散々迷った後で、は自宅のパソコンを起動させる。自前のものでは、一番の高級品と言っていいそれは、クルル曹長からの贈り物だった。どこにも売っていないものだとトロロが言っていたから自作かもしれない。地球に行く前にクルル曹長から押し付けられるようにもらったものだが、今では重宝している。
いつものようには、回線を開く。けれどいつも以上に、緊張した。


「………」


頭の中では先ほどから、まとまらない思考がひっきりなしに続いている。何をするつもりだとか、どうしようと言うのだ、とか。あんまりにも考えたって仕方のないことが起こるものだから、頭のほうがついていかない。
画面が揺れて、定まるための数秒の間がひどく長かった。頭の中ではまだ「どうしよう」が続いている。画面が一瞬の沈黙のあとクリアになる。


「…………!!!」


クリアになって、見慣れたラボの背景とは裏腹に、そこに立っていたのは予想外の人物だった。息を呑むだけでは飽き足らず、はその瞬間息を止める。


『おーい。?』


画面に映るわたしはいったいどんな顔をしているのだろう。けれどこちらから見る彼は、とても落ち着いているように見えた。以前と変わらずに、暢気で優しいオーラを纏っているように感じた。
はたまらなくなって、もう頭の中が真っ白になる。


『クルルじゃなくてビックリしたのでありますか?』
「は、い。…………そうですね」
がかけてくると思ったから、貸してもらったのでありますよ。でも、かけてくるのが遅いっしょ。おかげで掃除当番やってないのがバレて、夏美殿に思いっきり叱られちゃったであります』


懐かしさを溢れさせるような声を出して、ケロロは笑う。は仕方なく「ごめんなさい」と謝った。この人の前だと、どうにも素直に受け入れてしまう自分がいて困ってしまう。反論する気など起きない。けれどそれは従っているわけではなく、彼がすっかりを満足させてしまっていることに他ならない。
長い不在さえもこんな一言で満たされてしまうくらいに。


「ケロロさん…………わた、わたし、また暴走しちゃい、ました」
『あー…………うん。知ってる』
「で、タルル上等兵、とゾルル兵長に、怪我、させちゃ……って」


言葉をつむぐたびに、感じなかった痛みを確認させられる。ケロロさんといると、どうしても『普通』な自分に戻ってしまうのだ。痛いと叫びたかったことが、悔しいと泣きたかったことが、押し込めたあれこれが溢れ出して来る。あまりにも生身の自分が醜くて弱いのを知っているのに。


「どうしよう、ケロロさん」


どうしよう。どうしよう。どうしよう。わたしはどうすれば、許されるんだろう。
断続的に続いていた答えは、そこに集約されていた。こんなことをしてしまって、わたしはまた失ってしまうのだろうか。昔みたいに、裏切り者になってしまうのだろうか。
また一人になってしまうには、大切なものを見つけすぎた。


。とりあえず二人は死んでないんだから、そんな絶望的な顔したら失礼でありますよ』
「でも」
『うん。謝るくらいはしないとね。仮にも殴り倒したんだし』
「……………はい」
『でも謝りすぎるのもダメでありますよ? 男って繊細なんだから』


はい。
頷きながら、動くケロロを見た。久しぶりにみる彼は元気そうで安心する。忙しくて通信を送ることも少なかった。顔を見たいと何度も思ったけれど、そのたびに自分を押さえつけてきた。


「ケロロさん」


自分が相手を呼ぶ声が、嫌に優しく甘いものだという自覚はある。そしてたぶん、すがるように弱々しいということも自分でわかっている。画面の中で首を傾げる彼が、どうしても愛おしい人だと改めて感じる。胸がひどく締め付けられて、苦しかった。


「わたし二人に謝ってきます。それで、もし許してもらえたら、あの」


言葉が詰まって、気持ちを重くさせた。こんなに緊張しているのは彼を好きだという理由のせいで、彼に嫌われたくないと願ってしまっているからだった。重荷になったり、こんな事件を起こしてしまった自分を捨てられるのが怖い。そして続ける言葉に、どんな顔をされるのかと思うと。
思い切り、瞳を瞑った。


「あの……………我侭を、言ってもいいですか」


だから直接核心には触れずにそう聞いた。怯えていたと言ってもいい口調だ。あんまりにも久しぶりで、彼との距離がいまいち掴めていないのかもしれないと思った。
不意に、ちゃり、と胸の上で指輪が鳴った。今まで忘れていた存在が、自分を主張しているようだった。忘れるなと、言われるみたいに。


『もちろんでありますよ』


だからケロロの声が優しく鼓膜を震わせて届いたとき、すでには泣きそうになってしまっていた。古くから大事にしていたものが、すでに息絶えたものが、舞い戻ってきたような気持ちになった。


『だって、我輩に我侭言えるのはの特権でありましょう』


追い討ちだった。もうは涙を瞳に一杯ためて、もう何粒も机に落としていた。この人にかかればいつも自分は泣いてしまう。あんまりにも優しくて、自分を包み込んでくれる優しさがを過不足なく幸福にする。この声だけでも、もっと言えばこの約束が実行されずに終わったとしても、これから先100年は彼を信じ続けていけるような気になってしまうのだ。呼吸もままならない様子で、は不恰好に泣きながら、それでも願い事を口にした。


「………………会い……たいっです」


しゃっくりの方が大きくて、願い事はすぐに画面に吸い込まれてしまった。
自分の泣き声が、子供のようで可笑しい。ケロロは、一瞬とても真面目な顔になって「うん」と首を縦に振った。深くて落ち着きのある、大人の声で。


『うん。おいで。…………


唇の端を綺麗にあげて、ケロロは笑う。その両腕が大きく開かれて、抱きしめる直前みたいな格好で、ケロロは静止した。
おいで。
一言だった。その一言で、わたしが永遠に考えても答えが見つからない「どうしよう」が解決されてしまう。許されないと悩んでいた日々が、すべて正常に戻っているのだと錯覚してしまう。自分を超えて、自分を支配してしまうものがある。それが、誰かを心から愛するということなのかもしれない。少なくとも、わたしにとっては。
涙は流れて止まらずに、それからケロロはどうでもいいことをしゃべり続けた。







































(08.02.23)