ジェリコとの道中は大変有意義なものになった。誤魔化しのない口調で紡ぎだされる言葉たちは明朗快活だ。ナイトメアのように真実をぼかすことも、ユリウスのようにあからさまに口を噤むこともない。
彼は自分の美術館のことを誇りに思っているのだと言った。いつも長蛇の列を作る美術館は客足が途絶えることもなく、その展示品は自らが買い付けを行っているのだと胸を張った。彼の素晴らしいのは物事をそのままの形ですっかり伝えてしまうことだ。きっと本当に彼の美術館は観覧希望者が殺到するのだろうし、つまり優れた目利きのおかげで魅力的な作品が集められているのだろう。自慢をされていると身構えさせないのだ、と単純に思う。
加えてジェリコは細かくこの国の情勢を教えてくれた。ダイヤの国の女王は領土争いには無関心だが駅長である夢魔に大変ご執心らしく、日夜氷漬け――聞き間違いでなければ女王陛下の得意技はすべてのものを凍らせることだという――の特訓をしているほどで、宰相である黒ウサギもほとほと困り果てているという。しかし、駅長である夢魔――病弱で引きこもりの小さな子供だとジェリコは言った――は、攻め込まれても城の兵士を一瞬のうちに眠らせてしまうので抗争にならない。
熱心に耳を傾けながら、わたしの知る夢魔を思い出す。子供ではなく大人で、わたしだけが弾かれたことを心配して着いてきてくれた優しくて臆病な人だ。きっとこの世界の駅長もナイトメアと言うのだろうけれど、それは彼であって彼でないのだろう。


「あぁ、あんたの知り合いは駅長か?」


顔に懐かしさでも浮かんでいたのか、目ざとく見つけたジェリコが尋ねる。
わたしはゆっくり頭を振った。


「いいえ。でも、聞いてみなくちゃいけないことがあって」
「なんだ? 俺に答えられることなら、聞くぜ?」
「この国の汽車について…………聞いてみたいの」


汽車は君を惑わせる。わたしの記憶が正しければ、汽車は人を『惑わせる』ものではなかったはずだ。時間通りに人や物を送り届ける乗り物を、けれど大人のナイトメアは危険視しているようだった。


「汽車か。確かにそいつは俺の管轄外だな。悪いが駅長に聞いた方がいい。特にあんたは」
「やっぱり、わたしには危険なものなの?」
「不安定な余所者は汽車に巻き込まれやすいんだよ。目的地が明確に思い描けなければ捕らわれる」


目的地ならば決まっているのだし、迷う必要などわたしにはない。
のど元まで出かかった主張を、わたしは寸でのところで押しとどめた。ジェリコを責めてどうするのだろう。引っ越しは誰のせいでもなく、言ってみれば余所者である自分自身のせいだ。


「意外と落ち着いているんだな。…………それともアンタの肝が据わってるのか」
「落ち着いているわけじゃないし、ショックも大きい。だって大切な人たちをすべて奪われたんだから」


大切で仕方のないたったひとりの男性と同じ境遇の大事な友人。愛人宣言をしてくれたマフィアのボスやにんじんが大好きなウサギさん、無邪気な双子と遊ぶピンクの猫。思い出せばキリがなく、まぶたに思い描けば苦しい。わたしが今ジェリコとまともに話せているのは戻る手段があるという望みにかけているからだ。
不意に頭の上に軽い衝撃が落ちる。ジェリコがわたしの頭を撫でているのだとしばらくしてから気づいた。慰めてくれているのだろうか。


「もう腹を括ってるなら、それしか見えないだろうが…………この世界で滞在する場所がなければ俺の領地に来るといい。アンタの助けになれると思うぜ」
「あ、ありがとう」


やがて離された手のひらは不思議な厚みでわたしを包んだ。見上げたさきで笑う男性の気さくさにゴーランドを思い出す。演奏が破滅的に下手なのに、いつも自信満々に楽器をふるう人だった。ゴーランドに落ち着きを足したなら、ジェリコになりそうだと思った。


「お、話しているうちに着いたな。あれが駅だ」


促されて意識を戻せば、想像よりもはるかに大きな赤レンガの建物がある。あまりに大きいが本部も兼ねているのだろう。それに大きくて立派な建築物はいかにもナイトメアの好みそうな物件だった。
駅の正面は広場になっており、人通りも多く活気に満ちているようだった。抗争が頻発する危険な国だとは思えない。観察を兼ねてあたりを見渡していたわたしの頭上で、けれどジェリコが呻くような声をあげた。


「ちっ、まずいな。まさかこのタイミングか」
「え?」
。とりあえず隠れるぞ。こっちに来い」


突然体ごと建物の陰に引き込まれ、わたしは抵抗などできずにすっぽりとジェリコの腕の中に納まってしまった。頭を抱き込まれているので明らかに何かからかばってくれているのはわかるのだが、動作が唐突すぎて彼が何からわたしを隠したがっているのかわからない。
大きく武骨な手のひらを額より少し上に感じながら、わたしは必死に目をこらす。すると建物で区切られた視界にバラバラと白と黄色の服を着た一団が駆け足で過ぎていくのが見えた。規則正しく一目で訓練された足取りだとわかる。


「頭、まずいですね。黒ウサギと女王がいる」
「あぁ、揃って狩りにでも来たのか」


短く答えたジェリコの表情は真面目だったが焦りはなかった。抱えられた頭を動かして広場を見れば、白い装束の一団が駅へ向かっていくのが見える。それがぴたりと止まり、編隊を組んで立ち止るのは確かにお城の兵士ならではだ。
女王陛下はどこにいるのだろう。ジェリコの話しぶりからすれば、彼女はここにいるはずだ。ダイヤの女王は人を凍らすのを趣味としている。斬首刑の好きなビバルディと残酷さは酷似しているように思えた。
思い出して目じりに涙が浮かびそうになる。ビバルディとも離れてしまったのだと思うと悲しい。


「見えるか? あの、前の方にいる小さいのが女王だ」


顔を出したので興味を持ったと思ったのか、ジェリコが説明してくれる。
小さいの。女王に対して形容するには不可思議なワードに訝しみながら目を細めると、確かに一団を率いるように佇む影は小さい。小さい影は白いベールにを身を包み、金糸に近い白銀の髪を揺らしている。明らかにあどけない少女だ。


「女王陛下って、まだ子供なの?」
「ん? あぁ………ガキを見るのは初めてなのか? 女王陛下はあの姿を気に入っているだけだ」


大人の姿にもなれるのだと案に言われ、わたしは頷いた。


「それなら知ってる。子供の姿を気に入っていた知り合いがいるから」


帽子屋の双子、ブラッディ・ツインズと呼ばれた二人は少年の姿だったが、クローバーの国で突然大人の姿になって驚かせてくれた。
わたしに意識してもらうためだったと言ったときの二人の表情は、少年のままのあどけなさが残していた。


『あーあー、聞こえていますか、ナイトメア』


拡声器を使って聞こえた少女の声に視線を戻す。白いベールの女王陛下が拡声器を片手に駅に向かって声を張り上げている。


『今日こそ、わたくしのコレクションに入っていただきますわ! そのためにたくさん練習したんですの! 嘘だとお思いになるのなら出てきてくださいまし!』


可愛らしい声で繰り出される言葉の狂気に戦慄せざるを得ない。ジェリコが「人を凍らせる練習」をしていると言ったが本当にやっていたのだ。つまらないから首を刎ねよというビバルディと姿がかぶってしまう。
ジェリコがやれやれと嘆息するのが聞こえた。


「絶対出てこねぇな、ナイトメアのやつ」
「そうね。あんなこと言われて出てくるなら苦労しないだろうし」


安全な領域から出てきて喧嘩を買うほど血気盛んな人ではない。返事をしたことで安心したのか、ジェリコがわたしを抱えていた腕をほどいた。


「冷静だな。抗争ははじめてじゃないのか」
「残念なことに、ね。これじゃ、駅へは出なおした方がよさそう」


すっかり人気のなくなった駅周辺を見ながら言う。広場には人の姿が見当たらず、閑散とした風景が広がっていた。抗争に慣れているのだろう、シャッターに鉄格子すらつけている店もある。


「物わかりがよくて助かる。………俺たちの取り引きもこれじゃ中止だからな。よかったら、俺の領地に来ないか? 駅へはまた連れてきてやるよ」
「え、いいの?」


広場ではまだ女王陛下による口上が続いている。待っていてもいいが、抗争が始まって巻き込まれるのは勘弁だ。この場を離れるためにもジェリコの提案はありがたいと頷きかけたときだった。


「おやおや…………何か隠れていると思ったら、ドードー鳥じゃないですか」


低い、聞いたことのない声がした。振り返った先には真っ黒な髪と同じ色のウサギ耳。燕尾服らしいスーツは大きなリボンのおかげでとても可愛らしくまとまっているが、とても冷たい赤と黒のオッドアイに背筋が凍りつくようだった。
黒ウサギ。
アリスの案内人だった白ウサギを思い出す。わたしには厳しい人だったけれど、アリスを見る瞳はとても柔らかだった。わたしを嫌っていたはずのウサギさえ懐かしいなんてセンチメンタルになりすぎているとわたしは自覚する。



















鳥がべない空



(2014・03・30)