昔から努力と言う言葉が嫌いだった。そもそも「努力する」なんて言葉は「努力をしていなかった」ことを認めるようなものだと思う。努力を怠った結果そうなってしまったことを自ら暴露していることに他ならない。さらに「一層の努力」なんて言った日には救いようがなく、「努力してもダメだったのだから更なる期待は無駄」だという宣言をしてしまっているのだ。これを多用する人々には政治家やら社長やら、そういった責任を取るための役についている人物たばかりだということを例に挙げれば、理解していただけるだろうか。
だからわたしは努力と言う言葉自体を嫌悪するようになっていった。そんな言葉があること自体が気に喰わない。それを使うのはいつだって、誰かに強要された結果でしかないのだ。自分から言ったと思っている人間がいたとしても、それは他人がいて始めて「努力」しなければいけないと思い込んでしまったにすぎない。他人と比べて劣っていたり必要だったりするから、努力しなければいけないと勘違いしてしまうのだ。
まったく面白くないと思う。


「だからね、努力しなければいけない人ならいらないと思った。例えばその人にあわせるためにわたしがひとつでも変わらなければいけないというのなら、それは一生を変化させなければいけない大仕事のようなものだから。つまり、わたしの生活に支障をきたすような人を、愛するつもりはなかったの」


独白に近い、これはわたしの言い訳だった。向かい側に座る彼はわたしの言い分を聞いてくれている。何も言わずに、否定したり笑ったりせずに、ただそこに人形のように座ってくれている。それだけが、唯一の救いのように思えた。


「だから、とても楽だった。わたしは変わることがキライだったから、安定は最大の幸福だった。………なのに」


そこでわたしは自分の額に手をかけて、途方にくれてしまう。
いつのまにか自分の口調や仕草を気にかけるようになっていた。言葉を選んで、好感を抱いてもらえるように微笑むくせがついてしまった。掃除や洗濯やもろもろの家事を自分からこなすなんて、考えられなかった。しかもこうやって自分が相手に何もかもを話してしまおうなんて、馬鹿げたことをしてしまっていることも予想できなかった。
そつなくこなしていければいい。そこそこに好きになった相手がいれば、わたしのちょっとした憂鬱は満たされると結論付けていた。それなのにどうして、こんなに深い場所まで来てしまっていたのだろう。


「でも、勘違いしないで。あなたに合うように努力してしまった形にはなったけれど、責任を取れっていってるつもりじゃないの。むしろその逆で、わたしはあなたに突き放してほしい」


紫の彼の眉根が寄って、不快と疑問を同時に表した。わたしは何故と問われる前に自分で答えを差し出す。


「これ以上は無理だなって思ったの。努力の限界。元々の自分に背いていたから、どんどん心が離れてしまっているの。可笑しくなっちゃいそうなのよ。でも困ったことにわたしはあなたが好きで仕方ないの。無理だってわかってるのに、進もうとしてしまう。だからあなたからの拒否を聞かなくちゃいけない」


自分勝手な理由だという自覚はある。もちろん彼はわたしの告白など、今さっき聞いたばかりで混乱してしまっているかもしれない。それでも、わたしは自分を止めることができなかった。


「嫌な役をさせてるってわかってる。でも、あなたの答えを聞いたらすぐに出て行くから心配しないで。だから、言ってほしいの」


ダメだとかゴメンとか、妄想も大概にしろと言った類の言葉でよかった。
わたしの中でその言葉は、彼の声と一緒になった瞬間に爆発的な威力を持って進もうとする心を折ってしまうだろう。努力なんてしても無駄だと、ようやく昔のわたしが顔を出すはずだ。そうすれば、安定した生活に戻ってしまうことができる。
わたしは一度深く呼吸をして、彼の返事を待った。彼はいつもよりも無表情で、それはとても聡明そうだった。見とれるほどに凛々しい。


「………………私に、拒否権はないのか?」


考え事をするガルルに文字通り見とれてしまっていたわたしは、低くて心地いい声に反応できない。あんまりにもぼんやりとした感じに首を傾げる。


「拒否権?」
「あぁ」
「……なんの?」
「君が言ったばかりだろう。君を拒否しろ、という依頼に対しての拒否権だ」


否定に否定を重ねて言うものだから、わたしの頭はちょっとしたパニック状態になってしまう。ガルルはそんなわたしに畳み掛けるようにして、言う。


「君の申し出を、私は拒否する。わざわざ惚れた女性を手放す男などいないだろう」


冗談めかせて言った最後に、彼は優雅に笑ってわたしの顔をのぞきこむ。


「努力しなくていいとは言わない。だから、私のことを受け入れてくれ。でなければ、私だって努力をした甲斐がないだろう?」


その動作のいちいちに反応して、わたしはパニックと一緒になって頭の中が喜びに湧くような興奮を覚えた。なんてばかばかしい錯覚!理性の半分が抗議するけれど、そのときのわたしにはすでに聞こえてなんていなかった。嬉しくて、けれどちょっと残念に思ってもいて、ガルルの言葉をすっかり飲み込むには時間が必要だった。そんなわたしを彼は微笑みながら待っていてくれる。わたしが好きになった彼らしく、そのすべてに優しさをたたえながら。
ただ、努力が他人のためにするものだという持論に変わりはない。彼とどこまでも幸福になったとしても、だ。





























(08.04.26) どこまでもえらそうだなぁ、中尉ってひとは。