意識が戻ったのは、鈍くて重い、例えるならば砂袋を殴ったときのような音が耳元で鳴っているのに気付いたからだ。規則正しく、ゆっくりでも早くもないが、確実に刻まれる音。けれど意識を取り戻して先に気付いたのは、頭痛と吐き気だった。頭の芯がぐらぐらと定まらず、寝ているはずなのに視界が揺れた。 あぁ、そうだ。殴られたんだ。 銀行内は、先ほどまでいたというのにまるで現実感を伴わなかった。だるい腕でどうにか動かし上半身を起こす。頭を振って、目で細めてあたりを見回した。 「…………?」 何、してるの。 尋ねたかった言葉は声にならない。先ほどまで聞こえていた音はまだ聞こえている。 はただ男を殴っていた。左手で男の襟首を掴み、右腕を振り下ろし続けている。機械的な動作のように見えたが、殴る場所は微妙に違っていた。男はすでに意識を失っているのか、うめき声ひとつ上げない。 の頬には、男のものだと思われる血が飛び散っていた。けれどそれだけだ。そのほかはまったく変わらない。は事務的な動作で、眉一つ動かさず無表情に男を殴っていた。室内は不気味なほど静かで、人質の誰もが声もだせずにを見ているのだとわかった。重苦しい緊迫感が漂っていた。テロリストが居たときとは違う、染みるような殺気が問答無用で放たれているようだった。 壁際に、見知った二人を見つけてトロロは息を飲んだ。 タルルとゾルル。 「………だ、誰もわからないノ?」 が二人を敵と認識したとは思えない。だとすれば、今の状態は異常なのだ。 は何かのせいで理性を失い、相手を打ちのめすことしか考えられなくなっている。 「ボクの…………」 ボクの、せいだ。 とっさに思った。殴られて気を失ったトロロのために、が暴走しているのだ。 ご心配なく。我侭の共犯者になってくれたあなたを、傷つけさせたりしませんから。 銀行に入る前、公園ではトロロに言った。共犯者だなんて、本当に名ばかりだ。結局の荷物になってしまっている。彼女ひとりなら全部うまくやれただろう。Cケロロをつれてどこへなりとも行けたに違いない。こんなにふうに誰かを傷つけているが見たかったわけじゃないのに。 「駄目ダヨ」 声は小さくしぼんで聞こえた。喉が張り付いてうまく発声できない。それなのに、涙だけがぼろぼろと流れ出した。 「駄目ダヨ、…………!」 途切れない音が、体中の悲しみを呼び起こすようだった。声の限り、叫ぶ。 「やめてヨ!!もう、そいつが死んじゃう…………!」 その男をに殺させたくなかった。男の心配をしているわけではない。が、意識を取り戻し自分のしたことを見て悲しむ姿を見たくないのだ。はきっと自分をまた追い詰めてしまう。トロロの気に病ませないように自分の中で悲しみを溜め込んで悩んで、苦しみながら消えてしまう。トロロにはなぜか、この男を殺してしまったらがいなくなってしまうことがわかった。誰にも届かない場所へ、は自分で消えてしまうに違いない。 それなのに、トロロの声は届かない。張り上げた声はの奥のほうにまで到達せずに力を失ってしまう。涙ばかりが頬を伝って、冷たいタイルにいくつも落ちた。 やめてやめてやめて。にはもっと、違う未来があるんだ。 力なく首を曲げたとき、隣に誰かが立つ気配がした。 「!!」 淀んだ空気を一掃する清々しいほどはっきりとした声だった。トロロが顔をあげると、小さな体が傍にあった。 「!!攻撃中止であります!!」 小さな体のくせに、その場を支配するほど力のある声を持っていた。 がびくりと体を揺らし、拳の動きを止める。機械仕掛けの単純な人形の電池が切れた瞬間のようだった。途端にの周りを包んでいた殺伐とした空気が消える。 誰もが一様に、いつのまにか止めていた息を思い切り吸い込んだ。 |