取り返しのつかないことをしたのだろうか。 とんでもなく大きな問題を、は何度となく自問していた。部屋の中はぼんやりと明るくて、窓の外が晴れているのか雨が降っているのかわからない。ついでにカーテンも閉めきっていたので、昼か夜かり区別さえつかなかった。けれどにとっては外の天気がどうであれ、どうでもいいことだった。頭のなかではぐるぐると先ほどから同じ質問が、ハムスターの回し車並の速さと果てしなさをもって続けられている。 「えぇと…………」 前髪をかきあげて視線を彷徨わせてみても事態は一向によくなる気配はない。当たり前だけれど一般人の部類にはいる彼女には特殊な力などなくて、それでもその部屋にいるというだけで彼女は世界一特別な女性であることに変わりなかった。変わらないというのは、つい先ほど、自分に向かって彼らが言い放った言葉である。 『君に恨みはない。だが、君が特別であることもまた変わらない』 突然、名乗りもせずにを取り囲んだ男たちが言い放ったのはただそれだけだった。周囲が唖然とするのをまったく気にせず、男たちはを連れ去った。自分たちがしている行為がまるで正義そのものであるかのように自信に満ちた作業だったので、は為されるがまま車に詰め込まれ薬で眠らされて、気付いたらこの部屋にいた。 部屋にはベッドがひとつあるきりで、絨毯はおろか人が快適に暮らすためのあれこれが欠けていた。ひんやりと冷たい床に座り込んで、は足がじんじんとするのも構わず同じ姿勢でい続けている。白い壁が重なり合う四隅をじっと見つめ、安っぽいパイプで出来たベッドの線をなぞり、シーツの白さにまばたきしながら。 「…………わたし、取り返しのつかないことをしてしまった?」 ようやく声に出せた言葉は、ベッドから起き上がって最初に口に出したものと同じだった。けれどそれから随分たっているはずだ。時計がないからわからないけれど、時間は確実に進んでいる。 起きたときはかなりパニック状態だった。一般人らしくこの非常事態におののいていた。扉にかけてある鍵は彼女を追い詰めたし、白い壁は心を圧迫し、唯一の窓は手がとどかないことで絶望を与えた。音といった音もなく、世界から隔離されたはどんどん孤独になっていった。怖かった。 やがて絶望することに疲れて膝を抱えてうずくまっていたに、ようやく声がかけられた。ざさざ、という電子音に顔をあげるとちょうど見上げるくらいの位置で景色が四角に切り取られている。目をしばたたかせると、テレビのチャンネルが合わさるようにぱっと四角の中に映像が現れた。そこに映っていたのは、 「ケロロ!」 だった。緑の体と能天気に大きな目をした彼が、こちらを見ている。は驚いた後に一瞬からだを強張らせるようにして泣き出した。怖かったぁ。救われたわけでもないのに、彼の顔を見た途端に安心してしまってしゃくりあげながら泣いてしまった。 今にして思えば、はこの一連の出来事が侵略者たちの所業ではないことを当然のように理解していたのだ。絶望と戦っている間も、ほんの少しも疑わずに。 「よかったであります。殿は、ひどいことをされてなくて」 あんまり自然に彼らを信じていたせいで、はその言葉の違和感に気付けなかった。 ケロロは事情をかいつまんで話してくれた。地球側に自分たちの存在が知られてしまい、それは決して友好的な状況を作り出しはしなかったこと。冬樹が言っていたブラックメンは本当に居て、今回を連れ去ったのもその一味らしい、ということ。 「戦うの?」 難しい話はわからなかったけれど、記憶の中の男たちは鬼気迫る様子だった。 ケロロは大きな瞳を半眼にして、肩を竦めた。どうでありますかなぁ。男たちとは違い、少しも動じていない。明日の天気でもあてるような口調だった。 「あっ、そうだ。殿に、選んでほしいであります」 「…………な、にを?」 「我輩たちのこれから」 ケロロは貼り付けた笑みを作って尋ねた。 なぁに簡単なことでありますよ。構えずに答えてくれればいいでありますからして。 うそ臭い笑顔は、彼にまったく似合わなかった。 「言葉にしなくていいよ。頷くか、首を振るかで」 ケロロの声はおっとりとしていたのに、まったく言葉を挟み込ませない拒絶が感じられた。 「間違っていたのは、我輩?」 は首を振った。意志をもって、そんなことはないと伝わればいいと願って必死に首を振った。画面の中で、ケロロがようやく笑ってくれたような気がした。 「ありがとうであります」 砂嵐がと彼とを遮断する前に、彼女は見てしまう。恐ろしく冷たい瞳の奥で、彼が決意したものの重さを。 男たちは正しかった。は侵略者たちにとって限りなく特別な存在だったのだ。 ケロロが消えて、元の殺風景な部屋に戻ってからはずっと答えの見つからない問いを繰り返している。座り込んだままの足はじんじん痺れてきたけれど、立ち上がることも腕一本動かすことも出来そうになかった。 ケロロは何も言ってくれなかった。助けるという約束も、自分たちがこれからすることも。戦わないと言わなかったのだから、彼が戦っていても不思議はない。なによりはケロロの問いを否定したのだ。間違っているのは自分だと思うかと問われたから、心を込めて否定をした。状況の全体像などまったく把握できていなかったくせに、はの考える限りで判断してしまった。迷う要素などひとつも見当たらなかった。 「…………迷って」 いたのだろうか。ケロロは彼の抱えた状況に対して、迷い悩んで答えをだせずにいたのかもしれない。 だとしたら、の答えが彼を動かすなんらかのきっかけになってしまったことは明白だった。視界の奥に、決意を固めたケロロが浮かんでは消えていく。彼が何を決めてどこにいったか考えたけれど、はケロロではなかったのでわからなかった。 『ありがとうであります』 お礼なんてしなくていいから、また顔を見せてほしい。 聞きたいことが沢山あった。部屋に一人きりでいるわたしに安心したのはどうしてなのか。(ひどいことをされてるなんて、どうしてそう思ったの)戦うのかと聞いたとき、どうしてあんなに余裕だったのか。(戦えば勝利できると知っていたから?) なにより、どうして「間違っていたのは」なんて聞き方をしたの。そんなふうに言ってしまったら、今回のことではなくもっと初めからのわたし達を否定してしまうことになる。(それとも全てが間違いだったかもしれないと、あなたは迷ったのでしょうか) はまぶたを閉じる。ゆっくりと涙が頬を伝った。ここから逃げ出す術を持たない自分が恨めしく、もし出られたとしても現実を受け止めきれる自信があるのかわからなかった。 取り返しのつかないことをわたしはしたのでしょうか。 |
苦悩する能力
(08.08.31)