「健康診断のお時間です」


との会話の一番はじめの台詞だ。自分を守るための幾重ものパスワード認証を突破し、ボクの許可なくラボへ侵入したあと彼女は扉の前でそう言った。ボクは自分以外の人間が扉をゆっくりとくぐるさまを、夢中になっていたハッキングやらデータ改ざんを放棄して呆然と見つめた。まず何を言われているのか理解できず、ついで自分の敗北を悟って羞恥に顔が赤くなる。負けたことを認めたくなかった。だから、咄嗟に侵入者用のプログラムを発動させた。
何本ものアームが彼女を襲って、そこでようやく正気に戻った。しまったと思ったときにはすでに遅く、の身体に凶悪な力を秘めた機械がほんの数センチまで伸びていた。
しかし、アームはの肌にさえ触れることは敵わなかった。
彼女はおもむろに足をあげると、身体を回転させて近づくすべての機械を蹴り倒してしまったからだ。
その事実にボクはまた愕然として、何事もなかったように身なりを整えるが自分の前に来るまで動けなかった。たずさえた看護バックの中から注射器を取り出して、は笑った。


「すぐに済みますから、無駄な抵抗はしないでください。あと、ジャンクフードの食べすぎは身体に悪いですよ?」


思えばあの頃から、には驚かされることばかりだ。看護兵のくせに辛らつなことも平気で口にする。まっすぐな言葉で相手に接して言いたいことは隠さず言うし、かと言って話を聞かないわけではなかった。病棟でのそんなの態度は気に入られないことも多かったが、もとより軍部の人間を扱う特殊な病院だ。裏表のないの性格にも徐々に慣れ、今では密かなファンも多いらしい。


「トロロ新兵、大丈夫?」


ラボから出たあと、の提案で近くの公園で今後について話し合っている。と言ってもCケロロは遊具で遊びまわり、先ほど来たばかりだと言うのにすでに友人も作っていた。適応力があるのは彼のオリジナルと変わらない。


「大丈夫だヨ。それより、本当によかったノ?」


先ほど、は自分の看護バックを時空転送させた。もちろん転送先は本部の看護室だ。は見つかるのが早まるかもしれないけれど、それでも小隊の健康診断は確実にしなきゃと笑った。その中に彼女の負った重圧があったことを知っているから、ボクは何もいえない。


「いいんですよ。わたしが決めたことです」
「でも…………あんな任務、にやらせるなんて酷すぎる」
「あぁ、誤解しないでください。婦長は、知らなかったから」


つまりはわたしとケロロさんの関係を知らなかったから。
親しくない人には話さなかったし、ガルル小隊に知られてしまったのだって酒の席の話だ。同僚はプルル以外親しいとはお世辞にも言えなかったし、突撃兵の頃から会話術は自分にあわないと理解している。自分のことなど、話さない方がことが進む。


「だから、断ることもできたんです。それを敢えてお受けしたのは、わたしの我侭」


看護兵になって知ったのは自分の無力さだ。壊すことに慣れて治す事に無頓着だったから、傷を癒すのにどれだけの時間が必要かと言うことさえ忘れていた。負傷した人の心がどれだけ不安定で苦しいか、近くにいなければ理解できない。戦場とは違う死が、わたしの新しい職場には溢れかえっていた。ようやくそれにも慣れた頃、聞かされた話は血の匂いよりも生臭い軍の秘密だ。


「クローンが、悪いことだって一概には言えません」
「…………」
「だって、それがあるからわたし達は平和に生きられている。でも」


綺麗なものばかり見ていられないと外に出て、知ったのは予想よりも深い闇だった。


「わたしは我侭だから。納得できないことには従いません」

「ご心配なく。我侭の共犯者になってくれたあなたを、傷つけさせたりしませんから」


力強く微笑むをボクはぼうと見つめた。共犯者とは名ばかりだ。は物理的な力を持っているが、自分が持っているのは小さなパソコンの端末しかない。それだって逃亡では情報を得るしか役にたてることがない。けれどこれは自分の我侭でもあるのだから、最後まで加わりたかった。


「うん。ボクも、頑張るヨ」
「うん、ふふ。楽しんで逃げましょうね」


まるで遠足にでも行くような調子では笑う。すっかり遊ぶことに夢中になっているCケロロを呼ぶのにひと手間かかり、ようやく公園を出たところで彼女がおもむろに手を叩いた。


「忘れてた」
「なにを?」
「お金。なにかと入用でしょうから、おろしておきましょう。この近くに銀行があったはずです」


所持金を確認しながらが言う。その言葉に目を輝かせたのはCケロロだった。


「我輩、お菓子いーっぱい食べたいであります!」
「そうですね。道すがら買いましょうか。でも、ちゃんとご飯も食べなきゃダメですよ」
「えー? トロロ新兵はずーっとお菓子ばっか食べてたでありますのにぃ」
「へぇ…………そうなんですか」


の声が徐々に低くなり、背後に黒いものが見え始め冷や汗が流れる。彼女の監視からはずれたので地球への任務時は好きなものを好きなだけ食べていたので、弁解のしようもない。Cケロロだけが二人の雰囲気に気付かず、不思議そうな顔をしている。
結局Cケロロのいらぬ一言のせいで近場の銀行に着くまでの間、のネチネチとした嫌味と健康談義を受け続けたトロロは疲れきることになった。


「ですから、トロロ新兵。栄養のバランスというものは――――――」


銀行の自動ドアをくぐる途中で、の言葉が不自然に途切れた。それに気付いて顔をあげると、そこには突きつけられた銃がある。


「動くな!!」


言われなくても動けないのだが、銃を突きつけた相手はそう叫んだ。とっさにの方を見ると、彼女も銃を向けられてた。Cケロロガびっくりして「ゲロォ!」と声を出す。
もうすでに追っ手がきたのかと一瞬諦めたが、の視線がこちらを向いて違うと首を振る。


「ついてない…………銀行強盗に出くわすなんて」


が相手に聞こえない程度の声で告げた。
のろのろと三人で腕を上げながら、ボクはの意見に同意した。今から反逆者になろうという矢先に犯罪に巻き込まれるなんて、運がないにも程がある。


ボクとは深くため息をついた。Cケロロだけが、ちょっと面白そうだと判断したのかにこにこ笑っている。


























(07.11.22)