宿無し猫












テラスのある大きめのカフェの隅、青々とした葉が生い茂る木の下に設置してあるテーブルでは紅茶を飲んでいた。数分前に頼んだパンケーキはとてもおいしそうな匂いをさせながら運ばれてきたのだけれど、手はつけていない。久しぶりに感じる外気に慣れるのに必死で、広めに取られたテラスにさえ居場所がないように感じて居心地が悪かった。


「ごめんなさい、待った?」


待ち人が現れてようやくわたしはこちら側に戻ってくる。うまく息を吸えることを確認して、は微笑んだ。


「いいえ。ちっとも」


パンケーキは手をつけていなかったので、20分ほど待っていたことは悟られていないはずだった。プルルは向かい側の席に着くと、四角いしっかりとした作りの鞄から書類を一枚取り出した。


「これが検査結果。傷の後遺症はないし、クルル曹長に飲まされたっていう薬の副作用も見られないわ」
「そう。よかった」
「でも本当に見事ね。彼、本業は違うでしょう。それなのにこれだけの薬を完成させるなんて」


感心するように顎に手をかけてプルルが言う。どうやって飲まされたかは敢えて言わなかった。ただ説明するとき吐き捨てるように、「飲まされた」と言ったので、配慮してくれているのだろう。


「ケロロにせがまれたって言っていたから、どうしても作らざるを得なくなったんでしょう。わたしにしてはありがた迷惑だった」
「そう言わないで。あたしはが回復してくれて嬉しいんだから」
「…………プルルにそう言われると、わたしは頭があがらないわね」


ギロロと同じくらい熱心にプルルは治療を進めてくれた。それを断り続けていた日々は、どちらにとっても苦痛だったに違いない。
クルルにあんなことをされるくらいなら、まともな治療を受けた方がマシだった。いつからあいつのものになったというのだろう。信じられない。


「まぁ、いいや。それ相応の報復はさせてもらったし」
「え?」


紅茶に手を伸ばして一口啜る。プルルの顔が奇妙に歪んだ。


「だってムカついたもの。ガルル中尉の監視命令も、それに従ったゾルル兵長も。あとはもちろんクルルもね。ケロロにはひどいことをしたから謝ったけれど、クルルをけしかけたのは彼だから、デコピンしてきた」
「えぇと…………それって、何をしたか聞いてもいい?」


プルルが遠慮がちに尋ねる。わたしは退院して一番ほがらかに笑う。


「ガルル中尉の帽子には可愛らしいハートのアップリケをしてやったの。アイロンでつくやつだから、すぐに出来た。箪笥に忍ばせておいたから着ける前に気付くかもしれないけれど驚くでしょうね。ゾルル兵長は今、左腕のメンテナンスをしているんだけれど、その間のスペアにクマさんの手をトロロに届けておいたわ。箱に入れておいたから、気付いた様子もないし仕方なくつけるでしょうね。最後にクルルだけれど、パソコン関係のことは疎くて嫌がらせのやり方がわからなかったから」


話していると元気が出てきた。ついでに空腹も覚えたので、パンケーキを口に運ぶ。甘くて軽い、しっとりとした味がした。


「軍の、彼の研究室の前にね、貼り紙をしてきてやったの」
「は、貼り紙…………?」
「そう、貼り紙」


もうすでにプルルは真っ青だった。けれど調子に乗ってきたは、もう一口パンケーキを口に入れて笑う。


「わかりやすくシンプルに『くたばれ黄色マリモ』って書いてきてやった。部屋を出たのを見計らって貼り付けてやったし、あそこ結構ひとが通るから色んな人が見てるんじゃないかしら。ちなみに彼、カレーを食べに食堂に行ったんだけど、手を回してカレーは本日売ってないの。うふふ」


カレー狂いの彼はひどくがっかりして、何も食べずに戻ってくるに違いなかった。そして表の貼り紙だ。文句は陳腐だが、墨と筆で本格的なものを書いてやったから少しは苛々するかもしれない。
すっかり話し終えて、最後のパンケーキを食べ終わるとは人心地ついており、先ほどまで感じていた居心地の悪さはどこかに飛んでいた。プルルの顔色が悪いが、どれもこれも可愛らしい悪戯だ。そう深刻になることはない。
ぬるくなった紅茶を煽るように飲み干して、は立ち上がった。


「どぉれ。わたしそろそろ行かなくちゃ」
「え?どこに?」


唐突な意見にプルルが反射的に尋ねる。置いていたバックを持ち上げて、は快活に笑う。


「ちょっと小旅行。身体がなまってるし、悪戯のほとぼりが冷めるまで軍には戻らないつもり。承認はちゃんと取ってあるの」
「……………………」
「プルル? あー…………呆れた?」


旅行に行くにしては小さなボストンバックを椅子に置きなおして、首を傾げる。けれどプルルは一瞬眉を吊り上げただけで、笑ってくれる。


「仕方ないわ。どうせ、止めても行っちゃうんだもの」
「あはは。ごめんね」
「まったく…………あ、ねぇ、うしろのそれは?」


もう一度バックを肩にひっかけると、プルルが椅子の後ろを指差した。は振り返ってそれを確認して、少しだけ照れながら笑った。
一抱えもある花束だった。白と赤と黄色を基調に揃えた上品なものだ。空いている片手でそれを拾い上げる。


「もらったの。旅に出るから邪魔だって言ったんだけど、持ってけって五月蝿くて」
「へぇ」
「退院祝いだって。ギロロにしては気がきいてるでしょ」


病院から出るとギロロが立っていた。悪戯のプランを練りながら、その足で旅に出ることにしていたは驚いて、手に持っているものにさらに驚いた。照れ屋のくせにギロロは真っ赤になりながら、その花束を押し付けるように渡してくれた。旅に出ると言ったら身体にさわるから止めろと言ってくれたし、旅券を買うところまでバックも持ってくれた。やっぱり彼が一番優しくて親切で、せつないくらいに欲しいけれど手に入れられないものだったな、なんては考える。


「じゃあね、プルル。手紙書くから」
「出来れば早く戻ってね。ガルル中尉たちの相手は疲れるんだから」


冗談交じりに言われて、は微笑んで歩き出す。身体のどこにも異常は見られない。踏みしめる両足の感覚、よく見えてよく聞こえる目と耳、つぶれかけていた内臓などなかったような快調さだ。まったくうんざりするが、治ってしまったのなら仕方ない。
背後でプルルが「いってらっしゃい」と高い声を出した。嬉しくなって、振り返って花束ごと手を振る。あんまり乱暴に手を振ったものだから花びらが散った。
生きてるのも悪くないなぁと、は笑う。

















帰ったプルルは、ハートのアップリケのついた帽子をかぶるガルル中尉と、メンテナンス中にも関わらずアサシン部隊に召集されてしまいふわふわのクマを模した腕で出かけていくゾルル兵長と、明らかに様子がおかしいクルル曹長が手にくしゃくしゃにされた紙を持ってケロロの元へ行くのを見た。

彼らがの不在を知るのはもっとあとだ。
プルルは、死にたがり屋の悪戯に微笑んだ。































(08.01.11)