タママにとって、地球は温くて柔らかい水の中のような世界だった。ケロンよりも随分優しく作られた世界は、特に自分には都合がよかった。自分とよく似た性格の友人も作ることができたし、毎日がお祭りのようで休日のようで、何も強要されない自由をひたすらに享受していた。けれどそれは本当の自由ではなかったなんて今更気づいたところでどうしろと言うんだろう。 休日などではなく、自分たちがしていたことの全てが、まったくの間違いだとしたら? 「タママさん?」 いつのまにかぼうっとしていた頭を振って、タママは呼ばれたほうを向く。アンゴル族の娘は、そんなタママににっこりと微笑んで、大丈夫ですかと問うた。自分だって、クルルの助手としてパソコンから一時も離れずにいたのだから辛いだろうに、そんな姿は一切見せない。だからタママも、自分だって疲れた仕草など見せてやれるわけがない。 「大丈夫ですぅ。ボクのことは放っていいから、自分の仕事にもどんないと曹長さんに怒られますよぉ」 微笑めなかったのはいつものことなので、タママは自分の演技に拍手を送る。満点だ。 モアは背中を向けてしまったタママをしばらく見つめたあと、何を思ったか彼の後ろに座った。ふわりと重さを感じさせない座り方に、なぜか鳥肌がたつ。 「タママさん、タママさんはどう思われますか」 「な、なにがですぅ」 「おじ様がさっき、さんに質問したことです」 モアの声はいつもと一緒なのに、どこには日常会話らしい自然さがなかった。不自然に高く、緊迫感がある。タママは振り込むことが出来ずに、それでも答えた。 「間違っていたのは誰か、ってやつですかぁ?」 「そうです」 「ま、間違ってなんかいないに決まってますぅ」 「本当に?」 間髪いれず、モアは聞く。声の硬さが増して、言われた瞬間にどきりとした。 本当に、間違っていたのは自分たちではなかったのだろうか。侵略をしに来た星で、のうのうと暮らしていたことは正しかったといえるのだろうか。そしてそれを認めてくれる人たちを失ってしまった今、誰に確認することが出来るのだろう。 モアの声はタママの不安のとおりに、彼を糾弾する。 「本当に、正しかったんでしょうか。おじ様は侵略をしに地球に来たのに、それをせずにいるのは正しかったといえるんでしょうか」 「だって、それは………」 「冬樹さんのことも、夏美さんのことも、本当におじ様が侵略をしようと思ったら理由になんてならなかったと、そう思いませんか」 言われた瞬間に、思わず振り向いた。モアは律儀に正座をして、タママをまっすぐに見ている。その瞳はいつもの明るい光はまったく宿していなかった。暗く深い、闇のような黒さだけを纏っている。 「もし」 モアの手に杖が現れ、そのまま擬態解除が行われる。光と共に紫の衣装を纏った彼女は、星の断罪者だった。 「おじ様が望めば、モアはいつでも地球を破壊するつもりです」 「そんなこと!」 「………はい。おじ様はそれを望まないでしょう。でもそうするべきだったかもしれないって、モアはときどき思うんです。タママさん。きっとおじ様だって、間違ったのかもしれないって思ったんじゃないでしょうか」 だからが見つかったとき、その真意を彼女に問うたのだ。 自分で出さなければいけないその答えを、彼女に預けた。ケロロがその答えに納得したかは定かではないけれど。 「じゃあ、お前はボク達が悪いって言うんですか」 タママは目じりが熱くなるのをこらえて、きっとモアを睨んだ。 西澤桃華は冬樹と一緒にいるときに連れ攫われた。世界の経済を握っている富豪の娘を誘拐するなんて、彼らは相当本気らしかった。今は親衛隊を中心に、全世界が彼女の捜索にあたっている。 強い彼女のことだからひどい目にはあっていないだろうと思う。けれどそんなのはただの推測だ。タママは考えるたびに恐ろしくなる想像を誤魔化すために『モモっちは強いから』と祈るように思っている。強いから、どうか無事でいて。 その願いすら間違いだなんて、言う権利が誰にあるんだろう。 「ボク達が悪くて、今までの生活は全部間違ってて………出会ったことすら意味がないことだって、お前は思うんですか」 「………」 「ボクは………ボクはそんなことぜったい、ぜったい………!!」 思わない。のではなく、思いたくない、とタママは小さく呟いた。 自分たちの我侭で迷惑をかけた人たちを思うと、簡単に言い切ってしまうことはできなかった。自分の弱さに、ひどく打ちのめされる。 モアはそんなタママを相変わらず平たく黒い目で見つめて、不意にすっと立ち上がった。 「モアは、タママさんのその問いに対する答えを持っていません」 立ち上がったモアはタママより随分背が高いから、どうしても見上げなければいけない。 モアは手をかかげて杖をしまうと、いつもの女子高生姿になる。 「モアはたくさんの星を壊してきました。そのどれも間違ったとは思っていません。けれど、だからといって、この星を壊す理由にもならない」 「…………」 「モアもわかりません。………ただ少しだけ怖いんです。ここで足踏みをすることが、この星を特別に思うことが」 少しだけ歪んだ表情をした彼女は、見た目よりももっと大人びて見えた。苦しそうに、唇を引き結ぶ。 「この星よりも美しい星を、わたしはためらいもなく壊しました。おじ様だって、今までに侵略した星がどうなったかわかっていらっしゃる。だから、やっぱり、怖いんです」 泣いているのかもしれない、とタママは思う。モアは心の中で泣いているのかもしれない。心の底から願えない、大切なものの在り方に悩んでいるのかもしれない。そして彼女の悩みはケロロによく似ているから、この少女は彼に惹かれるのかもしれない。 モアは言う。苦悩の果てに出してしまった声は、とても苦しそうだった。 「今更ためらうのか?って言われたら、モアはどうすればいいんでしょう」 多くの星を壊してきた自分がこの星を壊さないことを、大切に思うことを正当化してしまったら、「間違い」ではなかったとしてしまったら、過去すべてを裏切る結果になってしまうんじゃないだろうか。 それが怖いといって、誰よりも強い娘は泣きそうに笑った。 |
置き去りの傷跡
(08.08.31)