人が消える瞬間を見たことがあるだろうか。一瞬のうちに目の前にいた人物が姿を消し、最初からそこにはいなかったような状況が作られる。その現場から人が一人、まったく突然にいなくなるのだ。瞬間移動でもなければ、消えたといっても死んだわけではないのに。 ガルルはそれを今まさに体験した。目を離さず、もちろん画面の上で以外の人物も見ていたが、次の瞬間に登場人物がひとり減ったのだ。あまりにも唐突で、がいなくなってからの方が随分長く感じた。ざっと見渡し、が映っていないことを確認する。画面の外に出たのかもしれない。机の下や影に入ったのかもしれない。けれど、のいない空間はまた唐突に終わりを迎えた。 どん。ひどく鈍くて腹に響く音がした。視線が一点に集中する。トロロを足蹴にしていた男の、目の前にがいた。腰を低くし、長くなめらかな足を伸ばし、その足裏を男の胸に沈ませていた。男は何が起きたのかわからないようだった。ただ、の足が自分の胸に随分深く沈んでいるのを確認しただけだ。時間差を持って、男が背骨を丸めた。まるでそこだけ凹んだような、奇妙な歪み方だった。 「…………ぐっ」 口の端に血を滴らせながら、男が後ろに倒れる。けれどは男をただ倒れさせなかった。傾いた男の体にもう一歩踏み込み、蹴り飛ばしたのだ。まるで紙人形のように吹き飛んだ体が、画面の端の壁に叩きつけられた。ずるりと壁から男が下にずり落ちる。 は体制を立て直して、すらりと立った。その姿に産毛が逆立つような感覚を覚える。背後から狙われているような、恐ろしく冷たい殺気だった。 「…………」 ゆらりと、緩慢な動作でが首をあげる。生きている人間のようではなかった。糸で操られた人形のようだった。 ひっとリーダー格の男が悲鳴をあげた。睨まれたのは彼だった。彼はそれきり声をあげられず、下がることも腰を抜かすことも出来ずに身を竦ませていた。 が踏み出そうと身をかがませたとき、扉が乱暴な音を立てた。閉じたシャッターが破壊され、もうもうと煙が立ち込める。 『ガルル中尉?!ただ今到着したっス!!』 『こレは…………どういウ、コト…………だ?』 煙の中から二人が飛び出してきた。それぞれからの連絡がガルル中尉に伝えられる。 けれどは二人の登場にも眉ひとつ動かさなかった。感動もなく、二人を迎えるそぶりもない。まるで知った人物ではないというふうに一瞥しただけで、視線をリーダーの男に戻す。タルルもゾルルもそんなにどう対処していいかわからず、困惑しているようだった。 「タルル、ゾルル」 彼女は切れたら、もう誰も止められないのでありますよ。 ケロロの言った言葉を反芻する。彼女は我を失っているのだ。タルルやゾルルさえ見分けられてはいない。先ほどの容赦のない蹴りからもわかる。このままでは彼女は犯人を殺しかねない。 「二人とも、全力でを確保しろ。いいか。全力でだ!!」 * * * * と戦いたい。いつか映像の中で戦うの姿を見たとき、嫉妬にも似た感情を抱いてそう思った。踊るように戦うに見惚れ、何度も想像の中で戦った。は戦っていても笑っていると思った。自分を相手にするときは少し微笑み、けれど真剣になるときには大きな瞳を細めるのだ。 今、はまったくタルルの想像とは違う姿をしていた。力の抜かれた腕をぶらりと垂らし、感情の込められない瞳は暗く冷たかった。底の知れない暗く淀んだ目は、こちらに向けられてなどいない。すぐに異変が起きているのだとわかった。ゾルルは心得たように身構える。ガルルはを止めろと言った。彼女はこちらを認識できておらず、相手の男はたった一人で怯えている。 「さん!!」 飛び出し、男との間に立つ。は自分の前に立ったタルルを、目だけを動かして確認した。ゾルルも隣に立つが、タルルのように動揺してはおらず、右腕からはすでに刃がのぞいている。 「タル、ル…………かま、エろ…………!!」 戦いたいとは思っていたが、を傷つけたくはなかった。ゾルルの言うように構えたものの、自分からは動き出せない。が地を蹴ったのが見えた。迷いはなく、二人を巻き込んで並行に蹴りを繰り出す。タルルとゾルルが両脇に飛びのいた。 二人を別々にすることで兵力を分断したのだとガルルはわかった。タルルはまだ戸惑っている。十中八九、は彼を先に倒すことを考えるだろう。ガルルの考えたとおり、は後ろに飛んだタルルを追った。 「…………た、ルル!」 ゾルルの声がしたが、タルルは構えた腕での拳を受け止めるのに精一杯だった。二度打ち込まれ、その重さに体の芯が揺れる。合間にと目が合ったが、まばたきを一度もしていなかった。ゾルルがの背後から刃を振り下ろし、左に素早く彼女は飛びのく。 「しっカり…………しロ!」 「は、はいッス」 返事はしたが、そうできるとは思わなかった。は息つく間もなく体を反転させてゾルルに向かっていく。何度かの応戦、空中で金属のぶつかりあう音がして、彼らが戦っているのがわかった。目で追い、自分も参加しなければと思う。けれど、足が動かなかった。 視線の端にトロロが映った。うつぶせに倒れた状態で、頭から一筋の血を流している。はトロロが殴られたせいで自分を失っているに違いなかった。 「…………さん!」 金属音が止んで、かわりにゾルル兵長が壁に叩き付けられる轟音が響いた。ゾルルの体は動かなくなっていた。はまったく動じていない顔でタルルを振り返る。映像がそのまま飛び出してきたようだと思った。ガルルの持っていた戦うの、映像。踊るように蹴りを繰り出し、重力を感じさせず飛び上がり、思いがけないほど重い拳で相手を打ちのめす。 の踏むステップは軽く、そして早い。自分に向かって一歩の跳躍で間合いを詰める彼女を惚れ惚れと眺める。鼻がつきそうなくらいの距離まで、彼女が近づく。彼女の造作は綺麗で、通った鼻と形のいい唇をこんなに間近で眺めたのは初めてだった。そんなことを思っていると、が腕を振りあげた。 殴られる。間に合わない。そうわかったのに、けれどの腕を捕らえることができたのは奇跡だったかもしれない。 「さん…………!もう、大丈夫っスから…………!!」 「…………」 「オレたちがいるッス………!、さんっ………!」 右腕を掴んだつもりだったのに、は落ち着いてその腕を引き抜いた。タルルの叫びに反応したようすはない。悲しかった。戦闘でこんな気分になったのはもちろん初めてだった。悲しく淋しい。はひとりで戦っている。 みぞおちにの拳がはいる。小さいのにしっかりと固い、孤独な力だった。 ゾルルと同じく壁に叩きつけられるのを感じながら、タルルは自分の無力がこれほどまでに辛いのをはじめて知った。 視界の中で、が最後の犯人の襟首を掴んで持ち上げたのが、見えた。 |