とてもよく晴れた、こんな日は何の用事がなくたって外に出なければ勿体無いと思わせる日、わたしはやっぱり外に飛び出して、当然のようにエリオットに出会った。 偶然ではなかったのは一目瞭然で、彼は秋の領地からわざわざ冬へ赴いて尚且つそわそわと落ちつかなそうに雪に埋もれる表通りを歩いていた。彼の小麦色の髪を見つけた途端に嬉しくなったわたしは―――小麦色の耳がぴょこんと雑踏の中で動く瞬間を想像してみてほしい―――背後から思い切り飛びつく。 「エリオット!」 「う、お?!」 体格差は見て明らかであるはずなのに、彼はたたらを踏んだ。わたしは大きな背中と回りきらない腕に笑う。なにせ天気が良くて気持ちは晴れ晴れとしていたものだから。 エリオットに言わせれば自分の後ろに立つのは「自殺行為」であり、そんな自分に飛びつけば「命はない」らしいのだが、わたしはこうやって堂々と生きている。今だって驚いて耳をぴんと立てたエリオットはすぐに体制を立て直してわたしに向き直っただけだ。怒ったりいぶかしんだり、嫌がったりなんてしない。 「、アンタどっから…………」 「エリオットを見つけたから走ってきたの。今日はおつかい?」 まさか自分に会いに来たんでしょう、と言うほど自信家ではなかったわたしは笑って彼と距離をとる。エリオットは頬をかきながら、言葉を探すように視線を彷徨わせた。 「いや、そういうんじゃねぇんだ」 「そう? エリオットが冬に来るなんて珍しいじゃない」 「まぁな…………つか、アンタがいなきゃ冬になんてこねぇよ」 観念したらしいエリオットは微笑む。わたしはこんなふうに混じりけのない本音をぽんと吐き出せるエリオットが好きだった。本音を吐き出すと大抵重たく聞こえるのに、エリオットは他人にそう思わせない。 「冬にだっていいところはあるよ? まぁ、部屋の中で寛ぐのが一番ではあるけど」 「それだよ! それがいけねぇ。こんな天気のいい日に、わざわざ部屋にいることないだろ」 わざわざ部屋にいる、というのが実にエリオットらしい。彼の仕事は主に外であるのだし、どこにだって活発に動くウサギさんの活動範囲は広い。わたしが一日中部屋にいたり仕事をしていたりするのとは正反対だ。 太陽が高くのぼった昼はすべてを白く見せている。 「わたしもそう思って出てきたの。でもエリオットに会えるとは思わなかった」 「いや、俺もまさか都合よく会えると思ってなかった」 「そうなの? …………じゃあ、一緒にどこか行こっか」 いいことを思いついた、というふうにわたしは手をあわせた。 「ピクニックしよう! 雑貨屋さんでバスケットを買って、パン屋さんで食パンとジャムの専門店でたくさんディップを詰め込んで!」 「おぉ! いいな、それ。にんじんディップもあるんだろ?」 「もちろん! サンドウィッチに挟みたいものだけ買って、飲み物も持って、季節はそうだなぁ…………」 「春、なんてどうだ?」 「うん!決定!」 往来で笑いながら手を合わせるわたし達は完璧に浮かれた人間だ。善は急げと近くの雑貨屋で手ごろなバスケットを購入して、わたしオススメのパン屋さんで大きめの食パンを切ってもらった。それからすぐにハムやレタスを八百屋さんに分けてもらい――顔馴染みなのでその場で切り分けてもらえる―――、様々なディップを詰め込むと―――にんじんにほうれん草、かぼちゃなど多種多様―――重たくなったバスケットをエリオットに任せてミネラルウオーターを抱えた。それすらも持つと主張するエリオットに、「わたしの仕事は奪わせません」と意地悪そうに笑って、連れ立って冬を抜け出して一直線に春に向かう。 春の空は冬よりもずっと近く感じる。温かで空気が濃いからかもしれない。わたしは柔らかな芝生の生えそろった丘の上に立つ。遠くで風車が回り、ヤギや羊が放牧されている、和やかな場所だ。 「ここらでいいか?」 「うん。あ、シートはわたしが引くから」 「おぉ、悪い」 大荷物を抱えたままでシートまでひこうとするエリオットからクリーム色のシートを受け取ってばさりと開く。わたしはシートの上にのる瞬間が割りと好きだ。自分の居場所を確保してもらったような気になる。 バスケットを開くとそれだけでおいしそうな匂いが鼻を抜けた。 「うまそうだな」 「ちょっと待っててね、すぐ作るから」 今すぐにでもそのまま食べてしまいそうなエリオットを制して、パンを取り出しバターの代わりににんじんディップをたっぷり塗ってハムを挟む。はい、と手渡すと彼はまるで子どものように純粋に喜んだ顔をした。お腹がすいて堪らない、という顔。 「おぉ! うめぇ!」 「ありがとう。そうだ、次は何がいい? 生ハムも種類がいろいろあるし、パンもライ麦のものが…………」 「全部! とりあえずが作ったもんは全部食える!」 「あはは! ありがとう」 言い切ったエリオットははしゃいだ声で話しながら、口も手も上手に動かす。わたしはにんじんディップにハムやレタス、チーズや蜂蜜なんかを挟んだり塗ったりしながら彼の胃袋を満たすために働いた。特ににんじんとはちみつ、それに生ハムの組み合わせはエリオットのお気に召したらしくふた切れも平らげてしまった。わたしは彼が「うまい!」というたびに「食べてみろよ!」と差し出されるものを一緒に齧っていたので、実に都合よくおなかいっぱいになってしまう。ふたりで同じものを食べながら満たされるなんて、本当に幸福なことだ。 「はー! 食った!」 「お粗末サマ。…………あ、そうだ。パン屋さんで新作のマフィンが出てたの。食後のおやつにって思ったんだけど、もういらない?」 「いいや、食う。あんたが選んだもんに間違いはねぇからな」 「うん。わたしって結構食いしん坊だから、それだけは自信があるよ」 小ぶりのマフィンを手渡すと、エリオットはまた素直に受け取ってくれた。きっと今ならとても簡単にマフィアのナンバー2はやられてしまうだろう。このマフィンに毒を仕込んだとしても、わたしから手渡されたものを微塵も疑わないこの人は食べてしまう。どんな猛毒でも美味しいと言って、指を舐めて太陽のように笑うエリオットが容易に想像できてしまったわたしは密かに笑う。 「なんだ?」 「ううん、なんでも。天気がよくて気持ちがよくて、ちょっと眩しかっただけ」 もちろんエリオットが眩しかったなんて言わない。エリオットは返事に満足したように頷いて「だよな」と相槌を打つ。そうしてごろんと横になった。本当に無防備な顔をするものだから、まるでそこらにいる羊やヤギよりも脆弱な動物に見えてしまう。エリオットの横顔は端正で、とても寛いだものだ。消え入りそうな雲の浮かんだ空を見つめていた瞳が、ふいにこちらに向けられた。 「いいな、こういうの」 「こういうの?」 「そう。こうやってとふたりで、他には誰もいねぇっていうの」 エリオットは言うけれど、ここには羊やヤギもいるわけで、ということはつまりそれらを飼っている牧場主なんかもいるのだろうけれど、ともかく視界にはわたし達しかいないのでエリオットには充分なのかもしれなかった。わたしは「そうだね」と頷いて、手に持ったまま忘れていたマフィンを口に運ぶ。チョコレートの味のする、甘くて苦い素朴な香り。 「いつもは違うだろ。そもそもアンタが冬から出てこねぇし」 「だって、寒いとどうしても億劫になるんだよ」 「それがいけねぇ。な、秋に来いよ。過ごしやすくて快適だぜ?」 「遠慮しておく。快適すぎて絶対太るから」 前にブラッドのお茶会で出された果物やお菓子の数々を思い出して、わたしは断った。もちろん魅力的なお菓子ばかりが並んだのだし、果物は驚くほど瑞々しくて美味しかった。けれど冬に戻って体重計にのったとき、麗しいお菓子の代償を思い知ったのだ。 エリオットは面白くなさそうな顔をして、肘で頭を支えながらこちらを見つめている。 「アンタはちょっとくらい太った方がいいと思うんだけどなぁ」 「それは男性の意見。わたしはこれ以上は無理。…………アリスくらいまではいかなくとも、もうちょい細くなりたいし」 「あのなぁ、それじゃあ吹き飛んじまうだろ」 「それはない。どこまでひ弱なのよ。…………まったく、エリオットって」 わたしをなんだと思ってるの。 吹けば飛ぶ綿菓子みたいな女の子では決してないのに、エリオットは至極真面目な顔で言うから可笑しい。 わたしが笑い出したのでつられてエリオットも笑い出し、ひとしきり笑ったあとで彼は瞳を細めた。満腹な動物が見せる、ゆったりとした空気を纏って。 「でも、本当にいいな。あんたがここにいる…………誰のためでもなく俺のためだってのが、特に」 「この状態で他の人のことを考えろっていう方が無茶でしょ」 「まぁな。考えさせねぇよ」 にっと笑った顔は悪戯した子どもみたいだ。 春の陽気は頭の螺子をゆるゆるとはずしていく。徐々に、けれど確実に緩んでいく螺子に気付けないわたし達はどんどんまどろんでいく。エリオットの瞳がひどく綺麗だなぁとか、ふわふわのオレンジの髪に触りたいなぁ、とか。今手を伸ばしてくれたら一緒に眠ってしまえるのにとか、普段ちっとも考えないことを実行に移してしまいたくなる。 エリオットも、たぶん、そうだ。春の陽気は常日頃でも可愛らしいウサギさんを、もっと可笑しくさせていた。 「あんたがブラッドの女じゃなくてよかった」 素早く確実に少しだけ真剣な声で、エリオットが言う。肯定も否定もせずに、わたしは「どうして」と問う。 「俺はたぶん迷うから、そういうのは面倒くせぇだろ」 「迷うの」 「あぁ、たぶん…………もしあんたがブラッドの女なら」 ゆらり。綺麗だと思っていた瞳が揺れてマフィアのナンバー2が現れる。考える前に銃を抜き放ち、誰もが恐れるウサギさんはわたしの手をしっかりと握った。伝わる熱がいつもより高く、絡んだ視線は昼間だというのに闇を孕んでいるかのように妖しい。 「少なくとも、連れ出せねぇよ。良くて護衛だ。…………ブラッドはすぐに気付くだろうし」 「…………あぁ、あの人はそういうのすぐわかりそう」 「だろ。ブラッドはすげぇんだ」 結局、いつだってブラッドを褒め称えてしまうエリオットは困ったと言いながら笑っている。わたしは握られた手を握り返しながら、その重さが心地いいと思った。誰か一人分の重さを、こうやって分け合えるのは素敵なことだ。 そうして少しだけ目を瞑って考えてみる。わたしがブラッドの女だとして、こうやって遊びに連れ出したくても出来ないエリオットはひどくしょんぼりしていることだろう。その垂れた耳や大きな体格に似合わない声を出すエリオットに、果たしてわたしは抗うすべなどあるのだろうか。この大きな手をとらない保障は―――考えうる限り―――ない。 「…………」 「エリオット?」 まぶたを開けると、図体の大きなウサギさんは眠ってしまっていた。わたしの手を握ったまま片付けも途中だというのにすやすやと健やかな寝息をたてている。 わたしは嘆息して片づけを諦めた。そうして出来るだけそっと、起こさないように自分も横になる。地面に近づいたせいで緑の匂いがいっきに濃くなった。普段なら同じ目線であるはずのない、エリオットの顔をじっと見つめる。重くて心地のいい、厄介な手のひら越しに。 『わたしがブラッドの女なら』 そうして、尚且つエリオットが手を握ってくれるのなら。 胸のうちに落ちてきた答えに、ひっそりと笑った。困り果て悩みぬいたエリオットとは対照的に、ひどくわくわくする自分がいるような気がしたから。ハプニング慣れしていないわたしのことだからこれは本当に想像の範囲であるのだろうが、もしブラッドの隣で庇護されるわたしの手を迷いながらもエリオットが取ってくれたのならわたしは喜ぶだろう。 そうして、正しい道を選ばない興奮がきっとエリオットを選ばせる。 ふたりとも後悔しながら堕ちて行くのは間違いがないな。わたしは握られた手を空いた手で包むようにして、目を閉じた。こうやってふたりで居るときくらいは同じ夢が見たいと願って。 |
過ちに与える名
(10.06.26)
いち様に捧げます!