「遠い」


はふとそう感じて、そのまま声に出してみた。遠い。主語はない。ただ、わたしが知っているだけ。言葉にしてみて、まさにそうだと思った。遠すぎる。


仕事から帰ってきた部屋はがらんとして、変に整っていた。こんなふうに部屋を片付けるようになったのはいつの頃からだっただろうと考える。すぐに彼と一緒に住み始めてからだと理由を見つけて、薄暗い部屋で電気もつけずに笑った。
彼―――ガルルは、今日この部屋に帰ってこない。軍の仕事は宇宙全土に広がっているから、帰ってこないことや何日も不在であることは珍しくない。ガルルは自分が家を出る前にちゃんと自分のものを片付ける。それが彼のくせであるのはわかっていたが、まるで儀式のようでは嫌いだった。いつもより小奇麗に整った部屋はそれだけでも他人の部屋のように感じるのに、彼がものを整理するとまるでガルルがこの部屋から完全に消えてしまったようだった。彼が出て行ってしまったような、空虚で空っぽな空気が漂っている。


「…………」


今日はガルルの方があとに部屋を出たから、ベッドのシーツはぴんと張っていた。彼はベッドメイキングが好きだ。清々しい気持ちになると言っていた。
その上に腰を下ろし、そのまま後ろに倒れ込む。スプリングが軋んで、シーツに皺ができた。天井はくすんだ灰色で、いつか薄いピンクにしたいと考えている。


「遠い」


もう一度声に出した。残っていたガルルの気配が急に居場所をなくしたように感じる。
いつのまにか、とても遠い存在になってしまったのかもしれない。不在は珍しいことではなく、どうしてこんなにも自分が弱っているのかはわからなかったが、今日この部屋にガルルがいないことがとても不安だった。遠すぎる場所に来てしまったように感じる。実際には、この部屋ほどガルルと近いことを裏付けるものはないというのに。
体を傾けて横を向き、懸命に目をつむった。眠くはなかった。ガルルを思い出そうとする。最後にした会話はなんだったかと考えて、ひどくむなしいことをしていることに気付いた。どんなに探しても思い出しても、結局この星にガルルはいないのに。


「…………遠い、なぁ」


泣きたくなった。泣いたらガルルは困るだろう。優しい人だから、泣いた理由を聞きたがるに違いない。でもわたしは答えないのだ。答えたら、その先に待つ彼の言葉を聞くことになってしまうから。彼は困ったように笑って、軍人の仕事とわたしの幸せを優先させるふりをして、目の前からいなくなってしまうことだろう。
そんなのは、こんな孤独よりもずっと淋しい。


「…………」


もう、は言葉にしなかった。遠いことはわかっていたし、自分で自分を打ちのめすのをばかばかしいと思えるくらいの分別が戻ってきていた。
だからその代わりまた天井を見上げて、彼が皺一つなく伸ばしていったシーツの上で体を思い切り伸ばした。また、スプリングが軽い悲鳴をあげる。ガルルが帰ってきたらすぐに部屋の模様替えを提案しよう。薄いピンクの天井ならば、こんなに寒々しい気持ちにはならないだろうから。


さよならの一歩手前みたいだ。
思ったけれど、それだけは口にしないようにわたしは自分で自分の口を押さえる。





























(08.02.22) 大人の恋愛って難しいですねえ。ここからどうなるかはまったくわかりません。