がちゃん!
片手で持った受話器から、ゾルルは乱暴に電話を切られる音を聞く。これは珍しいことではなく、電話の相手には日常茶飯事のことなのでもう咎める気も起きやしない。タイミングをはかって受話器を耳から遠ざける術も身につけたし、彼女の台詞もいつもどおり変わらないので自分たちにはまったく進歩が見られないのだろうと思う。
握り締めていた受話器をため息と共に戻して、ゾルルはそのまま台所に向かう。銀色の小さな冷蔵庫を開けると中からひんやりとした空気があふれ出してきた。右手で中にあった透明な壜を取り出してから、考えて、もう一本左手で同じものを出した。いつもならばこれは来客にしか出さないのだが、今日は自分も飲んでみるのも悪くないだろうと思った。
ゾルルが二本の壜を抱えて台所から出てくるのと、呼び鈴が続けて二回乱暴に鳴らされるのは同時だった。しかも呼び鈴を鳴らしたくせに扉はすでに開かれていて、むしろなぜ呼び鈴など鳴らしたのかと問いただしくなるほどの騒々しさで彼女―――は、ゾルルの前に現れた。いつものように肩で息をして、扉のノブに右手をかけたまま全体重を地面にのめりこませんばかりに曲げている。自分の限界を超えて走ってくるのだから、この意気込みにはいつも驚かされるばかりだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おイ」


ずい、と右手に持っていたほうの壜を差し出す。小さな壜は懐かしい風情を漂わせている、夜店や飲み屋で売っている子供用のサイダーだった。それの蓋を鉄の指先を使ってはずしてやって、ゾルルはいつも全力疾走してくる彼女に手渡す。もうすでにお決まりの、なんとも鳴れた仕草で。
は肩を上下させながら、苦しそうに顔だけあげて、小さく礼を言う。それから弱々しく壜を受け取って、そのまま口に持っていって天を仰ぐ。ゾルルはこの女の飲みっぷりが好きだ、と思う。鬼気迫る勢いで壜を空にするのが、いい。上品ではないし、炭酸を一気に飲み干すのは体に悪いと思われるが、がごくごくと喉を鳴らしてサイダーを飲む姿がゾルルは気に入っていた。
息継ぎもせずサイダーを飲み干したが、プールから顔を出したようにぷはっと言って壜を離した。それを見届けてからゾルルも自分の分のサイダーを開け、その甘ったるい飲み物を舐める。


「それっで! 帰ってきたの?!」


走ってきたせいで荒いのか、一気にサイダーなど飲み干したからなのかわからないが、は空気のように薄い声で叫んだ。それを聞きながら、次に聞こえる言葉だけはいつになっても慣れないと、ゾルルは思う。


「ねぇ! 帰ってきたんでしょ? ゼロロ!」


壜に口をつけたままのゾルルを急かすようには尋ねる。
ゼロロ。アサシントップの腕前を持ちながら、あいつは地球侵略の任務についてから音沙汰がなかった。こちらが代行で赴いてやればなんとゼロロは地球側に寝返っており、なおかつ自分のことなど覚えてすらいなかったという歯がゆく悔しい思いをさせられた。
はそいつの帰りを待っている。こんなに必死になって、電話先で聞けばいいものを汗だくになって走ってきてまで、その真意を聞きに来る。


「・・・・・・・・・・・・・・・お前ハ・・・・・・・・・少シ、落ちツけ」
「これが落ち着いていられますかっ! どうなの?! 帰ってきたんじゃないの?!」


片手で壜を握りつぶさんばかりに力を込めて、は言う。扉は開けたままだったので、声が廊下まで響いていた。とりあえず面倒なので彼女を中に引き入れて、扉をしめる。


「ねぇ、ゾルル!」
「・・・・・・・・・・・・・・帰っテ・・・・・くルわけガ・・・・・・・・ないだロう」
「えぇ?!」


この世の終わりのような表情で玄関にしゃがみこむ。サイダーをもう一口飲みながら、面白くないと思う感情も飲み干そうとした。あんな男を待ち続けていると、を待たせているゼロロ(今はドロロと名乗っていた)が、なんだか気にくわない。


「えーー?! だってぇ! ゾルル言ったじゃない!」
「オレは・・・・・・・・・・ゼロロ、としか言っテない」
「ゼロロって言われれば反応しちゃうってわかってるでしょー」


見当違いな怒り方をするは拗ねたようにしゃがみこんだままだ。ゾルルはそらっとぼけてサイダーをちびりちびりと飲んでいる。ゾルルがゼロロの名前を出すたびに、こんな風に一生懸命尋ねてくるのは理解している。自分は飲まないサイダーを常備しておくほど、の行動はゾルルには知れているというのに、そ知らぬ顔をしてに電話をかける。
だが、も理解しては居ないのだろう。ゾルルがなぜわざわざに電話をかけてまで―――人との会話すら億劫なのだというのに―――ゼロロという単語を出すのかということを考えていない。サイダーを常備しているのは何故なのか、ということも。


「・・・・・・・・・・あーもー・・・・・・・・いつになったら帰ってくるんだろう」


玄関にしゃがみこみ、額を形のいい指で押さえながらが絶望にも似た声を出した。動き出そうとしない彼女を背に、ゾルルは半分残ったサイダーをテーブルに置く。甘ったるく、しゅわしゅわと辛い味を残すこの飲み物をどうにも好きになれないと考えながら。


「・・・・・・・・・・・・さァ、な」
「いい加減だなぁ。ゾルルだってゼロロに会いたいでしょ」
「・・・・・・・腑抜けタ・・・・・・・男ナど、相手ニしテいられる、カ」


地球への任務を放棄して、さえも放り出している男に憎しみはわいても、会いたいなどと渇望することなどない。ゾルルは玄関から一歩も動き出そうとせずにこちらを見上げる彼女を見る。はへらりと笑って、しゃがみこんだまま額にあった腕を組んで、その上に顎を乗せた。


「・・・・・・・・・・・・・・・それでも、きっとゾルルは待ってるんだよ」
「はァ?」
「怖い顔しないでよ。いいよ、大丈夫。わたしだって待ってるから」


何が大丈夫なのかなどわからないのに、は一人で納得して立ち上がる。ゆっくりとした動作で、空になった壜を左手でつまんでいた。きらきらと光る透明な壜は、口の部分が飲み終わるとべたべたになる。けれどはそんなことお構いなしに、口の部分をつまんでゾルルに差し出した。


「これ、ご馳走さまでした」
「・・・・・・・・・あァ」
「あのね、ゾルル」


壜を受け取って、自分のものと同じようにテーブルに戻す。視線をあげるとは少しだけ眉を下げて、瞳を和らげて笑った。口元だけがやけに切なそうだと、思う。


「わたしが本当に会いたい人を、ゾルルはわかってないよね」
「・・・・・・・?」
「ゼロロなんて、本当はどうでもいいんだよ」


は唇を少しだけ歪めて、言葉を零す。ゾルルはが突然言い出したことにきょとんとして、次に混乱した。が懸命に走ってくるのが何のためだというのか、その理由を見失ってしまった。混乱して、頭にきて、ゾルルは知らず顔を歪める。
顔が怖いよ。はまた笑う。


「わたしが会いたいのはね・・・・・・・・・・・・・・・・ゼロロに解放されたゾルルだよ」


それだけ。じゃあね。
は切なそうな表情とは裏腹に、身軽に体を翻してとっとと玄関から出ていってしまう。取り残されたゾルルは呆けたように、立ちすくんでいた。
彼女が言ったことが理解できない。そんなはずはない。がそんなことを言い出すはずがない。これは自分が作り出した都合のいい妄想じゃないのだろうか。あまりにも焦がれて止まないものだから、自分を慰めるために作り出した幻ではないのか。
徐々に顔が赤くなっていくのがわかる。叫びだすのを押さえるように自分の口を片手でふさいだ。ふさがなければ、あんまりにも弱々しくてばかばかしい声が出そうだった。あぁ。とか、うぅ、とか。聞きたくないほど恥ずかしい声が、確実に出てしまう。
理解などしていなかったのは、どちらだったのか。
しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。
物音さえしなくなった部屋で、飲み残したサイダーだけが泡を飛ばして躍動している。






































(08.02.22) ゾルル兵長の割には青春くさいものをひとつ。