目覚めはひどく億劫で、夢と現の区別がまるでつかないときさえある。そんなときはベッドの中でただ天井を見上げ、じっと憂鬱が去るのを待った。夢見が悪いことなど日常化していたし、それが現実の区別を曖昧にして憂鬱を運んでくることも知っていた。だからわたしは布団を握って天井を睨みつけ、じっと体から憂鬱が抜けるのを待つ。全部が抜け気ってしまわないことなどわかっているから、それが徐々に薄れていけばよかった。 しばらくしてそこが現実だと理解したわたしは、頬がぴりぴりと痛むので顔を歪めた。空気が乾燥している。しかも、ようやく気付いたとき空気は尋常ではないほど冷え切っていた。わたしは半身をゆっくり起き上がらせて用心深くあたりを見回す。 「…………さむい」 薄いパジャマに染み渡る寒さに両腕を抱えて、わたしはベッドから降りる。何が起きているかわからない以上、自分の目で確かめなければいけない。凍える素足を震わせて窓に近づくと、思い切りカーテンを引いた。その先の光景に、わたしは息が止まってしまう。 窓の外には見事な銀世界が広がっていた。クローバーの塔を中心とする町並みはどこもかしこも雪に埋もれ、太陽の光を反射してきらきらと輝いている。どうやら昼の時間帯らしい。わたしはようやく漏れた吐息が白く吐き出されるのを呆然として、見つめた。 そうして冷たくなった指先に息を吹きかけ、踵を返す。今度は何が起きたのか、きちんと自分の耳で聞くために。 * * * * * * * * * * * * 「…………冬?」 がたがた震えるナイトメアをやっとのことで見つけ出して問いかけると、あまりにも普通の答えが返ってきた。わたしは実用性のまったくないと想われていた暖炉に火をつけ、毛布に包まる上司に向かって反芻する。冬、だなんてわたしの聞きたかった答えではない。 けれどナイトメアは至極真面目に、傍目にもかわいそうなくらい震えながら頷く。 「冬だ、冬。おもてを見ればわかるだろう?」 「そりゃ、雪がこれだけ降っていればわかるけれど…………」 「それでいい。ここは今、冬なんだ。寒くて死にそうなくらい」 いつだって具合が悪くて棺おけに片足を突っ込んでいるくせに、この男はどうしてこうも同情を誘うことができるのだろう。暖炉は赤々と燃えているが、いかんせん部屋が広すぎるせいでまだ到底温かいとは言えない。わたしはナイトメアの隣に立ち、窓の外を睨みつけながら片手で顔を覆った。目の前は冬で、持ち物の中でも一番厚着をしてきたつもりだが、思考回路が凍結してしまうほど寒い。 「…………ナイトメア。入れて」 溜まらずしゃがみこんでナイトメアの包まる毛布に入った。ナイトメアは元々病弱なせいもあるのだろう。寄り添ったところで温かいわけではない。けれどひとりで立ちすくんでいるよりは随分よかった。 両手を炎にかざしながら、わたしはもう一度根気強く聞いた。 「どうして、冬になってしまったの?」 「ん?…………あぁ、は初めてだったか?」 質問に質問で返されて、若干むっとする。ナイトメアは物分りの悪い子どものようなところがある。 「ナイトメア様。が来てから冬が来たのは初めてですよ」 助け舟の声に反応して振り返れば、見知った人が湯気の立つカップを持って立っていた。わたしは彼の聡明な瞳に救われる。ナイトメアの世話ばかり焼くグレイは、一話すことから十わかってくれるほど言葉を汲み取ることのできる人だ。 そっと差し出されたカップを受け取ると、柔らかな甘い匂いが鼻腔をくすぐった。 「ココアだ。温まる」 「ありがとう、グレイ」 「…………そうか。君はエイプリル・シーズンは初めてだったな」 同じようにカップを受け取りながら、ナイトメアは面白そうに笑った。 わたしはその言葉の響きそのものが嫌になる。わたしはこの世界の余所者で、だから起こるすべての現象に対して免疫力が極端にない。だからいつだってわたしは「初体験」なのだ。その一々に周囲の人々が「あぁ、そうか。君は初めてだったね」と言うのは仕方のないことなのかもしれない。けれど、そのやりとりがどうしようもなく悲しく侘しいものだということは理解してもらえないだろう。わたしはこの世界をひとつ知るたびに、お前は余所者だと新しく札を貼られる。 「…………引っ越しみたいに、大きな移動が起きたの?」 「いいや、違う。今回は引っ越しとは別物だ。誰もいなくなったりしないし、消えたりしない」 にっこりと微笑むナイトメアは、わたしの気持ちがふさがっていくのがわからない。心の読めるこの人に対して、わたしは抵抗する力がある。前の家主であるユリウスから、彼に対抗する為の術も与えられていた。わたしは胸元で光る歯車に意識を集中させる。ユリウスのくれた歯車は、手入れなどしなくても錆びたりしない。 ナイトメアはココアを啜りながら、暖炉を見つめた。わたしの不機嫌などお構いなしのような仕草にほっとする。 「ねぇ、エイプリル・シーズンて、なに?」 思い切り優しげな声を出す。わたしは歯車のおかげで心を覗かれないことを安堵するくせに、まるで隠し事をしているような後ろ暗さも感じるのだ。そのせいで、不自然なほど明るく振舞ってしまうことさえある。 エイプリル・シーズン。寒くて凍えそうな頭でもう一度考えようとしたけれど、もうまとまらなかった。 |
氷喰に身を焦がす
(10.01.07)