人との関係は、はっきり言って煩わしかった。
言葉を返すのも相手の顔や表情を一々気にかけるのも、それにあわせて自分の言葉を変化させるのもひどく億劫だった。自分の言葉はひどく人には聞きづらく、また鋭い刃を持っているような印象を与えるらしく、それも人から離れた要因かもしれない。今のような仕事についてからは、話す相手も減ったし限定されたので不自由することはない。アサシンというのは元々単独で行動するものだし、口を開くときに要求されるのは結果報告のみだ。だから、その仕事は自分に向いていた。人と関わることで自分を成り立たせているようなやつらには信じられないだろうが、一人でいることによって俺は自分を確立させていた。小隊に編成されてからは、ガルルやトロロやタルルとあいさつぐらいは交わすようになったが、それもそこまでだった。自分のことなど聞かれるまで話すことなどなく、また相手にも要求しない。そんな態度を取ればある程度の人間は離れていくのだが、彼らは違った。小隊だからと無理にあわせることもしないが、こちらに煩わしい当たり前を強要してこなかった。話すときに話して、一人のときは一人になる。ある意味、彼らも自分と一緒で一人になることによって自分を創っていたのかもしれない。
だから、彼女の存在は俺には不必要なものだった。
「ゾルル兵長」
声をかけられ、そちらを振り向く。先ほどから気配だけは知っていたが無視し続けていた彼女は、大きめの看護バックを持ち腰に手をあててこちらを見ていた。さも呆れた、と言わんばかりの表情だった。
「どーして、ゾルル兵長は…………あぁもう」
は、思っていることと表情を完璧にシンクロさせて呟いた。
彼女の言いたいことはわかる。ここは軍の使われていない塔の最上階であり、かつ屋上だった。しかもその塔には屋上用の階段が設置されているわけではなく、外壁を辿って登るか飛行ユニットでもなければ来ることはできない。彼女の背中に薄い羽が見えないことからも、苦労して上ってきたことがわかった。その重そうなバッグを持ってどうやって上ってきたのかはわからない。
は柵もないのっぺりとした屋上を危なげもなく歩き、俺の前に来る。
「こんなところに来るなとは言いませんから、せめて毎回同じ場所にしてください」
そして隣にバッグを置いて、やれやれと前に座り込んだ。
彼女はいつも俺を探しにくる。看護兵の役職に付くこの女にとって俺を探しに来ることは当たり前と定義付けられているらしく、いつも普通の場所にいない俺を探すことに疑問はないらしい。しかし縦横無尽に移動することには辟易しているようだった。可笑しな女だ、と思う。彼女の前に俺の担当だった看護兵は、数週間とたたずに気が狂うかノイローゼになっていた。見つけられずノルマを達成できず上司に嫌味でも言われれば簡単に人格など崩壊する。加えて、アサシンの健康管理を任された看護兵というのは疲弊が早いと聞いたことがある。
「今日は、どうしてここにしたんですか」
「…………晴れて、いタからな」
「この前は雨なのに電波塔にいたじゃないですか。まったく、医療道具が錆びますから次からは屋根のあるところにしてくださいね」
人差し指を突き出され、俺は守れない約束に頷いた。きっと雨の日でも上りたくなったら上るのだし、も俺がそこにいたら呆れながらも上るのだろう。
「…………ゾルル兵長?」
「ん…………?」
「ガルル中尉が言ってましたよ。ゾルル兵長、元気がないって」
看護バッグに手を突っ込ん、で上るときに揺られたのか用具の位置を直しながらが言う。その様子を見ながら、俺はきっぱりと言った。
「嘘ダな」
「…………」
「お前は、嘘をつくトき、俺の目ヲ見ない」
その通りだった。短い話を積み重ね、彼女の口は嘘をつくようにはできていないことを知った。そのクセはあまりにもわかりやすく、むしろ隠す気などないのかもしれないと思わせる。は「バレましたか」とあっけらかんと笑った。罪の意識など感じずに笑うから、きっとバレることも想定の範囲内だったに違いない。
「だって、わたしが聞いても教えてくださらないでしょう」
「…………」
「でも聞かなきゃゾルル兵長は誰にも言わないから。駄目ですよ。メンタルだって大事なんですから」
ひっそりと笑って、は俺を見た。こんなことを言うのだから、きっとは俺が地球に行き、ドロロに忘れられていたことを知っているんだろう。ガルルたちが話したとは考えられなかったが、この女は可笑しなことを知っていたりするからそこからの情報かもしれない。いつかそれについて聞いたら、「わたしの情報源は企業秘密です」と答えられた。その情報だって大したものから使えないものまで幅広かったが、人の感情に関しては情報を鵜呑みにしたことはない。だから、元気がないとこの女が思うのだったら俺がそう見えるということなのだろう。実際、気分は今日の天気のように晴れやかではない。
「別に………次ガある」
「そうですね。忘れているなんて、ゼロロ兵長らしくないですし。次に会うときは思いだしてくれるといいですね。あ、でも喧嘩はしないでくださいね?」
「…………」
「するんですか。ま、死なない程度に頑張ってください。ゼロロ兵長は強いですよ〜?」
は悪戯っぽい笑顔を見せる。そういう顔をすることは珍しい。それは彼女が前に所属していた小隊にゼロロも含まれていたからだろう。実際、ゼロロと一緒にいるところを何度か見たことがある。あの男はの隣を歩きながら、傍目からでもわかるほど嬉しそうな、安心するような顔をしていた。任務時には見せない柔らかな顔を見たとき、殺意にも似た薄ら寒さを感じたのを今でも覚えている。自分の帰る場所を持っているような顔が、心底許せなかった。アサシンはそんな顔をすることは許されないと自分の中で決まっていたからだ。
「ゾルル兵長?」
「あァ?なンだ」
「採血しますから、そっちの腕出してください」
こちらの気持ちなどお構いなしに、は先ほどの笑顔をひっこませて言う。注射器を握るこの女は、元突撃兵だとは信じられないくらい繊細に道具を扱う。そう思うのはタルルの攻撃ばかり見ているせいかもしれない。
昔、の戦闘映像を見たことがあった。タルルが見たいと我侭を言い、トロロが面白そうだと軍部のコンピュータにアタックしたところ何故かまったくアクセス出来ず、癇癪を起こしたところでガルルが自分の持っていた映像を提供した。なぜ持っていたのかと問われると、「たまたまだ」と答えられた。これほど胡散臭い言葉もない。
「あいかわらず、体温低いですね」
が俺の腕を取りながら言う。続いて、「こんな風の強い場所にいるからですよ」と呆れた声。その腕が慎重に、けれど素早く注射器を操作する。
その器用さは、画面の中で普通の突撃兵が持つような特殊能力をいっさい持たず拳を振り上げ足を叩きつける様子からは想像できない。特殊グローブをつけているとは言え、この手に傷一つないのは彼女の実力のおかげなのだろう。タルルは圧倒されるように息を飲み、トロロは瞬きもせずに見入り、俺はその動作に惚れ惚れとした。ガルルが傍に寄り、「踊っているようだろう?」と耳打ちする。俺は無言で頷いた。は銃弾が飛び交い死線を潜り抜けながら踊っていた。軽やかに。
「はい。終わりです。結果は次の検診のときにお渡ししますね」
「そウか…………」
「…………ご飯、ちゃんと食べてくださいね。ゾルル兵長は放っておくとすぐに信じられない生活をするんですから」
の手が離れる。荷物を詰めこむ間、は俺の不養生を淡々と説教したあと、栄養がこれ以上偏ったらお弁当でも作ってきますよ、と冗談交じりに笑った。「そうカ、じゃあ頼む」と言えば、驚いてこちらを向き、眼を丸くする。その顔に満足するように笑えば、また珍しいものを見るようには驚いた顔をした。
「なんダ…………?」
「いえいえ。でも、ちょっと元気になっていただけたようなので」
看護兵としてこれ以上うれしいことはないですよ、とは余計な一言を付け加える。別に看護兵に慰められて感情を上下させるほど安くはないと言いたかったが、が帰り支度を済ませて立ち上がったので反射的に俺も立ち上がった。
「…………下まデ、送るか?」
口をついて出た言葉に自分でも驚いた。自分から他人に関わろうとしていることに対して、いくらか意外だった。いくらか、というのはきっとこうなることを予想していたからかもしれない。は、笑って「じゃあお願いします」と微笑んだ。
ひょいと当然のように持ち上げれば、考えるよりよほど軽かった。重いのは、この医療バッグくらいだ。
「驚いた」
「何ガだ?」
「こんな風に持ち上げてもらえるとは思ってなかったので」
どうやら、肩に担がれるとでも思っていたのだろう。は俺に普通を強要しないが、それはが普通からはずれているだけかもしれない。俺は自分がそのことに笑う前に、地を蹴った。塔から飛び降りまっさかさまで落ちているのに、は悲鳴一つ上げずに安心しきっているように俺の首に腕を回し、のんびりと風景を眺めている。本当に変な女だ。
やがて適当なところで速度を緩め、地面に降りると、礼を言ってが足をつけた。
「ゾルル兵長、これからのご予定は?」
「…………とりアえず、ガルルのとコろに行く…………新しイ任務があルらしい」
「テロリストがうろついているってやつですね。わたしはトロロ新兵の採血が残っているので、これで失礼します」
「トロロは…………」
俺が言いよどむと、はわかっています、と言わんばかりに笑った。
「Cケロロ隊長とラボに閉じこもってるんでしょう?なんとなく、予想はつきます」
「そウ、か…………」
「じゃ、行ってきますね」
が踵を返す。俺は言いよどんだ言葉を結局言えずに、飲み込んだ。後姿は小さく、風でも吹かれれば飛んでしまいそうだった。彼女が今から行く場所でも、そんな毅然として歩けるのか、と心配になる。そして心配する自分が可笑しくて、俺は不安定な感情に苛々した。Cケロロと会うのは、彼女にとって、どんな意味を持つのか。の胸元で光る、あの四つの指輪の緑の意味を俺は知らないわけじゃない。だからこそ、思う。
…………大丈夫なのか?
「あ、ゾルル兵長」
声が聞こえたわけではないのに、が振り向いた。少なからず驚く。
「いる場所を特定していただけるなら、作りますよ。お弁当」
そういい残し、今度こそは手を振ってその場を去る。俺は返事も出来ずに立ち尽くし、近くのガラスに写った自分の顔を見て、眉を潜めた。
その、安心するような嬉しそうな顔には見覚えがある。
途端に嫌悪感が募って、俺は全速力で走り出した。走っているうちにこの事実が消えればいいと、本気で願いながら。
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