アリスがこの城の女王の部屋を訪れたとき、彼女は窓の外を眺めていた。いつものように冷たく見下ろしながら、それでもどこか心もとないように見える。ビバルディは、この部屋ではひとりの少女のように見えるとアリスは常々思う。 「何を見ているの」 背後から近寄り声をかけると、彼女は短く「薔薇を」と答えた。彼女らしい、簡潔できっぱりとした声だ。いささか頼りないのは、小さかったせいだろう。 アリスはその隣に立ち、窓の外を同じように見た。遠くは森まで見渡せる、城の高さがあるからこその景色だ。けれどきっと、アリスと女王の見ているものは違う。 「…………ねぇ、ビバルディ」 「…………………なに」 「は、いったい誰とだったら幸せになれるのだと思う?」 ふたりで窓の外を見ながら―――アリスは帽子屋屋敷を、ビバルディは庭の薔薇を――問う。アリスにとってこの問いは、いつだって頭の奥に張り付いている。には好きな人ができたら教えてと言い含めてあるし、彼女はきちんと教えてくれるだろうけれど選ぶ人を考えると悩んでしまう。 この世界は余所者にひどく優しいが、性格の優しい人たちばかりではない。ビバルディは表情を少しばかりやわらげて笑う。ため息をつくみたいに。 「お前はそればかりだね。そんなにあの子が気になるの」 「気になるわ…………。ビバルディと同じくらいに」 「わらわも?…………わらわはあんなに頼りなくはない」 「そうかしら。私には同じように見えたけれど」 拗ねたビバルディが視線を彷徨わせるので、アリスは微笑む。彼女も存外、素直なのだ。この部屋やアリス、の前限定であれば。 ビバルディは、ふん、と鼻をならしてからまた窓の外を見る。 「…………幸せなんて、人それぞれだろう。わらわやお前にもはかれない」 「そうだけど」 「少なくとも、わらわはペーターと居ても幸せではないしな」 にやり。ビバルディが意地悪く笑ったので、今度拗ねるのはアリスの方だった。 「私のことを話してるんじゃないわ」 「同じことだよ。わらわはこの世界のどの男と一緒になっても、が幸せになれるかどうかなど想像もつかぬ」 「でも順位くらいあるでしょう? 比べるのは失礼だけど」 「そうだね…………まぁペーターは例外、騎士も然りじゃな。あやつらと一緒にいても会話は進まぬし、なにより苛立つ」 「…………そうね」 「帽子屋屋敷のやつらは…………を翻弄してばかりだろう。愚弟は力の使いどころを間違えておるし、ウサギはそれ以前の問題……………………双子は、まぁ、わかっているのかそうでないのか」 「ブラッドが本気になったりしたら、はなびいてしまいそうよ。案外、ギャップに弱そうなんだもの。それにエリオットも気に入ってるって言っていたし…………」 「そこがわからぬ。なぜお前たち余所者はそんなにウサギが好きなの?」 「特段、ウサギが大好きだったわけじゃないわ。たまたまよ」 「そう?…………わらわは、もウサギが欲しいのだと思った。なんでも言うことの聞く、便利な動物だからね」 「…………ビバルディ? わたしは別に、ペーターが何でも言うことを聞いてくれるから傍にいるわけじゃないわ」 「わかっている。冗談じゃ」 「……………………ディーやダムが成長したのは、のためだと言っていたわね」 「そうだね。けれどあれはおよし。本性は子どものままで成長などしておらぬ」 「でも本気だわ」 子どもになるのも大人になるのも、自由にできる彼らはだからこそ誰かのために力を使うことなどなかった。アリスはゆっくりとまぶたの裏に残っている双子を思い浮かべる。若く逞しくなった彼らは、ひどくちぐはぐな印象を持った。 「本気と言えば、夢魔もそうだろう。あれはに対して甘すぎる」 「ナイトメアが厳しいときなんて、ないわ」 「あれは厳しいのではなく、残酷な生き物だからね。…………それにトカゲ。あれも曲者だよ」 「曲者? グレイが?」 「そう。主によかれとやっているつもりだろうが、目があの子を追っている」 「…………そうなの?」 「おやおや、アリスは気付かなかったの。じゃあ、見ていてごらん。あのトカゲは時折、を見てひどく面白い顔をするから」 「面白い、かお?」 「そう。手に入れられないものを理解した子どものような目をする。あれは大変面白い」 「…………悪趣味ね」 「そういう顔をする方がいけない。わらわは見て、笑っているだけ」 「でも、グレイがそのつもりならには一番あってるんじゃないかしら。一番、マトモそうだし」 「マトモ…………? アリス、あやつはあやつで相当愚かだ。今でこそナイトメアの側近などやっているが、昔は相当荒れていた」 「え…………あのグレイが?」 「人は変わるもの。…………例えるならそうだね…………うちの騎士のよう」 「やめましょう。そんな人には任せられないわ」 「ふむ…………では時計屋しかいないではないか」 「え? ボリスやピアスは?」 「どちらも動物。ペットじゃ。それにネズミは聞くだけで汚らわしい!」 腕をさする仕草をして、ビバルディは顔を青くさせる。 「ご、ごめん」 「…………とにかく、そうやって消去していけば残るのは時計屋だけだろう」 「でも、今回のことでちょっとユリウスの見方が変わってしまったのよ」 「へぇ?」 「だっての心をずっと所有していたのに、黙っていたなんて信じられない。それなのに、自分の思いのひとつも伝えられないだなんてエースじゃなくても呆れるわ」 「まぁ、頼りないだろうね」 アリスは窓枠にもたれかかり、問題の結論がでないことを悟った。一癖どころではないのだ。この世界の住人は、難点ばかりが目を引く人物が多すぎる。 「なるようになる。…………わらわ達がいくら考えたところで結果などは見てみぬことにはわからない」 「それは…………そうね」 「そうだよ。わらわの期待を裏切って、ペーターなぞを選んだ女もいる。それでもわらわは、その子を傍に置いておきたい」 気がついてビバルディを見ると、彼女は眉を下げながら笑っていた。滅多に見られない表情に、アリスは息をのむ。女王はいつだって驚くほど美しい。 「…………それだけは変わらぬ」 「うん。…………ありがとう、ビバルディ」 「礼などいらぬよ。…………おや、あれはエースか」 視線を下げると窓の外、はるか下に赤い服を身に纏ったエースがいた。珍しく部下に稽古をつけているようだが、その剣捌きは遠めに見ても乱暴だった。部下が力なく倒れ、次々に立ち向かっては倒れていく。あれは稽古というよりは一方的な喧嘩だ。 「ビバルディ…………私、エースだけは嫌だわ」 「同感じゃ。あれは愚かを通り越してもう手の施しようがない」 ぎん。鈍い音がハートの城の庭にひびき、次にひどく生々しい音がする。骨が何本か駄目になった音だ。ビバルディは窓を閉めて立ち上がり、さっさと部屋を出て行く。仕事に戻るのかどうかはわからない。アリスもその後ろに続きながら、兵隊さんたちを助けにいかなければと頭を痛めた。 |
The party's over.
(09.10.25)