「ごめんなさい!遅れたわ!!」
本部の中、お昼時はとても混む食堂は三時を過ぎたので空いている。いくつもの長テーブルが並ぶ隅に、わたしのお目当ての人物は座っていた。彼女はこちらを見て、少し微笑んで手を振った。
「プルル、お疲れ様」
「えぇ、ごめんなさいね。出掛けに 急患が入って手間取ったの」
「いいよ。急に呼び出したのはこっちだし」
にっこりと笑うは、とても軍人のようには見えない。その手にあるコーヒーカップに口をつけて、はとてもゆっくりとコーヒーをすする。プルルは向かい側に座り、の瞳がこちらに向けられるのを待つ。
「あのね、呼び出したのは少し相談があったからなの」
「相談?」
おっとりとした外見のために、相談などとは無縁だと思っていた。思い悩むという姿が想像できない。けれどは深刻そうな顔をして、「あのね」と切り出した。
「軍人て、とても大変な職業だと思うの。自分のミスや苦手分野が命取りになる場合がある」
「そうね。………まぁ、一理はあるわ」
「ありがとう。プルルならそう言ってくれると思ったわ。弱点は克服したほうがいいわよね」
そこで、は言いづらそうにちらりとプルルを見た。その瞳に、プルルは一瞬寒気が襲う。どこかで見たことがある瞳だった。とても幼いころ、よく見ていた目だ。懐かしいくせにもう二度と見たくない類の――――。
「プルル?」
「え、あぁ……、それで、どうしたの?」
「うん。それでね、わたしガルル小隊にちょっと苦手を克服してもらおうと思ったの」
「え? なんで、よりにもよってうちの部隊なの?」
「だってプルルは無事でいて欲しいもの。だから、ガルル小隊がもっともっと強くなればいいと思ったの」
心臓が、すごく早く脈を打っている。もちろんプルルの心臓のことなどにはわからないだろう。だがしかし、プルルは自分が生きてきた中でこれほどまでに五月蝿い心音を聞いたいことがない。あの曲者ぞろいの小隊に苦手克服?しかもその言葉のどれもが過去系の場合、プルルにできることはなんだろう。この友人を一刻も早くこの星から脱出されるすべなどあるのだろうか。
プルルは深呼吸を大きくして、を見据える。きょとんとした大きな瞳でこちらを見てくるは、とても無垢だ。
「わかったわ、ありがとう。あなたが私を思ってくれたのとても嬉しい。それで、具体的に、何をしたの?」
「うん、あのね、小隊ってどこにでも派遣されるでしょう?だから、何でも食べられなきゃいけないと思って」
にっこり、とは笑った。
「この前テレビでやっていた、象も気絶する宇宙トウガラシをたっぷり練りこんだクッキーをタルル君にあげたの。彼、とても喜んでくれたんだけど目の前で食べてくれなかったから結果がわからなくて……………でも何事もないんだったら、彼の胃袋はきっと象よりも強かったのね」
「……………」
プルルはそっと、きらきらと輝くの表情から視線をずらす。先ほど入った急患というのが、その象も気絶させるという宇宙トウガラシを食べたタルルだったということは、彼女には告げないほうがいいだろう。この無垢な瞳は寸分たがわずタルルが強いのだということを信じてしまっている。
プルルはすっと立ち上がり、食堂をでようとに言う。とりあえず、この子を非難させなければ危ない。彼らだっていついかなるときでも紳士的とは限らないのだから。
* * * * * * * *
「それでね、戦場では忍耐力も必要だと思うの。だって敵はどんな厭らしい戦術を使ってくるかわからないでしょう? どんなときでも冷静沈着にものごとに対処しなきゃ、仲間なんて守れない」
「そう、そうね。そうかもしれない」
「うん。それでね、わたしそう思ったから―――」
つかつかつかつか。
本部内の廊下を、プルルはの手を引きながら最速の競歩で(緊急時以外で廊下は走っちゃいけません)歩いている。はプルルに手を引かれながら、それでもおっとりと話を続けた。もう、プルルの表情はさきほどよりも随分青くなっている。
「友達からもらった………えっと、なんとかっていうコンピューターウイルスをね、トロロ君にメールで送ったの」
「ウイルス………?」
「そう、なんでもお部屋から出られなくするんだって」
の話によれば、機械化の進んだケロンの扉と言う扉にロックをかけるウイルスをトロロへのメールに添付し、尚かつトロロの部屋だけに適用して送ったのだという。プルルはくらりと眩暈を覚えた。そういえばガルルがミーティングで、トロロが引きこもったまま出てこないと言っていたのはつい二日前だ。そして今日まで、誰が迎えに行っても扉を開けようともしない彼は、もしかして開けないのはではなく出られないのか。
はにこにことそれでも笑顔を絶やさない。なんでも、彼女もここのところ忙しくて彼とは会っていないのだという。
「でも、待って? トロロは仮にもハッカーよ。彼に解除できないプログラムなんてそうそうないんじゃ………」
「あ、それは大丈夫。作ってくれたの、クルル君だから」
「………………」
あとで地球に行ったら、ソレはもう太い注射をしてあげなきゃいけないみたい。
プルルは視線を前方に向けたまま、暗くなる。を安全な場所に移動させたらまず、トロロを救出しなければならないのだ。彼は必死でウイルスに立ち向かっているのだろうが、クルル曹長のことだから厭らしく大人気ない本気のプログラムを組んでくるに違いない。あぁ、今頃泣いていたらどうしよう―――。
プルルが可哀想なトロロの想像をしたときに、遠くで爆発音を聞いた。
続いて、何かが壊れるような音が連発する。思わず足を止めて窓の外を見れば、遠くの建物からもくもくと黒い煙が上がっていた。
「なに、あれ?!」
「あ、本当だ〜。なんだろうねぇ」
ほのぼのとが応じる。窓から眺めている他の同僚たちもにわかにざわめくのに、だけは首をかしげながらその建物を見ていた。プルルは嫌な予感を覚える。あの建物は確かアサシン専用修錬室だったような気がするのだ。
「ねぇ、」
「うん。なぁに?」
「もしかして、戦士には瞬発力も必要なの?」
「わぁっさすがプルル!わたしのことわかってるぅ!」
ぱちぱちとは手を叩いてプルルを褒め称えた。しかし、プルルにとっては絶望に落とされる拍手であったことは間違いない。
「裏の裏を読んで戦うアサシンだもの。どんなときでも気をはっておかなくちゃね。修錬室の入り口に爆弾をしかけておいたんだけど、やっぱりそんなのバレバレだったのかなぁ」
感心したように頷くの背後で、重々しい音を立てながら建物が倒壊していく。どぉぉん。修錬室への一歩目が、地獄の一丁目だなんていくらゾルル兵長でも知らなかったに違いない。
プルルはもうすでに、のしでかしてしまったことの大きさを測れるものさしを持ち合わせては居ない。
* * * * * * *
例え友人の爆弾のせい(かもしれない)爆発があったとしても、子供を部屋に監禁状態(かもしれない)としても、後輩が味覚テロにあった(かもしれない)としても、とりあえずプルルはが大事であったので、この友人を救う以外に方法はなかった。
軍部は広く、この広い建物の中を移動するのにはいつも骨が折れるのだが、このときばかりは関係ない。あともう少しで中央ゲートだ。ここを過ぎればどうにでも逃げ切ることが出来る――。
つかつかつかつかつかつか。
プルルは足を機械的に動かし、はそれに従順に従う。しかし、人通りの少ない(たぶん、あの爆発のせいだ)中央ゲートで、もっとも出会いたくなかった人物に出会ってしまった。
「どこに行くんだね、プルル看護長」
ゲートの前、二人を遮るように立つのはガルルだった。
プルルはとっさにをかばう。
「あの、これは……!」
「今、我が小隊に起こっている由々しき事態は知ってるか」
「………そ、れは」
「知っているのなら、今すぐをこちらに渡したまえ」
ガルルの表情は真剣そのものだった。気迫に押され、プルルは押し黙る。を渡したくはないが――だって、これは彼女の善意によるものなのだ――ガルルの言い分ももっともだった。
二人の間で葛藤するプルルの肩に、ぽんと手が置かれた。小さくて見覚えのある、の手。後ろを振り向くと、は先ほどと同じように笑っていた。
「大丈夫だから」
そういうなり、はガルルに向かって歩き出す。今まであれほど歩いておきながら、まったく疲労を見せない足取りにプルルは目を瞠る。
およそ一メートル、ガルルと距離をとったはそこでおもむろにぴたりと足を止めた。目だけはしっかりとガルルに据えたまま、その笑顔も同じ様相で。
「指揮官に求められるのは、どのような困難な局面でも起死回生に導く決断力。けれど、それ以上に必要なのは――――」
言葉を切ったのと、が浮いたのは同じだった。
浮いた、とプルルは思った。彼女はいつものおっとりとした様子からは考えられないほどの身軽さで浮いて見せ、その体ごとガルルに覆いかぶさるようにして―――唇を掠め取っていた。たぶん、ガルルにはもう少し詳しく彼女の表情やら動きやらが見えていたはずなのに、彼もまたまったく動けず、の唇に押されるがままになっている。
そしてことさらゆっくり離れたが、右手に何か丸いものを持っているのがわかったのは、それが光りだしたあとだった。
「いつでも自分を見失わないこと。隊長にはそれが大事よ」
光の中、の声だけがはっきりと聞こえる。
* * * * * *
「起きて、プルル」
強烈な光のあと、プルルが目を開けるとそこは本部の中央ゲートではなかった。
目がちかちかとして、視界がはっきりしない。よくよく見れば中庭のベンチの上に寝かされているのだと理解して、自分の頭を支えているのがであるとわかったのは、彼女の声を聞いてから数分後のことだった。よろよろと起き上がったプルルは、視界も悪かったが頭の中もとびきり混乱していた。
そんなプルルに変わらずは微笑む。まるで今までのことはすべて夢だとでも言うように。
「全体として、及第点ね。プルル」
けれど決して夢ではないと、彼女の唇が語りだす。
キュウダイテン? 首を傾げたプルルには丁寧に説明した。
「つまりね、これは抜き打ち検査だったの。ガルル小隊がちゃんと常日頃から軍人としての矜持をもって生活しているかっていうことについて。これは査定にも響く大事なことだから、とても慎重に行動を起こしたの。ちょっと大がかりになってしまったけれど」
ちょっと。
あの爆発を「ちょっと」で済ませるは、飄々としている。
「ガルル隊長も含め、全員合格ね。タルル君はおなかを壊しただけだし、トロロ君はついさっきウイルスの対抗プログラムを完成させた。それにゾルル君はあの爆発でも死んでいないし、ガルル隊長は主犯が誰であるのかを見極め、追い詰めた。まぁ、最後の爪は甘かったけれど」
キスひとつで逃がしてくれるならやすい、とは事も無げに言う。
「そしてプルルはわたしをちゃんと逃がしてくれた。味方の救助は看護長の役目だものね」
そう言って、は紙を取り出しさらさらとペンを走らせる。それを折りたたんで、まだくらくらとしているプルルに握らせた。
「検査は終了。付き合ってくれてありがとね。今度は仕事抜きで会いましょ」
片目で器用にウインクしたはベンチから立ち上がると、さっさと背を向けてその場をあとにした。プルルは怒涛のように押し寄せてきた情報に、脱力するやらほっとするやらで、なんとなく一時間くらいぼうっとしていた。見上げた空は、どこまでも平和に青かった。
本部に戻る途中、にもらった紙を取り出して読んだ。そこには短く「少佐に昇格したの、今度祝ってね」と書いてある。最後まできっちり爆弾を投下していった友人に、プルルは今度こそ観念して、お祝いは何がいいだろうと笑った。
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