛らしい仕草に、うっかり抱きしめてしまいそうになる。しかし私の『うっかり』が実行される前に、彼女は自分の仕事を思い出してしまった。
「あ、そうだ!お仕事しなきゃ。ガルル中尉腕を出してください」
「いいじゃないか。もう少し」
「駄目です。さ、腕出してください」
彼女はそう言って手早く準備をし始めた。以前、私の口車に乗せられて半日も長居してしまった過去を持つ彼女はいささか警戒しているようだった。仕方がないので腕を出すと、彼女は慣れた動作で私の腕に注射針を差し込んだ。迷いもなく痛みもない技に惚れ惚れしながらも、その短すぎる手順に落胆していた。ケロンの身体検査は採血された血を分析するだけで終わってしまう。看護兵は忙しい軍人を回って血を集めデータを郵送するだけだった。つまり、彼女のここにいる意味はこれでなくなってしまったわけだ。
「ありがとうございました」
「もう行くのか?」
「えぇ。…………中尉も、お仕事まだ残ってらっしゃるじゃないですか」
すい、と彼女の指が私のデスクの上の未処理の紙の束を指した。終わったという私の言葉など信じなかったのは、それを見たせいかと苦々しく思う。
「あれは任務の資料だ。どうということはない」
「じゃあ、新しい任務ですか?地球に行って来たばかりなのに」
「テロリストと言うのは時と場所とこちらの都合だけは考えてくれない。それを討伐するのも軍人の務めだ」
「そうですね。私たちも侵略なんて政策を進めている時点で、テロリストとあまり変わらないと思いますし」
「あぁ、それはそうだな」
敵を作るようなことをしておいて、自分たちの立場ばかり守るような発言を彼女はしない。そこが美徳だと私は感じていた。他の女性のように媚びるのではなく、真摯に向き合い自分の意見をまっすぐに伝え間違っていれば謝罪することを彼女は実行できる。これほどの女性はいないだろう、と昔ギロロに言ったことがあるが、あんな気の強い女はごめんだと返事をされた。結局、ギロロの選んだ女性も気が強かったから、私たち兄弟はそういう女性に魅かれる運命にあるのかもしれない。
私はに、テロリストがケロンに侵入したからくれぐれも気をつけるようにと言葉をつけ加えた。彼女の身が本心から心配だった。突撃兵だったその腕でも武装を施したテロリストは脅威だろう。
「はい。わかりました。仕事が終わったらちゃんとまっすぐに帰りますね。だからさっさとガルル中尉が倒しちゃってください」
「あぁ、当たり前だ。任務は必ず遂行する」
「ふふ。頼もしいですね。…………と。いけない。時間がなくなっちゃう。わたし、今日はガルル小隊にかかりきりなんですよ。まったく」
彼女が道具をしまいながら、私に胡乱な瞳を向けた。そんな目をされても困る、と私は肩を竦める。彼女は、ため息をついた。
「看護兵が採血に出張するのは、少尉以上の方に限られているんですよ?それも忙しい方に限定です。なのに、あなたの隊と来たら兵長も上等兵もあまつさえ新兵さえも身体検査の通知を送っても来ないんです。なしのつぶて、暖簾に腕押し。電話しようとしても繋がらないか掴まらないか。まったく、大人しくしていない方たちですね」
「それはそれは…………仕方ないな」
「ガルル中尉が甘やかすからいけないんですよ。しかも本来の担当であるプルル看護長が上層部の方々のお気に入りなので、わたしが行けと命令されるし…………。兵長や上等兵ならともかく、わたし新兵の命は保障しきれません」
怖いな、と私は苦笑して見せた。もし今、をうちの隊の担当にしたのは私の根回しのおかげなのだと告白すれば確実に自分の命が危ないだろう。だから知らないふりをして笑っておく。は自分が言うように手をだすことはあまりないが、トロロ新兵はお灸を据えられるくらいで丁度いい。
「今日はガルル小隊専門の看護兵になりそうです」
「苦労をかけるな。今度、食事でも奢ろう」
「いいですよ。仕事ですもん。それに、ガルル中尉は人気があるから、同僚に恨まれそう」
私の精一杯の誘いを軽く笑って流し、彼女は立ち上がった。「ガルル中尉に声をかけてもらうために、すごく頑張っていますよ、みんな」まるで他人事のように語る彼女は、もちろん他人事なのだろう。私は君がいなければ医務室になど行かない、という言葉を喉元で押しとどめて努力で笑顔にしてみせる。
「そんなことはないだろう」
「いいえ。早く奥様をもらってください。一人身のエリート軍人を狙う女性は怖いですよ」
「縁があったらしたいものだがな。ただ、私は好みに五月蝿いんだ」
嘘だったし、真実だった。
要は面食いなんですか、と検討違いの言葉を並べる彼女に私の好みを告げたならどんな反応を返すだろう。私は突撃兵の経験がある看護兵しか愛せないんだ。そう答えれば、鈍感な彼女はやっぱり笑ってやり過ごすのだろうか。
あ、そうだ、とは声を上げた。
「いっこ。ガルル中尉にお礼を言います」
「なんだい?」
「地球侵略代行のあの任務…………随分、色をつけて報告していただいたようなので」
言われて、私は素直にその事実に驚いた。ケロロ正体の活躍ぶりに色をつけて報告したのは真実だが、彼女がそんなことまで知っているとは思わなかった。それからが言った「上層部の知り合い」のおかげか、と合点がいく。それは私よりも上位の人物なのかと理解するのと同時に、どうしてそんな相手と知り合いなのかと問いただしたい気持ちにかられた。しかし彼女のことだ。はぐらかすための術は、彼の思い人から伝授済みなのだろう。
「ギロロ伍長は幸せですね。優しいお兄さんがいて」
「…………知らんな」
「いえいえ。独り言ですよ。…………そうだ。じゃあ、私が奢りますね」
すっかり帰り支度をしてしまった彼女がドアの前でそう言った。
「わたしからのささやかなお礼ってことで」
「嬉しいが…………いいのか?ケロロ隊長が泣くかもしれない」余計な一言だった。
「いいんですよ。帰ってこないあの人が悪いんです。だから、怒る権利がありません」
そう言って、彼女は光よりも眩しく微笑む。そのときようやく、見ないようにしていた胸に光る四つの指輪が視界に入った。仕事の支障になるからと鎖に通された四つの指輪を見ると、胸が軋んだ。
「ガルル中尉のおかげで、わたしはケロロさんを失わずにすんだんですから」
その名前を口にしたときの彼女の声が、暖かささえ滲ませたのは私の気のせいだと思いたい。クローンのことを言っているのだとわかっていたが気付かないふりをして、「滅多なことはいうものじゃない」と私は釘を刺した。その言葉に舌を出しおどけ、頭をさげると彼女は入ってきたときと同じように礼儀ただしく出て行った。残された私はと言えば、笑うべきか悔やむべきか、悩みに暮れて椅子に座りなおす。
そうして天井を仰げば、あの自由を掲げた同僚が同じくらい大切にしていた言葉を思い出した。
『誰かを愛せよ、ガルル。そうすれば、仕事なんて手段に過ぎないと感じることが出来るぞ。あぁ、でも愛されなきゃ駄目だからな。相思相愛。そこで初めてお前の人生が始まるんだ』
どうやら俺の人生とやらは始まってもいないな、と柄にもなく素の自分が嘆く声を聞いた。
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