プルルに無理を言ってタルルはの病室まで車椅子で移動した。タルルの足はほぼ完治していたが、まだ満足に動かすことは出来なかった。8階から飛び降りた衝撃を二人分受けたのだから、その衝撃を体が癒すのには科学技術の及ばないものがある。
の病室は個室で、入った瞬間に花の匂いがした。狭くはない個室の中に色とりどりの花束があった。活けられたものもあるが、それ以外もたくさんの花と見舞いの数々が並べられている。プルルが言うには助け出されたは一躍ヒロインとして取り上げられており、彼女の目覚めをケロン星全体が望んでいる状態なのだという。そしてその他にも彼女を気遣う会社や取引先から沢山の見舞い品が送られてくるので、病院としても参っているらしい。
彼女はどこでも、どうしたって人をひきつけてやまないのだ。ベッド脇に進み、安らかに眠るの手を両手で握る。
「タルル…………」
「……………プルル看護長。大丈夫ッスよ。は必ず目覚めますから」
自身ありげに、タルルは言う。瞳が優しげに細められ、握った両手がじんわりと温かさを帯びてくる。は始めからそうだった。
「オイラが愚図だから、待ってくれてたんスよ。あのときだって、そうだった」
「……………あのとき?」
タルルは記憶を辿って、との出会いを思い出した。いつまででも待つつもりだったのに、とプルルはガルルたちと別れてから程なくして現れた。あれは単なる偶然だと思っていたのだが、しばらく経ったあとに彼女は言ったのだ。
「『あんまり真剣な目をしていたから、待っているだろうと思って早く出てきたの』って。オイラはいつもに気を遣われてばっかりなんスよね」
始めから、タルルがに一目ぼれしたときすでに彼女は気づいていた。そういえばガルルたちが帰ったあと彼女は急にお開きにしようと言い出したのだと、プルルは思い出す。単に時間も遅かったからだと思っていたのだが、そう意図があったのだ。はまったく自然に、誰かを気遣える優しさと手腕を持っていた。
「だから、大丈夫なんですよ」
は待っているだけで、もうすぐ起きてくれる。どうしてかわからないが、タルルにはそう思える確信がある。だってが起きなければ不自然だとさえ思うのだ。
きゅう、と握る手を強めた。少しでも気づいてくれるように祈るように。じっとのまぶたを見つめた。その瞳が開くさまを見逃すまいとして。
だからそこで本当にが目を開いたのは、奇跡なんかじゃなく必然だった。
「………………」
ぼうと天上を見上げたまま、は目を開けた。いつも通りの朝を向かえたような、あまりにもすっきりとした目覚めだった。ゆっくりと半身を起こして、はのろのろと周りを見る。それから間の抜けた顔で首を傾げた。どうしたの、とでも言いたげな表情で。
「…………………!!!」
タルルは叫んで、動かない足を体ごとベッドに乗せて彼女を抱きしめた。細い体を折ってしまわない様に気をつけて、けれど力のままに抱きしめた。は未だにぼうとして、タルルの肩越しにプルルと目を合わせている。涙を溜めているプルルとは違い、「おはよう」と言い出しそうなほど暢気な視線で。
「……………タルル、いたい」
寝ぼけて回らない舌で言うものだから、発音がたどたどしい。タルルは腕を緩めようともせず、彼女の声を聞いていた。どんな言葉でもいい。彼女が話しているという事実に安堵していた。
「タルル、ってば」
「ダメっす。だって、なんで逃げなかったんスか」
泣きそうだから、我慢しようとすれば不機嫌な声になった。タルルは抱きしめたまま彼女の肩口に顔をうずめて懐かしい匂いをかぐ。優しくて甘いの匂い。
「なんで火事に気づいて逃げなかったんスか。に、逃げれた、でしょう」
嗚咽が漏れそうになった。は風邪を引いていて、だから火事の中逃げられなかったことなんて知っている。けれどを責めるようにしか、言葉を紡げない。
はぼんやりとした視線をやっと合わせて、タルルの言葉を頭の中でよく咀嚼した。状況を飲み込むような間が続いたあとに、はそっとタルルの背中に自分の腕を巻きつける。はっきりと、意思的な動作だった。
「あのね……………聞いても、笑わない?」
少しだけくたびれたようなの声は、けれど寝ぼけていなかった。自分の背中に回った腕に、タルルは喉まで出掛かっている泣き声を必死に押さえつける。は自分の顔の横にあるタルルのほっぺたに擦り寄るように頭を寄せた。
「年甲斐もなく、信じてしまっていたの。…………………あなたが必ず来てくれるって」
だから火が回ってきたときも怖くなかったのよ。
は歌うように続ける。きっと今、彼女の表情を覗いたら笑っているのだろう。けれどタルルはもう涙を抑えていられなかった。の体を抱きながら、声に出して叫びながら泣いた。五月蝿かったし、鼻水も涙も流していたから汚かったはずなのに、はずっと抱きしめ続けてくれた。時折あやすように背中をさすりながら、何度もタルルの耳元で「ありがとう」と囁いた。彼女の声が、ひどく懐かしく愛おしいものに感じた。
今まで考えていた不安が、吹き飛んでいく。火事の前に気づいたちょっとした問題も、全部洗い流されてしまう。付き合ってから初めて聞く言葉を、彼女は何度も何度も言ってくれるのだ。
ありがとう、愛しい人。大好きよ。
それだけで、タルルにはもう何もいらなかった。
* * * *
怪我をしたことを理由にして、彼女は仕事の量を半分にした。会社の方も引き止めたがはきっぱりと断ったので、それ以上口を出すこともできなかったらしい。何しろ彼女が目覚めたとき国民的ヒロインとなっていたに対して会社側は、彼女の要求を飲んだ上での復帰を認めてしまっていたからだ。
「ホントにいいんスか?」
昼下がり、余裕の出来た彼女と散歩をしながらタルルは問う。目の前を幸せそうに歩く彼女は立ち止まろうとせず「何が?」と楽しげに聞き返す。
「その、仕事とか」
まとめたい商談や組みたい企画を話されていたから、彼女がなぜあんなにもすっぱりと切り捨てたのかわからない。は立ち止まり、くるりと振り向いた。
「いいのよ」
「でも」
「いいの。………だって」
ゆっくりと笑みを顔中に広げる。輝いているようにさえ見える笑顔だった。それから左手を恭しく下腹部に当てる。
「だって、これ以上仕事をして体を壊したら、赤ちゃんにだってよくないと思うし」
「あぁ、まぁ………………って、うぇ?!」
「驚きすぎよ、タルル。…………だからね、いいの」
が笑って、右腕を差し出す。タルルは驚いて頭がついていかなかった。ただ最初から最後まで彼女には勝てる要素などなかったのだと思っていた。
の柔らかな手を握って、タルルはこの手だけは離すまいと誓う。
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