一目ぼれを信じるかと問われたら、今なら自信を持ってイエスと答えられる。彼女と目があった瞬間に、使っていない脳が震えるような衝撃を受けた。薄闇の中、オレンジの光を受けて立っていた彼女は場所に似つかわしくないほど健康的で美しく、明瞭な声をしていた。はじめまして、の言葉があんなにも清々しく聞こえたのは始めてだった。あんまりの衝撃に耐えられず声も出せなかったタルルだったが、彼女はそんな自分と目を合わせてにっこりと笑ってくれた。その堂々とした様子からも、彼女が大人の女性であることがにじみ出ているようだった。
ガルル中尉が奢ってくれるというので付いてきた店だったのだが、タルルは酒や話もそこそこにのことばかりを考えていた。この店で出会い、紹介されたといっても何もしなければそれきりになってしまいそうだと思っていた。プルル看護長に連絡先を聞き出すのは恥ずかしいし、第一下心が見え見えのような気がして憚れる。一番効率がよく、誠意が見えるようなやり方はないだろうか。


「タルル?」


青いグラスに入った透明の液体を見つめ続けていたタルルは、ガルルの声に気づかない。ただじっと考えていた。今からあちらの席に行ってはどうだろうか、とか、彼女がトイレにたったときを見計らって待っていようか、とか。
けれどあちらの席に行くのは大胆すぎて引かれる恐れがあり、視界に移る範囲に彼女の席はなかった。


「タルル上等兵?」
「はいッス!」


二度目でようやくタルルは返事をしたが、軍人のそれだったのであまりにも声が大きかった。周りの客がこちらをいぶかしげに見やってくる。ガルルはくつくつと笑いをこらえるようにして、ソファに片腕を立てている。ゾルル兵長は呆れたように酒を舐めていた。


「悪いな。タルル」
「い、いえ。あの、オイラがぼーっとしていただけッスから」


赤くなって頭を掻きながら、タルルはグラスを煽った。少しきつくて辛い味がする。
ガルルはそんな彼を楽しそうにまた見やって、それからゾルルを見た。その視線を不愉快気にゾルルは睨みつける。するなら自分だけでやれ、とでも言うように。


「タルル。女性を効果的に誘う方法を知っているか?」


あまりにも唐突にガルルは話し始める。肩が震えるほど驚いた様子でタルルは自分の上司を見た。ガルルはそんな視線にも躊躇せず「酒の席の話だから」と前置きをして、自分のグラスを持ち上げた。


「自分から誘う場合、相手に誠意が伝わらなければいけない。軽薄な言葉は相手を傷つけるし、あんまりにも重大な告白にしてしまえば負担になってしまう」


朗々と語るガルルは、教鞭をとる教師みたいな口調だった。それを食い入るように見つめるタルルは、自覚があるのか少々前のめりになっている。ゾルルが横であからさまなため息をついたことにも気づいていない。


「だから、まったく知らない女性を――そうだな、例えば友人に紹介されただけの女性を――誘う場合、自分が手段を用いず連絡を取りたかったことを伝えなければいけない。それが早急である場合、どれだけ時間を要しても相手を待っていられるくらいの誠意がね」


いい終わり、ガルルはグラスに残っていた酒を飲み干した。タルルはガルルの言葉をじっと考えている。テーブルの中央に小さな緑のガラスにいけられた黄色い花を見ながら、どうすればいいかを真剣に考えていた。ガルルの忍び笑いも、ゾルルが呆れたように酒を注文していたことも、すべて感知せずに一心に考え込んでいた。


「タルル、女性の酒と言うのは総じて我々よりも深いものだ」


最後の言葉がかすかに、タルルの耳元にひっかかっている。










* * * * *








果たしてガルルの言っていた通り、タルルたちが一通り飲み終えて食べ終わり、お開きにしようと立ち上がったときもプルルたちは先ほどの席でまだ楽しそうに話していた。ひっきりなしに動いている口を見る限り、彼女たちの話題はつきることを知らないらしい。
横を通り過ぎるときガルルは声をかけたが、タルルはお辞儀をしただけだった。けれどそのときもはちゃんとこっちを見て、うっすらと首を傾け微笑んだ。それだけで、タルルが実行するには充分だった。店を出てからタクシーを捕まえるかとガルルに聞かれたが断った。訳知り顔の上司は深くその意図を聞くわけでもなくゾルルと一緒にタクシーに乗り込んでいく。タルルはそれから店の壁に背中を向けながら、路地を見張るようにして立った。季節は冬だったから、外気は寒くて乾燥している。
少しして店から出てきた彼女たちは頬をわずかに紅潮させて、やっぱり笑いながら何事か話していた。が道路に向かってすっと手を上げる。このとき初めてタルルは相手がタクシーを使うかもしれないということを考えていなかったことを悟った。ここでタクシーに乗られてしまっては、待っていたことはすべて無駄になってしまう。
しかし、はタクシーを止めただけで乗り込むことはしなかった。プルルだけを乗せて、しきりに首を振っている。やがて観念したようにタクシーのドアが閉まり、走り出して角を曲がるまでは手を振っていた。それからおもむろに振り返ったと目が合った時、タルルはやはり衝撃ともう自覚してしまった恋愛感情のせいで顔を真っ赤にして硬直していた。


「あなた、プルルの職場の方でしょう。こんなところで、誰か待っているんですか?」


意外なことには挨拶だけ済ませて帰るようなことをしなかった。まっすぐにこちらに歩み寄り、物怖じせずはっきりと聞いてくる。タルルは少しだけ迷ったあと、大きな声を出すように努めて言う。


「あの、お話が……あるんスけど」


きっぱりと告げたはずなのに、なぜか語尾は尻すぼみになってしまった。は自分のことを指差し「わたしに?」と首を傾げた。その仕草が可愛らしくて、もうタルルは言葉も継げずに力強く何度も頷く。はきょとんとした後、考えるように瞳を伏せた。
断られるかもしれない。タルルの脳裏に不安が広がっていく。断られる可能性も、高いことはわかっていた。こんなところで誘うのはもう結果が見え透きすぎている。
若干諦めかけたとき、「じゃあ」との声。


「立ち話もなんですから、わたしのうちに来ませんか?」
「え、え?」
「すぐそこなんです。だから、プルルだけタクシーに乗せたんですよ」


にこりと笑って説明するの笑顔が眩しい。思いがけない展開になってしまったことにタルルは目を白黒させて、部屋に招かれるというのは少なくとも嫌われたり嫌がられたりしていないということなのだろうかと考えていた。困りきってしまった様子のタルルを見かねて、がすっと腕を伸ばす。の右手が真っ赤になったタルルの頬に滑り込んだ。


「だってわたしの手はこんなに冷たくて、あなたの頬は真っ赤なんだもの。それにお部屋のほうがゆっくりとお話を窺えると思うんだけど」


それから冗談めかしてコーヒーくらいは出ますよ、と付け足すの悪戯っぽい笑顔にタルルは観念して頷いた。添えられた手が彼女の元に戻るまでその柔らかな感触に、五月蝿いほど心臓が高鳴っていることを自覚しながら。































(08.02.29)