に視線を奪われていた全員がトロロが殴られたことに気付くよりも早く、ケロロはそれを察知していた。というよりは、トロロが四つんばいになって窓口の下を通るときにはすでに、人質の中に不審人物を見つけていたのだ。の鮮やかな蹴りに魅入るわけでもなく、そいつはトロロの後を追うように体を移動させた。無論、その腕に縄などつけてはいなかった。 『…………人質の中に仲間がいたのか…………!』 画面の半分で、ガルル中尉が忌々しく呟く。殴られたトロロは前方に倒れこんだ。 こうなってしまえば、は動きを止めなくてならない。ケロロの見立てでは最後に向かってきた二人のうち、どちらか一人は意識を失っていないはずだ。それにリーダー格の男も、いきなり襲ってきた女に驚いてはいたもののトロロが倒されたことで意気を取り戻しているようにも見えた。 これから考えられるのは、が撃たれるか、拘束されるかのどちらかだ。どちらも可能性としては高く、危険性も極めて高い。常の彼女であればトロロが捕まった状態であるとわかれば身動きすらせず相手に従うだろう。は戦いの最中であっても理性的な働きをしてくれた。少なくとも、自分が隊長をつとめていた間は。 「隊長?」 クルルが後ろを振り返り、疑問とも言えない声を出す。こんな状況でもクルルはを信じている。もちろん最悪の打開策も、彼が楽しむ展開もどちらも予想しているに違いない。 時計を見た。タルルとゾルルはもうすぐ着くだろうか。 「ガルル中尉」 とりあえず、自分には言うべきことがある。 * * * * 体重のせいか、軽い音だけを残してトロロは倒れた。あっけなく、まるで何かの芝居のように。 は声を出したことまでは覚えているが、いつ自分が後ろから羽交い絞めにされたのかはわからなかった。後ろから腕を取る男はたぶん、最後に向かってきたどちらかだろう。けれど、そんなことはどうでもよかった。 自分がどういう状況なのかわからなくても、はトロロだけを見ていた。小さい体を横たえ、両腕はまっすぐにして右頬を床につけている。うっすら血のようなものまでも見えた。怒りが湧き上がって、トロロの後ろにいた男を睨んだ。銀行員の服を着込んだその男は薄ら笑いを浮かべたままトロロを見て、を見た。 「動くな」 あまりにも陳腐な台詞を男は言って、トロロの背中を踏みつけた。服の中から拳銃ではなく、ナイフを取り出しよく見えるように振る。 「動いたら、こいつを殺す」 ゆらゆらと力なく振られるそれは、おもちゃのようだった。間違いなく本物のはずなのに、その男が扱うとどうにも真剣みを帯びていない。それにはそんなものを見ていなかった。ただ、トロロに乗せられた足をじっと見ていた。まばたき一つせず。 「おい!そのガキも女も殺しちまえ!」 「…………いいんですか?」 「見せしめだ!派手にやりやがって…………!」 リーダー格の男は、すでに随分興奮していた。せっかくこれからテロリストらしいことをしようとしたのに、ものの数分でこの状態では計画は失敗だった。女を殺すこともガキを殺すこともリストに入っていたが、それは彼の中では下のほうにあるランクの物事だったに違いない。それに、人質にとった中にこんな馬鹿強い女がいることも計画にはなかった。 トロロに足を置いていた男が、にやにやと笑う。手に持ったナイフをくるくると気味が悪いほど楽しそうに回していた。 の後ろにいた男は銃以外の武器を持っていなかったらしい。すでに一発決められているので羽交い絞めと言うよりは縋りつくのが精一杯のように見えた。 はただじっと、足蹴にされているトロロの背中を見ていた。小さな背中には酷過ぎるほどの大きな足だ。しかも汚い。見た目というわけではなく、その足は今までにも多くの子どもやお年寄りや弱いものを踏みにじってきた足のように思えた。汚らわしい足。それを乗せている男。命令する男。自分の計画のせいで、トロロは倒れている。不意にくるくる回るナイフが目に止まった。その表面に映った自分と目が合う。そのときだった。 の中の何かが、音を立てて切れた。 * * * * トロロが足蹴にされたとき、ケロロは確信した。こうなってしまえば、何もかもが遅い。相手はが理性的であるに値しない連中だった。テロリストを名乗ることすらおこがましい。 「ガルル中尉、タルルとゾルルに伝えるであります。を止める際は、決して手を抜くことなどないように、と」 ケロロの願いは奇妙なことのようにガルルは思えた。トロロは足蹴にされ、も羽交い絞めにされ、どちらも今すぐにでも殺されようとしている。それなのに、タルルとゾルルに救えとは言わず、を止めるときは手加減するなと言う。 『なぜ』 出来るだけ冷静になろうとしたが、尋ねた声は汲々としていた。 ケロロは悲しんでいるような、曖昧な表情のまま言う。 「彼女は切れたら、もう誰にも止められないのでありますよ」 状況に不似合いなほど穏やかな声だった。 |