少尉以上になると、専用の執務室を設けられることになっている。ガルル中尉も例に漏れず部屋を割り当てられていた。質素で彼らしく飾り気のない部屋にはソファが二つと膝丈ほどのテーブルが一つ、それと執務用の机、資料が品よく並べられた棚があるだけだった。
プルルは一人、ソファに座ってじっと固まっている。ソファは客を迎えるような上品なものではなく、固くてやけにがっちりしていた。しかしくつろぐことなど出来そうになかったので、突き放されるような感触に緊張感を保っていられそうだと思った。
今日の夕方、あの事件は起きた。世間ではテロリストによる銀行強盗だと騒がれているが、プルルにとって問題はそこではない。が自分に課せられた任務を放棄し、そして捕まってしまったという事実が、彼女には重くのしかかっていた。なぜもっと早くに気付けなかったのだろうか。ケロロのクローンが用意されたのは知っていた。けれど、まさかまでもが知っているとは思わなかった。


「ねぇ、プルル。プルルはいつも考えすぎだと思う」


そう言われたのはいつの日だったろう。たぶんが配属されて間もなくで、プルルがちょっとしたミスに頭を悩ませていたときだと思う。はプルルよりも看護の実践は乏しいのに何事にも物怖じしなかったので、すぐに腕を伸あげていった。どんなに暴れる患者がいようともそれに立ち向かう勇気を持っていた。軍人を扱う特殊な病院のナースとして、彼女ほど最適だと思われる人物はいないようにさえ思えた。


「あんまり考えない方がいいよ。どうせ傷をおってくるのは全部軍人なんだから。病人になるためのような職種でしょ? もっと肩の力を抜いた方がいい」


そうやって微笑むを見たのは、プルルにとって初めてだった。突撃兵という最も危険な役目を背負っていたとは思えないほど、は乱暴な部分などない普通の女の子のように見えた。少し笑うことが苦手な、自分に厳しく他人にも厳しい、女の子。


「…………見送り?…………行かないよ」


が看護兵になって間もなく、ケロロが地球へと向かうことになったことを知った。当日の朝、当然見送りにいくものだと思っていたプルルが出勤すると、そこにはいつものように仕事をこなすがいた。あまりのことに驚いて、人目をはばかるように屋上に連れ出し尋ねると、はあっけらかんと言ってのけた。
見送り?行くはずないじゃない。


「だって、見送れないもの」


屋上は風が強くて寒かった。は瞳を伏せて、消え入るように呟く。


「見送りたくなんて…………ないもの」


声にはいつもの気丈さは含まれてはいなかった。ただ、横顔が淋しそうに歪んでいる。プルルはなんと声をかけていいかわからなくなった。任務だから仕方がないことだと割り切ったとしても、だからといって全てに折り合いがつけられるわけがない。
二人で風に打たれていると、不意に歓声が聞こえた。ケロン軍本部から発せられているそれは、多分ケロロ小隊を送り出すパレードのものだと思われた。軍の期待が大きいことを、イヤでも思い知らされる声だ。はそちらに顔を向け、先程より表情を柔らかくして、けれどずっと淋しそうに笑った。


「プルル、男の人の背中って残酷ね…………。追ってはいけないものだと、特に」


あの頃から、は何一つ変わっていない。苦手にしていた笑顔が少し上手くなっただけだ。は多分、何一つ変わっていなかった。ただ周りが、彼女はもう立ち直ったのだと勝手に勘違いしたのだ。あんまりにも彼女は強く自分に厳しかったものだから。
プルルは座りながらも、落ち着かなかった。ガルル中尉をまだ戻ってこない。
現在別室では、緊急の軍法会議が開かれている。ことがことなので秘密裏に開かれたそこには、を含めガルル中尉も出席していたはずだった。
特殊な場合を除き、根本を同じくする人物の同時存在は許されない。クローンが合法であるというのに、そんな規制をするなんて馬鹿げている。けれど馬鹿馬鹿しいものの中で守られていることも、否定できない事実なのだ。


「…………プルル看護長」


静かに扉が開いた。プルルは勢いよく立ち上がり、ガルル中尉に詰め寄る。


「ガルル中尉! は…………?!」
「落ち着きたまえ。プルル看護長」


プルルの肩を押し戻し、ガルル中尉はソファに座った。若干疲れた表情で、こめかみを人差し指で揉んでいる。彼が部屋を出てから随分時間がたっていることに、今更プルルは気付いた。ガルル中尉はしばらく考え込み、視線を左右に二度ほど往復させてから、ひどく重たくなった唇を動かした。


「結論から言おう。…………彼女は一ヶ月の謹慎処分だ」
「きん、し、ん?」
「あぁ。任務を放棄したという決定的な事実が存在しない。だが、タルルやゾルルを倒してしまった。精神不安定の鑑定結果も出され、しばらくの療養が必要だと判断された」


一ヶ月で足りなければ更なる延長も可能だそうだ。まったく。
ガルル中尉は、呆れるように息を吐く。あんまりにも疲れている様子だった。をかばうために出廷したというのに、そのやりきれない疲労感はなんなのだろう。


「呆れもする。最初から、は何一つ責められなかった」
「え?」
「君の婦長は元より、トロロまでが彼女に非はないと叫びださんばかりだった。任務放棄は重罪だ。しかし、お偉方はまず彼女がゾルルたちを倒した有無を聞きだし、精神鑑定のやつらに引き渡して一度閉廷し、療養が必要だという結果が出るなりそれだけを結論とした。まったく、いったい何だというんだ」


誰も彼も、クローンをタマゴに強制還元する任務のことなど触れもしなかった。狐につままれたように立ちすくむトロロや婦長、そして自分があまりにも滑稽すぎる。
あら。私にだって情報部にコネくらいあるんですよ。もっと言えば、上層部の方と知り合いなんです。
どこまでが君の「知り合い」とやらの力なんだ。あまりにも白々しく閉廷した軍法会議が秘密裏に開かれたのはそういった理由もあったのかもしれない。
プルルはとりあえず厳罰が下されなかったことにほっとして、けれど首を傾げた。


「じゃあ、こんな時間まで何をしてらしたんですか」


軍法会議の内容は、少なくとも日をまたぐほどの時間を要するものではないと思われた。しかも空は白んできてしまっている。
ガルル中尉は今度こそ本気でため息をつく。


「閉廷したあと、が軍を辞めると言い出したんだ」
「え、えぇ?! と、とめないと!」
「待ちたまえ。なんとか収拾はついた。…………君のところの婦長が」


思い出し、ガルル中尉はうっすら笑う。あれは本当に驚いた。


「平手打ちをしてな。しっかりしろと渇をいれてきた」
「び、ビンタ、ですか?」
「一般的に言えばそうだな。はぼんやりとしたまま、けれど自暴自棄になることだけはしないと約束してくれた」


生気のない瞳をしていた。いつもの彼女からは想像ができないほど憔悴しきっていたし、一言も口を開こうとしなかった。何が彼女をそこまで追い込んだのだろうか。わからなかった。


「あの…………それで、は?」
「一度帰らせた。ここにいるとうっかり辞表でも出してしまいそうだからな。それに、確かに精神を休ませる必要があるようだ」


送るというガルルに、一人で帰れると弱々しくは言った。あんなに後姿を小さいと思ったのは初めてだった。背骨は丸められてなんかいなかったが、ぽっきりと、何かが折れてしまったような感じがした。
あの背中を抱きしめる権利が自分にあればよかった。ガルル中尉が口惜しいと思うのは、つまりそこだった。






































(08.02.23)