わたしが目を覚ましたのは、頬に誰かの手の感触を感じたからだった。ついでヒタヒタと弱い衝撃を与えられて、起こされていると理解する。わたしはゆっくりと目を開けて、自分が椅子に座らされていることを理解した。
「あ、起きたっす」と右から聞こえて、それがわたしの頬に触れていた人だとわかる。けれど横目に見た彼は、人ではなかった。
「起きたかね。お嬢さん」
ぼんやりする頭をなんとか動かして、声のしたほうに向く。そこにいたのは先ほど銃を持って駄菓子屋に現れた紫のカエルだった。金の目が、わたしを凝視している。ぴこぴこと可愛らしい音をたてながら、水色のカエルが彼の傍にくる。
「見てのとおり、君は捕まっている。理解できるか?」
「うん…………じゃなくて、はい」
「なかなか賢いお嬢さんだ。タルル」
水色のカエルが、紫のカエルに何かを手渡した。それも銃で、先ほどのものよりいささか小ぶりで白い。わたしはまた撃たれるのかな、と思いながら無表情で銃を構える彼を見ていた。
「安心したまえ。これは君を殺すためのものではない」
「………」
「君の記憶を消すためのものだ」
記憶を、消す。誰のとか、何のとか。聞かなければはっきりしないことはたくさんあった。けれど、とっさに目を大きく開いてわたしは叫んだ。「嫌だ!」聞いたこともない声だった。
生まれてきてはじめて、強い拒絶の言葉を使った。心の底から、考えるよりも先に答えが口をついて出た。がしゃん。金属がこすれる音の先、わたしの腕が椅子の肘起きに拘束されている。
二匹のカエルはわたしの声に驚いて、水色のほうが一歩下がった。
「なぜだね」彼は怯まない。
「だって、トロロのこと忘れちゃうんでしょ」
「そうだ。本当に君は賢い」
「だったら、イヤ。わたし忘れたくなんてない」
自由に出来る首を振って、わたしは拒絶する。従わなければ今度こそ殺されるんじゃないかと不安が頭を掠めたけれど、唇をかんでまっすぐに彼らを見た。
紫のカエルが、わたしに一歩近づく。
「君が何をトロロ新兵から聞いたのかはわからん。だが、君は脅威だ」
「わたし、聞いてない。聞いたのはとても些細なことだもの」
「それを私たちに信用しろと? 無理な相談だ。疑惑は簡単には晴れん」
「でも、本当よ。わたしは彼の仲間のことしか、聞いてない。ねぇ、隊長さん」
それは賭けだった。これ以上、わたしが彼から何かを聞いていると露見することは避けなければいけないとわかっていた。けれど、調べればバレることならば言ってしまってもいい気がした。
隊長と呼ばれて、初めて紫のカエルが表情を動かした。驚いているような、嘆いているような。
「仲間を売る、という言葉を知っているかね」
「知ってる。でも、聞いたことだから。ヤンチャな突撃兵に無口なアサシン、注射の好きな看護長、そして厳しい隊長。わたしが聞いたのは、これがすべて。彗星の話もしたけれど、これも軍事機密かしら」
声が震えていた。こんな駆け引きはわたしには向かない。笑っているかどうか自信がない。
震えているのはこの紫のカエルのせいだ。目の前で、視線をあわせているだけなのに心を吸われるような気分になってくる。自分に勝ち目などないと敗北を突きつけられて、わたしは何度もくじけそうになった。
「我々がここにいる理由を、知っているかね」
「……………トロロは監視、って言ってたけれど」
「そうだ。ではなぜ我々が同胞を監視しなければいけない立場にあるかは、理解できるか」
わたしは正直に首を振った。
そういえば謎だ。なぜ彼が、彼の仲間を見張らなければいけない立場にあるのか。トロロは「嫌なヤツ」がいるとだけ言っていたけれど、そんな因縁は関係ない気がする。
「我々の同胞には、地球人に唆されているのではないかという疑いがかけられている。実際に現地で指揮をとる隊長が捕虜となり、侵略は遅々として進んではいない。君が知るとおり、日常に変化はないだろう?」
確かに、突然軍隊が出撃したり学校が休校になったり、東京タワーが破壊されましたなんてニュースは聞かない。
「………………友人というものは厄介だ。軍人としての判断を鈍らせる。君の存在もそうだ。トロロは若い。若い彼が道を踏み外そうとしているのならば、私は正さなければいけない」
声はどこも揺らいでいなかった。けれど、なぜかわたしには不自然に聞こえた。まるで、悔いているような言葉だ。今度こそはと願う、祈りにも似ている。
「まるで、道を踏み外した子供を見たことがあるような話し方だわ」
「……………君には関係のないことだ」
「うん。でもそうか。わたしは本当に彼の邪魔なんだね」
地球に傾倒してる仲間を監視する立場にある彼が、地球人の友人を持っているなんて可笑しな話だ。小学生だってそれは間違いだと気づくに違いない。わたしは自分の膝を見つめた。
「…………記憶を消す前に、ひとつだけいい?」
「なんだね」
「トロロに会いたい」
膝から視線をあげると、紫の彼を強くにらんだ。負けないように、これだけは叶えてほしいと思って真剣に見つめた。彼は一瞬呆れるような顔をしたあと、傍にいた水色のカエルに「タルル上等兵」と声をかける。すぐに腕の拘束が外れて、わたしは腕をさすった。
「10分だ。それ以上は許すことは出来ない」
「うんっありがとう!」
「では、タルル上等兵についていきたまえ。鍵は彼が持っている」
「鍵?」
首を傾げれば、彼が苦々しく呟いた。
「君の記憶削除に反対して暴れたのでね。トロロは独房につないである」
|