ひゅんと風を切る音がして、すぐにキキッとブレーキを踏むような音が続いた。
だから、は今まで読んでいた本にしおりを挟む。部屋は変わらずに静かだったけれど、すぐに訪れる騒がしさを待ち構えているようでもあった。
それから数秒と待たずに突然窓が開いて――もちろんノックなどない――紅色の彼が顔を出したとき、すでに部屋にはうっとおしいほどの生気が満ち満ちていた。
「オッス!久しぶりだなっ!」
まったく悪びれる様子もなく、シヴァヴァはひらりと舞い降りる。部屋に立った途端に、漏れる日の光さえも彼の色を受けて鮮やかさを増したように見えた。はそっと本を手近なテーブルに置いて、彼に微笑む。
「お久しぶり、シヴァヴァ。えぇと、三ヶ月ぶりくらい?」
「わっかんねぇ!でも、まぁ、それくらいなんじゃねぇの」
シーヴァシヴァシヴァ!
彼特有の笑い方に、今度は部屋全体のオーラが変わる。テレビをつけたわけでもないのに、それ自体が自然な音となって壁に溶けていく。彼はが作り出す静寂をひとかけらも残さずに、乱暴に騒がしくさせていく。
「で、今日はどんなお話?」
クッションを出しながらは水を向ける。シヴァヴァはいつも旅先で見たさまざまなことを長い時間をかけて、もちろん身振り手振りや大げさで芝居がかった口調を交えて語ってくれた。どこそこで宇宙一武闘会があって、優勝したときのあれこれなどを。
「そうそう!今回もおっもしろいぜぇ!またあの野郎がよぉ」
シヴァヴァが語りだす口調が、若干和らいだのがわかった。それではぴんと勘が働く。最近のシヴァヴァの気に入りの話題だと思った。
なんでも成り行きで知り合ったダークケロロとドルルという人たちと、シヴァヴァは一緒にいるらしい。「秘密基地」なんてそれらしい名前のアジトと、もちろん遊びではない施設や設備の数々、天敵や作戦などシヴァヴァはとても楽しそうに話す。特に世間知らずのダークケロロをからかうのは、目下一番の楽しみらしい。すでに趣味と化している悪戯に、ダークケロロは一々ひっかかってくれる。この前など「雨の日は口を聞いてはいけない」と言ったら、本当に実行しドルルに指摘されるまでそうしていたのだという。
可哀想なことだと思うがシヴァヴァはとても楽しそうなので、聞いているはもうしばらくそうしていてほしいと思う。
「。なぁなぁ、聞いてんのかよ!」
「え、あぁ、ごめんなさい」
聞いてなかったわ、とは素直に謝った。シヴァヴァは不機嫌と呆れを半分ずつあらわしながら、「だから、オラッチが」と続けてくれる。けれどの意識は、やはり現実の彼からずれていく。
少し前、ダークケロロとドルルがここに遊びに来た。シヴァヴァに半ば連行されるような形ではあったけれど、二人は丁寧にあいさつもしてくれた。特に深緑のダークケロロはとても同情に満ちた瞳で「これと一緒にいたら疲れるだろう」としみじみ語ってくれたし、いつもより三割増しではしゃぐシヴァヴァに辟易したドルルが「尊敬」と一言、置き土産のように呟いたのは笑ってしまった。彼らは親しみのこもった皮肉を言いながら笑いあっていたから、は自分の部屋だというのに旅行のようにドキドキと不安の混じった高揚感を感じたりもした。
「ねぇ、あの二人は元気?」
自分の思考の延長で、シヴァヴァに尋ねる。彼は自分の話の腰を折られたことに少々いぶかしみながら「あぁ」と頷いた。
「元気も元気!居候の身だからって小さくなるようなオラッチたちじゃねぇっつーの!シーヴァシヴァシヴァ!」
それはあなただけじゃないの?
少なくともダークケロロは家事全般を交代制でやっているとのことだから、シヴァヴァの態度が一番大きいと思われた。
「なぁ、」
突然、シヴァヴァがに近づく。彼の身のこなしは鮮やか過ぎてついていけない。彩色に満ちた視界の中で、彼がふっと笑った。
「そろそろ、オラッチのものになんねぇ?」
「…………」
「じゃねぇと、攫っちまいそーなんだよなぁ」
いつもの軽快な笑い方ではなく、喉を鳴らすように笑う。その影を含んだ声にどきりと心臓が跳ねた。彼は自分の声がどのように相手に響くのかさえ計算済みなのかもしれない。
「攫ったら、一言だって口をきいてあげないから」
「へぇ?」
まるで「そんなこと出来ないくせに」とでも言われているような、見透かされた視線だった。は彼の放浪癖を理由に今までの告白退けていたのだけれど、ダークケロロと「秘密基地」を作ったことで理由はなくなってしまった。
シヴァヴァはじっとを見つめている。鬱陶しいほどの言葉たちが成りを潜めていると、それだけで頷いてしまいそうになった。早くいつものシヴァヴァが見たくて、早く彼と一緒に笑いあいたくて―――。
けれど、突然窓の外が騒がしくなったことで静寂は一気に破られた。
「シヴァヴァ!!ここにいたのか!!」
「ゲ!!なんでここに!!」
窓から顔を出したのはダークケロロだった。その後ろにはドルルの姿もある。
シヴァヴァは体全体で「しまった!」というポーズをとって、二人から後ずさる。ダークケロロは窓枠にたって、声を荒げた。
「貴様、また嘘をつきおったな!スイカの種を食べたら腹から芽が出るなどと言うから心配して相談してみれば、家人に散々笑われたではないか………!」
「マジで信じてたのかよ!つーか、気づけよなぁ!!シーヴァシヴァシヴァ!」
「五月蝿い!今日という今日は許さん!ドルル!」
「………了解」
「お!なんだよドルル!オラッチとやろうってのかぁ!」
機械の彼が、すちゃっと腕をこちらに向ける。無表情ながら彼も少し怒っているように見えた。ふふん、とダークケロロが胸を張る。
「貴様、ドルルのおやつをとっただろう!だからこちら側についたのだ!」
「はぁ?!まさかあのプリン、ドルルのだったのかよ!」
どうやら、結局は彼のまいた種らしい。ドルルは本当に怒っているらしく、静かに「焼却」と呟いている。シヴァヴァは慌てながらもやはりどこか楽しげに「仕方ねぇなぁ!」と立ち上がった。
「の部屋を消し炭にしちゃぁ悪ぃからな!今日のところは帰るぜ!」
棒をひゅんと振り回し、器用にシヴァヴァは振り返る。そして呆けるの頬に口付けた。
あまりにも軽く、可愛らしいリップ音を響かせて。
「じゃあな、!今度は掻っ攫うから覚悟しとけよ!」
シーヴァシヴァシヴァ!
ひらりとソーサーに乗り込んだ彼が仲間に追われていくのを見ながら、は一気に脱力した。静寂を取り戻し始めた部屋は、けれど彼が残したざわめきに満ちている。
頬に手をあて、五月蝿い心臓音に目を閉じる。今度、彼に会ったときの答えは、もう決まっていた。
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