が風邪を引いたと聞いたのは、昨日のことだった。2週間ほど前にプルルが泊りがけで遊びにいったときは何でもなかったらしいのだが、三日ほど前から体がダルくなり昨日にいたっては熱が出たらしい。うつすといけないから会社は休んだとメールが届いたのは昨日の夜中で、気づいたのは今朝だった。駆けつけたかったが軍を休むわけにもいかず、仕方ないので電話で無事の確認だけした。は意外に元気な声で朝ごはんを食べたから医者に行って来ると言う。気をつけてと最後に言い残したはいいものの、先ほどからタルルの手はまったく動いていなかった。
時計を見上げる。もう時計の針は一時を過ぎていた。はもう部屋に戻っただろうか。


「それはが考えてやったことに決まっているでしょ」


仕事が手につかないので休憩室に行くと、プルルがいた。そこで昨日からのことを話すとあっさりと答えられた。


「もし昨日のうちに言ったら、絶対タルルはお見舞いにいっちゃうでしょう? だからは夜中にメールを入れたのよ」
「…………そんな」
「もし夜中に気づいたとして、がいくら来ないでって言ってもタルルは行くでしょう?」


念を押されるように言われて、タルルはぐっと押し黙った。まさにその通りだ。真夜中だろうと時間があるのなら行っていたに違いない。
プルルがやれやれといった調子で肩を竦める。


のことが本当に大好きなのね」
「………好きッスよ。当たり前じゃないッスか」
「うん。まぁ、半年も付き合っているんだもんね」


煮え切らない言い方に、タルルはちょっとムッとする。プルルは何が言いたいのだろうか。あまりのぼせるなと言いたいのか。公私混同は慎めと言いたいのか。それともそんなことさえわからないのはタルルが若輩者だからと、やっぱりそういうことになってしまうのだろうか。
はどう思っているのだろう。年若く、遊び方も楽しみ方も浅く広く体力を惜しまないやり方しか知らない自分を嫌がっているのだろうか。はいつも笑って受け入れてくれるから、一人になると決まってそんなことばかりが頭をもたげる。
そこでふと、気づいた。あんまりにも突然気づいたものだから、すとんと悲しみが落ちてくる。単純に、今まで気づかなかった重大なことがあるじゃないか。
は自分に対して一度だって――――。


「ちょっと! タルル見て!」


プルルが叫んでタルルは思考の中から無理やり浮上させられる。弾かれるように、プルルの指差すほうを見た。そこには休憩室用のテレビがあり、速報と映像が流れている。見たことのある風景だった。あまりにも見慣れすぎて忘れてしまいそうになる場所だ。そこが、今、火の海になっている。
“都市部のビルで火災発生”テロップが、現実感のない事実を連ねた。


「これって、のマンションじゃないの?」
「そ、そうッス」
「そうって………は? 病院から戻ってきたの?!」


強く尋ねられて、自分の手元にケータイがないことに気づいた。急いで机に取って返し、引き出しの中にあるケータイを乱暴にあける。どうかまだ病院にいてほしい。何かの手違いでいいから家に戻っていないで居てくれ。けれど願いは叶わずメールが一件入っており、から病院に行って精密検査を受けてもらったことと部屋に戻ったのでもう寝ることが書いてあった。受信時刻は一時間前。彼女はあのマンションに居るのだ。


「タルル?!」


呼ばれたときにはすでに走り出していた。誰の了解も得ずに、自分の理解さえも及ばないところで体が勝手に反応している。彼女が危険だというだけで、理性は吹き飛んだ。がむしゃらに、ペースなど考えずに走ったものだからすぐに息が切れる。けれど軍部を出て一本の煙を見つけると体中が掻き毟られるような痛みが襲ってきた。走って、呼吸などしなくてもいいから走ることに専念した。両手を振り上げて力の限り振り下ろす。途中で、何人かにぶつかって怒号が飛ぶ。
マンションの前には人だかりができていた。


!!!」


叫んで走り出したがすぐに誰かに止められた。消防隊やその他の野次馬だとわかったが、突撃兵の自分に適うわけもない。まとわりつく腕を振りほどいて、タルルは火に囲まれたマンションの中に飛び込んだ。階段を登りながら必死に祈った。だいぶ火がまわっていて、所々崩れ落ちていたがそんなものはどうでもよかった。
8階、見晴らしがいいとが気に入っている部屋につくまでの記憶がタルルにはない。扉が変形していたせいで開かなくて、頭に来たので蹴り破ったのは覚えている。まっすぐ寝室に向かって、その先にやっと目的の人物を見つけると体の中に一本の芯が戻ってきたような気持ちになった。


!! 大丈夫ッスか?!」


ベッドに顔を押し付けるようにして倒れていたを抱き起こすと、うっすらと瞳を明けていた。煙を吸い込みすぎている。ひどく顔色が悪くて、ひゅうひゅうと喉が鳴るようにして息を吸っている。タルルは一度考えるように瞳をつむり、意を決してを抱き上げた。


「オイラに捕まっててくださいッス」


自分の首に彼女の腕を巻きつけさせて、タルルはベランダを睨む。8階というのは低くはない。けれどタルルは自分ならどうにかなると根拠のない自信を持っていた。
が虚ろな瞳でこちらを見ている。無理をするなと言われているようだった。その顔に微笑んで、「大丈夫ッス」と声に出す。窓を開けておき、数歩下がると、タルルは助走をつけて走り出した。そして手すりまで登ると、一気にジャンプした。
飛び出す瞬間、がタルルに回した腕に力を込めたような気が、した。







































(08.02.29)