とても遠い場所に来てしまったものだと、改めて自分を見て思う。 別に場所が、という意味ではない。ここはわたしの部屋だし、着ているものも肌の色も全てがいつもどおりだ。オールグリーン。問題なし。でも、あぁやはり遠くまで来てしまった。ここはもう此処ではない。移る景色が進む時間が、瞬きの間に変わる思考がそうわたしに告げていた。ここはもう、違うよ。お前は遠いところに行ったのだ。
わたしの部屋。 窓がある。 大きいとは言えないけど、小さいとも決して言えないようなガラスの張った逃亡口。 今はカーテンが閉めてあるからわからないが、外には暗い空が広がってる。 わたしが二時間ほど前に居たときは夜中だった。 天気予報は雨だと言っていたけれど、きっと雲などないに違いない。 気まぐれにそっとカーテンに触れた。机も本棚もドアノブも同じように触れてみた。 どれも同じように熱を持っていた。 本当は冷たいのだろうけれどそれはわたしが生きていた分の熱を持っていた。 使い込んだ道具に命が宿る。ほのかな明かりが指を伝う。 あぁ、でもごめんなさい。わたしはもう本当に遠くに行ってしまうから。 あなた達の命もきっと終わりを迎えるのでしょう。
お気に入りの洋服を無造作に鞄に突っ込んだ。 あとは下着を何枚か。それとさっき買ってきた御菓子を放り込む。 キャリーバックが一杯になった。カラカラと音を立てる車輪は悲しみにくれているようだ。 わたしは部屋から出た。しんと静まりかえった冷たい空気と僅かな明るさに早朝だということに気付く。 玄関を開ける。息が白い。やっぱり晴れていた。 そのままどこに向かうこともなく歩いた。カラカラカラカラ。連れゆく音が鼓膜に優しい。 カラカラカラカラ。 カラカラカラカラ。 あぁわたしは本当に遠いところにきてしまった。
お母さん、わたしにはとても欲しいものが出来ました。 全てを捨てても、失くしたくないものです。 お父さん、わたしには愛する人が出来ました。 話してもわかってもらえるかはわかりません。 ですから、何も言わずに行くことにします。 ごめんなさい。わたしの生きてきた証は連れていけないけれど。 あなた方の記憶からわたしも消えるので、悲しむことはないでしょう。 悲しまないことを、わたしは祈っていますから。 どうかこの親不孝な娘をお許しください。
でも聞いて欲しかったことは沢山ありました。 わたしが彼とどんな風に出会い、 何の話をして、 他愛無い喧嘩や照れくさい仲直りを繰り返し、 全身全霊をかけて愛していると言えるようになったのか。
それはもちろん、一朝一夕ではなかったのです。
信じてください。 わたしは連れ攫われるわけではないのです。 自分の足で彼の元に行くのです。 頭では理解しています。精神も安定しています。
あぁ、でも本当はもっと幸せな未来があったのかと思うと居たたまれなくなる。 わたしのことではありません。 わたしは幸せすぎて、目眩を起こしそうなのだから。 けれどその分、両親や友人の心に穴が開くと思うと、振り返り謝りたくなるのです。
でも、わたしのことはどうか忘れてください。 わたしはわたしの幸せを掴むためだけに行きます。 後ろを振り返ることすらしないわたしのことなど忘れ去ってしまってください。 自分の幸せしか願えない、不出来な娘のことなどもう思い出さないでください。
でもわたしは忘れません。振り返ることはしませんが、決して忘れることはないでしょう。
それがわたしの罪だと、生涯思って幸せに暮らしていきます。
彼の傍を離れることなく、悲しみにくれることなく、幸せに、これ以上のものなどないように。
あぁ、あぁ、でも。宇宙から見た地球は美しすぎて。 わたしは涙が止まりませんでした。
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