「大丈夫、勇気を出して。なんていうか、言い始めたら後は勢いだと思う。こういうのは渡したもの勝ちだから」
一時間前の自分の言葉は意味の割に軽く響いたくせに、ギロロはとても難しい顔をして神妙に受け取ってくれた。日差しの強い午後、影が濃い色をしていた。
彼は、夏美ちゃんにプレゼントを渡したいのだという。そのアドバイスをしているときに言った台詞なのだが、『勇気』なんて言葉がよくも自分の中から出たものだ。
日向家のベランダに冬樹君に頼んで入らせてもらった。庭にいるギロロの上ずった声は高くて大きいから、ベランダに座って隠れているだけでよく聞こえるはずだ。
「なななな、夏美!!」
ほうら、やっぱり。わたしは背中にベランダの塀の冷たさを感じながら、空を見上げる。ギロロの声は高くて普段の落ち着きはどこにでもなく、侵略者の威厳はすでに塵のようなものだった。
がんばれ。単純に、わたしは応援する。
「なぁに、してるんだぁ?」
声をかけられてぎょっとした。いつのまにか隣にクルルがいた。小さな体はベランダの高さに足りなかったので、庭先の彼らには気づかれなかったのが、唯一の救いだ。
「盗み聞きとは趣味がいいネェ」
「違う。見届けてるだけよ」
「許可がねぇんなら、盗み聞きっつーんだよ」
しかも不可抗力でもねぇしな。クルルは言って、お決まりのポーズで笑う。
わたしは怒鳴りたかったけれど、見つかるわけにもいかないし、ギロロの努力を無駄にすることはもっとできないので眉を吊り上げて小さな声で言い返す。
「クルルの言うような、厭らしい意味はないもの」
「厭らしい、ねぇ?」
「そうよ。………ちょっと、なんで隣に座るのよ」
当たり前のように隣に腰を下ろされて、不機嫌がさらに増した。まったく人の嫌がることしか出来ないやつだ。ギロロが苦手とするのがよくわかる。背後で高い声をだして、プレゼントを後ろに隠しつつ何事か言い訳をしているギロロを思う。
「青い春とは言ったもんだな。オッサンのくせに」
隣でクルルが独り言のように――実際、独り言なのだと思う――呟いた。そこにまったく共感や応援の意味は込められていなかったので、わたしは頭にきた。理由はなく、肌で感じるように腹が立った。
「わかんないの?」
「はぁ?」
「だから、ギロロがどうして必死なのか」
わからないんでしょう。確信を持って、わたしは断言する。
クルルは今世紀最大に憎たらしい顔をして――もうこんな顔は、わたしの人生史上において見られないだろうと思う――くつくつと笑った。(笑いやがったと表現するのが、正しいとさえ思う)
「わかんねぇな。わかりたくもねぇ」
「わかりたくない? 嘘を言わないでよね。わかりえないんでしょう」
「……………なに怒ってるんだよ」
「別に。わたしはギロロと同じ気持ちになったことがあるから、理解できないクルルが理解できないの」
したくもないしね。
棘のある言葉を飲み込むのが億劫だった。クルルに理解して欲しくなんてなかったのは、わたしの八つ当たりだ。あんまりにも理不尽な怒りだが妥当だとも思えた。あんまりにも考えや行動が世間離れしていて、つかみどころがないから凡人のわたしは腹が立つのだ。俗世の恋やら愛やらに染まらないことに対して、そんなものに染まりきっている自分に対して。
「クルルは絶対、これからだって理解できないよ」
悔しくなってそれだけしか言えない。けれど、クルルは肯定も否定もひねくれた言葉も何一つ言わずに隣に座っている。言葉の羅列を飲み干して、くるくるの眼鏡の奥で何事かを考えている。
ギロロの高い声は相変わらず背後で何事か唱えるようにして続いている。夏美ちゃんを長いこと待たせているんだろう。確かにクルルの言うとおり青く輝く春のように、彼らは陽だまりの中にいるのだろうと思えた。
わたしはヒザを抱えて、道理にあわない怒りに身を沈める。影になっているうす寒いコンクリートの上で、わたしは何だって苦悩してしまっているんだろう。
答えは簡単だ。ギロロにあって、わたしになかったものは間違いなく『勇気』そのものだった。
「最悪だわ…………」
うめくように呟いたけれど、結局片思いをしていたことさえも告げられなかった相手は、身じろぎさえしなかった。
(08.02.22) ギロロの純粋さには、見習うべきところがたくさんあると思う。
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