ツイてない、と言うしかない。 わたしは抱えた荷物を持ち直しながら、眼前に広がる光景についての感想を持つ。季節は冬なのでしっかりとコートを着込んでいるはずなのに、目に見えないブリザードが吹き荒れているせいで寒い。言葉を交わしているのは少ないはずなのに、どうしてこんなにも寒くなれるのだろう。ここは実は北極とか南極なんじゃないだろうか。 「だいたい、時計屋がどうしてここにいるんだ?」 ゆっくりと、ことさら強調してブラッドが言う。対するユリウスはわたしと同じように茶色の紙袋を抱えたまま、眉すら動かさずに答えた。 「それはこちらの台詞だ。お前の領地は秋だろう」 クローバーの敷地内にある冬の間でも開かれている市場の中で、わたしはなんだかものすごく帰りたい事態に陥っていた。ブラッドとユリウスはどちらも一歩も引かずににらみ合ったまま、同じような会話を繰り返している。 そもそもわたしは自分の買い物のために外出したはずだった。新しいひざ掛けが欲しいと思っていたので雑貨屋に立ち寄り、結局いろいろな店を回って髪留めやら服やらを買い込んで満足しながら塔へ戻る途中にユリウスに会った。珍しく外出をしている理由を問いただせば彼も買出しを終えて帰るというので、では一緒に戻ろうかと言う話になったのだがそこで偶然冬に訪れていたブラッドに鉢合わせしてしまった。わたしはにこやかに挨拶をしながら、この危機は回避できるのか素早く判断する。ブラッドの機嫌はよさそうだった。 「やぁ、。時計屋とふたりで出かけていたのか?」 「ううん、ユリウスとはそこで会って…………ブラッドはお忍び?」 「あぁ。冬になど興味はないが、君と雪を見るのも悪くないかと思ってね」 にっこりと至極楽しそうに笑うブラッドに寒気が走った。彼はまったくユリウスのことなど見ておらず、だからこそ余計に敵意が目立ってしまう。わたしは顔だけ笑顔にしながら頭の中で警報が鳴り響くのを聞いていた。ユリウスが相手にしなければ喧嘩に発展することはないが、口げんかだって壮絶を極めるに違いないのだ。 幸いなことにふたりの腹心はいないのだから、いきなり発砲される心配もなければ剣が振り下ろされることもない。 「そうだね、せっかくだしどこかでお茶でもする?」 「お嬢さんが誘ってくれるとは嬉しいことだ。君の贔屓にしている店に連れて行ってくれ」 「贔屓っていうわけじゃないけど、それなら――――」 「…………おい」 ここはわたしがブラッドを連れ出せばいい、とばかりに歩き出そうとした腕をがっちりと掴まれた。思わず取り落としそうになった荷物によろめくと、ユリウスとはっきり目があう。むすっとした顔のまま、見下ろされると迫力があった。 「な、なに。ユリウス」 「お前は…………この前体を壊したのをもう忘れたのか。あまり外に出すぎるなと塔の連中にも言われているだろう。どうせ、今回も抜け出してきたんだろうしな」 「え、あ…………」 「なんだ、時計屋。それならお前が黙っていればいいことだろう」 左腕だけで抱えていた荷物をひょいと奪われ、見るとすぐ傍までブラッドが来ていた。瞳がひどく楽しそうに歪められている。対照的にユリウスは眉間に皺を刻んだ。 「私に黙っていろだと…………?」 「そうだ。私とお嬢さんの逢瀬を邪魔しないでもらおう。だいたい抜け出せるのだから数時間帯くらい長引いたところで問題はない」 「夢魔が騒ぎ出すと私の仕事にも影響するんだ。やれどこに行っただのと騒がしい…………コイツが戻っていれば済むことだ」 わたしを挟んで始まってしまった会話を経て、冒頭に戻る。 わたしとしては彼らが言い合いを始めなければ塔に戻ろうとお茶をしようとまったく問題はない。むしろユリウスが食って掛かっていることに問題があった。がっちりと掴まれた腕からは力は抜けそうにない。 ブラッドが意地悪げに唇を持ち上げる。 「ではこうしよう。お嬢さんは私が無理やり奪っていったことにすればいい」 「…………は?」 「ナイトメアにはそう伝えてくれ。お嬢さんは帰りたかったのだが私に誘われて仕方なく付いていった、とね。そうすればお前の仕事の邪魔にもなるまい」 「どうしても見逃して欲しいらしいな…………」 「欲しいんじゃない。…………その手を離せと言っているんだ」 簡単なことだろう、とブラッドは声音を低くして言う。左手をブラッドの手がやんわりと握ってきた。それと同時にユリウスの視線が厳しくなったのを感じ、わたしは更に追い詰められる。 このままブラッドと行けばユリウスの顔がたたないし、ユリウスと戻ればブラッドを傷つける結果になるだろう。どっちに転んでも次回が恐ろしいことになるのは目に見えていた。かといって折衷案などが―――ブラッドを塔に招くわけにも行かないし、ユリウスをお茶に誘ったところで来るわけがない―――――でるわけでもない。 「だいたい、ナイトメアといいお前といいについて過保護すぎる自覚はないのか。あれも駄目これも駄目と…………彼女は立派なレディだろう」 「立派なレディがエイプリルシーズンに浮かれてタチの悪い風邪を引いたんだ。世話をするヤツラのことを考えてみろ。いい迷惑だ」 「まるでお前が世話をしたような言い方だな時計屋。お前は大して何もしていないだろう」 「なぜ私が看病などしなくてはならないんだ。そんなものはしたいヤツラがすればいい」 「では私が喜んで引き受けよう。が風邪を引いたのなら私が献身的に看病してやるから、お前は何も気にせず仕事をしてくれ」 静かに火花が散っているのが、頭上で聞こえる気がした。ふたりとも背が高い上に人を挟んで話をしているのでまったく表情が読み取れない。けれど道行く人があまりにも露骨にオドオドとしていることから大層険悪な雰囲気になっていることが窺えた。というか、彼らがこんなに長いこと会話をしているのを聞いたのは初めてだ。 「ふ、ふたり共とりあえず場所を移動しよう、か?」 周囲の視線に居たたまれなくなって足元を見ながら言う。ブラッドは言わずと知れた有名人だしユリウスだって滅多に外に出ないだけで名前なら誰でも知っているだろう。そんなふたりが往来のど真ん中で口論しているなんて情報、いち早くあの腹心たちに届いてしまってはことだ。とりわけ耳のいいウサギさんは迷子の騎士より早く飛んでくるに違いない。 けれどわたしの意見は却下されることになる。ざわ、と人ごみではないどよめきが広まったからだ。 「場所を移動したいのは山々だが…………面倒なことになったようだ」 「貴様のせいだぞ、帽子屋。いらんものを引き連れてきたものだ」 うんざりしたユリウスの声。わたしは重たい頭をあげた。けれど目に飛び込んできたのは見慣れた冬の町並みではなく、あまりにも分かりやすい黒ずくめの集団だった。びくりと驚いた体を支えるように強く手を握られる。 「私への刺客と決まったわけじゃないだろう。お前だって狙われている」 「私はお前ほど敵が多くない。こんな真っ昼間に狙ってくるような馬鹿は知らん」 「その意見には同意する。…………よくも人通りの多い場所で武器を出したものだ」 ふたり分のため息が零れる。どうしてこの人たちは狙われているというのに敵の神経を逆なでするようなことばかり言うのだろう。黒ずくめの男たちはてんで違う武器をたずさえ、ナイフや銃を構えているというのに武器を持たないふたりに怯えているようだった。これではどちらが刺客で奇襲をかけているのかわかったものではない。 「か、観念しろ帽子屋ぁ!」 「ほら見ろ。お前を狙っているんじゃないか、帽子屋」 「…………ふぅ」 じゃき、と不穏な音が聞こえた。その音が聞こえたと同時にわたしはさっと血の気がひく。ブラッドの沸点はどんなものより低いのだ。彼の武器であるマシンガンなど取り出されれば形勢逆転どころの話ではない。 「に、逃げよう!」 「っ?!」 「お、おいっ。!」 ふたりが手を離さないのをいいことに、わたしは駆け出した。町中でマシンガンを乱射されればどうなるかなんて考えたくもなかった。それにあの様子では立ち向かうのがやっとの刺客の末路など目に見えている。 成人男性をふたりも走らせながら―――ふたりはそもそも走るつもりがない――――追いすがる声がようやく途絶えたところで、わたしは足を止めた。久しぶりに走ったのですぐに息があがってしまう。 「なぜ、私が走らなくてはならないんだ……?」 「…………お前が狙われたんだろう。というか、私は狙われてもいないのに走らされたんだぞ」 「どうして息があがってないのよ、ふたりとも」 けろりとした顔でふたりは心外だと言わんばかりの態度を示している。確かにブラッドの力なら逃げなくともその場を切り抜けられただろうし、ユリウスにいたってはとばっちりなのだろうが、広場を血の海にすればグレイの仕事も増やすことになる。わたしは心臓を抑えながらブラッドを睨みつける。 「町中でマシンガン撃とうとしたでしょう」 「…………さぁ、どうだろうな」 「とぼけないで。構えていたでしょう!」 「私よりも時計屋のほうがやる気があったぞ? なにせ工具を握ったままだったからな」 「…………ユリウス?」 「…………………」 言われてユリウスを見れば、彼は肯定も否定もしなかった。 狙われたブラッドはともかく、なぜユリウスまで戦闘体制に入ってしまっているのだろう。流れ弾にあう確率にしても、さっさとその場を去ったほうが有効的に思える。 「とにかくもう疲れた…………」 走ったせいで膝は笑っているし、体がだるい。病み上がりを甘く見すぎていたらしい。 それなのに表情を変えないブラッドとユリウスにちょっとした怒りを覚え、わたしはふたりの手を取って歩き出す。抗議の声をあげたのはユリウスだ。 「何やってるんだ、お前。どこに行く」 「お茶ってさっき言ったでしょう、ユリウス」 「ちょっと待ってくれ、お嬢さん。まさか時計屋も一緒なんて言うつもりじゃあ」 「そのまさか。ブラッド」 くるりと振り返ってわたしはこれ以上ないほど笑顔になって見せた。 「足が痛いし喉が渇いているし、くたくただから休みたいの。同席者が気に入らないんであれば、わたしはひとりで行くのでご自由に」 言うなりぱっと手を離し、すたすたと歩き出す。座って休みたいのが本音だったし、少しは怒っていることを示したかった。 背後で大きなため息と笑いを堪えるような気配がして、数秒後にわたしの両脇には並んで歩く影ある。ブラッドは先程より楽しそうで、ユリウスはいかにもうんざりしているようすで。 「同席者は不満だが、君の機嫌をとるほうが優先だろう。お嬢さん?」 「まったく…………お前には呆れる」 ふたりらしい降参の台詞にわたしは拗ねた表情を作り続けることができない。すぐに笑い出してしまい、ユリウスの小言が飛んでくる。三人で並んで歩く道は奇妙に愉快で現実味がなかった。 結局入るお店でもひと悶着あり、紅茶と珈琲で揉めるふたりを引きずって甘味処の暖簾をくぐることになるのだが、頼んだお汁粉があんまりにも美味しかったのでわたしはとても満足だった。 |
In an ironic way
(皮肉な流儀で)
(10.05.01)
怜悧さまに捧げます!