「だからネズミは馬鹿なんだよ。考えなしでろくでなし。いいとこなんかひとつもない」
「そうだね、ボリスの言うとおりだよ。ネズミは馬鹿なんだから、そんなこともわからない」
「わからないから馬鹿なんだろうね。ちょうどいいや、ボリス。ここにナイフがあるから食べちゃっていいよ」
「そうだよそうだよ。食べちゃいなよ」


はい、フォーク。わたしの目の前を銀食器が行き来する。眩暈というよりは軽い疲労に、目頭を押さえる。彼らと一緒にいればこうなることなどわかっていたけれど、いざ目の前にするとますます疲れるだけだった。
どこまでも曇りのない晴天だった。この世界ではただの昼だが、わたしにとって青色の空はやっぱり晴れという天気のひとつに過ぎない。お天道様の下では人型をしたネズミと猫が今にも追いかけっこをはじめそうな草原が広がっている。比喩ではなく、真面目に。


「ボリス、追いかけっこはさっきたくさんしたよね?」


にっこり。シートの上で持ってきたお弁当をひとつひとつ広げながら、わたしは笑う。立ち上がろうとしたボリスと逃げようとしたピアスが同時に動きを止めた。


「でもさぁ、。ピアスが馬鹿だからいけないんだよ」
「ぴっ! そんなバカバカ言わないでよっ」
「馬鹿に馬鹿って言わないで、誰に言うんだよ。馬鹿」


あぁ、ピアスが泣いちゃう。わたしは額を押さえ、隣に座るピアスの頭をなでた。


「大丈夫だから、ピアス。男の子は泣いちゃ駄目ってアリスにも言われたでしょ?」
「うっ……でも、俺は男の子だけどネズミだから」
「ネズミでも、駄目なものも駄目。泣かないで。ご飯が塩辛くなっちゃうよ」


笑いかけるとやっと彼の瞳が晴れる。湿っていたころとは打って変わって嬉しそうにシートの上を見る彼は、単純に素直だ。
ボリスと約束した昼寝は、結局ピクニックになった。きっと気持ちのいいところに連れて行ってくれるのだろうと思ったが、彼が案内してくれた場所は予想以上に昼寝にふさわしい場所だった。小高い丘は緑の絨毯に覆われ、なだらかな丘陵を描いている。そこに一本、ぽつんと立つ大木の根元は涼やかな風が通って清々しい。ボリスやピアス、双子とわたしをその影にすっぽりと収めてしまう大木から漏れる細かな日差しがみんなに降り注ぐ。
シートにはさまざまなものが並べられた。サンドウィッチは二種類、チーズとハムとレタスを挟んだものと揚げたカツレツをソースにつけてから挟んだもの。おにぎりは鮭とシーチキンと五目で、おかずはフライドポテトやから揚げだ。デザートにはリンゴをいくつか剥いてきたし、オレンジジュースもまだ随分冷たかった。食べ盛りであろうディーとダムを考慮しても、自分でも作りすぎたと思う。けれどバスケット三つ分にもなったお弁当を持ち歩くのはとても楽しかった。じゃんけんをしながら、代わる代わる荷物を持ち合うのも立派な遊びだ。


「お姉さんのご飯、美味しいね!」
「うんうん、やっぱりお姉さんのご飯は美味しい!」


ディーとダムが声をあわせる。わたしはありがとうとお礼を言った。晴れ渡った空の下でのお弁当は、総じて美味しいのだ。


「あ、ピアス。お弁当くっついてる」
「ぴ?」
「ほら、とれた」


シーチキンのおにぎりに特別にたくさんチーズを入れたものをほお張ったピアスの口元についたご飯粒をとってあげる。きょとんとした顔のピアスは、可愛らしい。
それを見ていた双子がブーイングしたが、ふたりの口にから揚げを放り込んで黙らせた。ピアスを毎度馬鹿だと言い張る彼らには、今度からこの手を使おうと思う。確かにピアスは短慮な上に思考がずれているし、常識的とは言いがたいが本質は間違えていないと思う。ただ、それが本質過ぎるのだ。


「なぁなぁ、。俺だけのけ者?」
「ボリス………はいはい」


拗ねた声に苦笑して、わたしはリンゴをつまんで彼に近づける。ボリスはわたしの右腕を掴んでリンゴを食べた。しっかりと、逃がさないような掴み方。
たくさん時間をかけてお昼を食べたわたし達は、バスケットを三つ空にしてしまった。楽しい会話は食を進ませる。お粗末様でした、とわたしが言うと同時に双子があくびを始めピアスも瞳をとろんとさせていた。ボリスが見計らったように自慢のファーを広げて「じゃあ、昼寝するか」と声をかけると自然と三人が近寄ってくるので面白かった。大きなファーをまくらにしたり抱きしめたりしながら眠る三人の真ん中で、ボリスが手招きした。


「ほら、は俺の隣」
「うん」


おいで、と腕を広げてもらったので遠慮なく飛びこむ。彼のファーを日差しをあびて太陽の匂いがした。もちろん、ボリスの匂いとまぜって。
ファーの下に手を入れるような形で、ボリスがわたしの頭を撫でた。けれどそうなると彼の左腕がわたしの頭の下に入ってしまう。


「腕が痛くなるよ、ボリス」
「いいって。俺がしたいんだ」
「わたし、意外と頭大きいだけど」
「………いいんだって。がそこにいるってわかんないと、ゆっくり眠れないしさ」


赤ん坊みたいに撫でられるわたしとボリスの距離は限りなく、近い。けれど眠いせいでそんなことなどどうでもよくて、目を細めて笑うボリスが綺麗だなとしか考えられなかった。


「みんなで来るのは了解したんだから、今ぐらい独り占めしてもいいだろ?」
「………………うん」
「時計屋さんの歯車は邪魔だけど………ま、仕方ないから許してあげるよ」
「………………う、ん」
「あんたがここに居てくれて、よかった。扉を開けて後悔したのなんか、初めてだったんだぜ?」
「………………」
「それに………………って、おいおい。寝ちゃったのかよ」


ボリスの声が遠くなる。彼の後悔が、わたしのとった行動――拳銃を自分自身に打ち込んだ愚かでしかないもの――で、彼が気に病んでるだなんて思いもしなかった。でもあそこまでの道を作ってくれたのは彼で、戻ってこいと行ってくれたのも彼なのだ。わたしの愚行に激高しても可笑しくはない。むしろ、それこそ正当であるような気さえした。
ありがとう。声になどならなかっただろうけれど、わたしは念じた。もう意識は眠りの国に向かっていたし、体などあってはないような感じだ。包まったファーとボリスの温かさはここが安全であることを、きちんと伝えてくれる。


「やれやれ………………もう、どこにも行かないでくれよ」


額に柔らかなものが触れた気がしたけれど、あまりにも幸せだったのでかまわなかった。どこにも行かないし、もうどこへも行けないわたしは、それなのにこんなにも自由で幸福だ。誰かに非難されても、間違いだということがわかったとしても、例えそれで罰されるときがきたとしても、わたしは胸を張っていけるだろう。少なくとも、わたしは自分で選んで彼らと共にいるのだ。そこには何も、駆け引きなど存在しない。
おなかいっぱいの幸福で満たされたわたし達は、ただただ幸福な夢の淵で笑う。

























かくて、世界は今日も輝く



(09.10.25)