考えるだけ無駄だとわかるのに、どうして考えてしまうのだろう。わたしは自分の愚かさに腹をたてる。寒くて指先が凍えるのも、癪に障った。
帽子屋屋敷でピアスとエリオットと出会い、そのまま双子たちを探しにいこうとしたのだがわたしの体調不良がバレて帰されてしまった。いつも甘いくせにエリオットはこういうことに関しては厳しい。辛いという前に見切られてしまう。わたしは渋々彼にクローバーの塔まで送ってもらった。途中、エリオットは温かい飲み物を買ってわたしに持たせてくれる。カイロ代わり、と言って。


「…………大丈夫か?」


ぼうとしていると、グレイが声をかけてくれる。わたしは机に散らばった書類を急いで整えながら、「大丈夫」と取り繕った。エリオットとは比べ物にならないくらい鋭い人には見つかってはいけない。なにせ、彼は病人についてのエキスパートなのだ。
一まとめにした書類を持ち上げて、わたしは微笑んだ。


「これ、持っていくね。ナイトメア、そろそろ飽きる頃だと思うし」
「あぁ…………そうだな」


立ち上がったわたしに付き添うようにグレイも席をたつ。部屋を出ようとするわたしの背後にぴたりと張り付かれたので、わたしはいぶかしんで振り返った。


「グレイ? わたし、ひとりで大丈夫だよ」
「いや、俺もナイトメア様に用事があるんだ」


わかりやすい嘘だ。ついさっき、彼はナイトメアの部屋から戻ったばかりだった。
けれどそれ以上言及することは憚られるような気がしたので、わたしは観念して扉を開ける。彼の気苦労を増やしてはいけないと思ったし、なによりこの人がいればナイトメアの傍でいらぬことを考えなくて済む。
この塔には厄介なことに洞察力の異様に優れた人と、そんなもの関係なしに心の中を読める人がいる。いくら隠そうとしても無駄だし、そんなものは面倒なので御免被りたいのだが、今のわたしはなんとしても隠したかった。心が疲弊しているせいで、考えることがひどく億劫なのだ。
グレイとふたり並んで歩きながら、心の中でため息をつく。ユリウスのことは、まだ胃の奥の方でわだかまりになって消化し切れていない。


「…………?」
「え? あ、なに?」
「やはり疲れているんじゃないか…………? 三月ウサギも、随分君を気遣っていたようだった」


こちらを窺うグレイに気付かれないように、唇を引きつらせる。エリオットには塔が見える場所まで送ってもらって別れたのだ。決して塔には入らなかったし、わたしなりに配慮もした。けれどそれをあっさりと見破ってグレイは心配そうな声を出す。わたしもグレイも、お互いに心配ばかりをしていて声に出すことをしない。わたしは可笑しくて笑ってしまった。


「大丈夫。エリオットは心配性なの」
「…………そうか? だが、現に」
「急に季節が変わったから、身体が追いついてないだけ。わたしはナイトメアじゃないんだから、自分で病院にだって行けるよ」


サーカスの森で倒れてしまった自分は見ないことにして、わたしは言ってのける。グレイは頑なに笑うわたしに眉尻を下げて、困ったような表情をする。彼のこういう顔は、近くにいるものにしかわからない。それを嬉しく思うし、誇らしくも思う。
―――――――お前を留めた何かが、本当にここにあるのか?
けれど、ユリウスの問いの答えは彼ではない。少なくともこの世界には優しい人が溢れているけれど特定などできないのだ。わたしはそれが悲しい。


「あれー? トカゲさんに、じゃないか」


塔で聞いてはいけない、冬には似つかわしくない陽気な声がする。わたしは恐る恐る前方に目をやって、頭を抱えたくなった。視線の先には声のとおり陽気なエースがいた。真っ赤なコートを着込んで、廊下の真ん中でテントを張っている。隣にいるグレイが、信じられないという顔をしているのを確認してわたしはどう対処しようか迷う。ハートの城では日常茶飯事の光景だが、ここでは多分始めてだろう。


「…………何をしているんだ、お前は」
「ん? 何ってキャンプだよ。ここって広くて参るよね」


まるで悪びれない様子に頭痛がする。ここは彼の領地ではなく、中立とはいえ敵地だ。しかも彼が飄々と言ってのけている相手は役持ちに他ならない。どうしてこうも馬鹿馬鹿しいほど正直なんだろう。わたしはフォローにまわる気力もなくなってしまう。


「ご、ごめんなさい。グレイ! すぐ片付けさせるわ」
「えー。アリス、せっかく広げたんだぜ?」


わたしがフォローにまわる前に、テントの後ろからアリスが飛び出してきた。どうやらあとから来たらしい彼女はすぐに事態を察したらしい。エースを叱咤しながらテントを片付けさせる彼女の力量は確かなものだ。渋々頷くエースは躾されている獣のようで、面白い。


「まったく…………なんでこんなところでテントを張ってるのよ。ここはハートの城じゃないのよ?」
「それはわかってるよ、アリス。ユリウスに会いにきたんだけど、ここ広すぎて迷っちゃってさ」
「迷うほど広くないし、人様のお宅でテントを広げないで頂戴」


ぴしゃりととどめをさすアリスに、わたしは笑ってしまう。彼女の裁きは見ていて惚れ惚れする。くすくす笑うわたしを見て、エースは首をかしげた。


「あれ? 、ユリウスと喧嘩でもしたのか?」
「え…………?」
「だってほら、ペンダント、してないだろ」


指で自分の胸元をさすエースに、心臓の裏側がひやりとした。たった一瞬で気付かれてしまった。わたしはもうすでに遅いとは思ったけれど、微笑んだ。


「あぁ、返したの。もうユリウスはここにいるし、守ってもらう必要はないでしょ?」


つらつらと口から出るでまかせに、わたしは自分を見失いそうになる。こんなにも卑怯なことができるのかと思ったし、誰に良く見せたくて取り繕っているのかもわからない。
わたしはそれ以上の話をしたくなかったので、くるりとグレイに向き直ると自分が持っていた書類を押し付けた。


「ごめんなさい、グレイ。わたし、エースとアリスをユリウスの部屋まで送ってくるからこの書類お願いできる?」
「…………あ? あぁ、構わないが」
「ありがとう。…………ほら、エース。ぼやぼやしないで」


折りたたんだテントを持ちながらぼんやりするエースに声をかけて、アリスの腕をとった。彼女はわたしを不思議そうに見やる。もしくは心配そうに。わたしはその表情を見ないようにしながら、どうして自分の嘘はこんなにも誰かを不安にさせるんだろうと考えていた。嫌ってもらえればむしろ楽なのに、それすら許してもらえない。
アリスの手を握る自分の指が冷たくて、思わず力を込めた。アリスはそんなわたしに、呼応するように力を込めてくれる。廊下は寒くて、ユリウスの部屋は遠すぎる気がした。



















* * * * * * * * * * *





















「…………喧嘩、したの」


底冷えのする廊下を歩きながら、わたしはぼそりと呟いた。アリスは驚いたというよりは信じられないらしく「え?」と聞き返す。だが後ろについてくるエースは少しも動じたところはないようだ。


「そっか」
「えぇ? そっかじゃないわよ、エース! あなた知っていたの?」
「知らないぜ? でものようすが変だし、ペンダントだってしてないし」


ちらりと後ろを見ると、頭の後ろで手を組んだままエースは笑っている。以前ならユリウスとわたしはずっと仲良くしていなければいけない、とでも言い出しかねない人だったのに、アリスのほうがよほど動揺してくれている。


「ちょっと待って、。それは、最近の話?」
「うん、そう。ジョーカーに会ったあと、塔に帰ってきてから」
「本当につい最近じゃない!」


まるでのけ者にされた人のような憤慨の仕方に、わたしは苦笑する。彼女には何でも逐一報告しているから、きっとお互い知らないことのほうが少ない。
わたしはなんだか、抱えていた重苦しいものが少しだけ軽くなったような気がした。アリスに話したせいだ。こうやって一人きりで抱えなくていいものが増えていく。わたしはいつだって、アリスに甘えているのだ。
前方に見慣れた扉が現れる。ユリウスの部屋だ。わたしはその数歩前で立ち止まり、エースを振り返る。


「あそこがユリウスの部屋。ここからなら迷わないでしょ」
「あぁ…………ちなみに、喧嘩の内容を教えてくれない?」
「教えてあげない。知りたいんなら、ユリウスに聞いて。でも」


アリスは、別。
冗談めかして唇に人差し指をあて、首を傾げるとアリスは頷いた。


「えー? 俺だけ教えてもらえないなんてひどくないか?」
「ひどくない。…………それに、喧嘩の内容なんて聞いても楽しくないでしょ」


しかも、特に気の滅入る話になってしまう。思い出すうちに暗くなり、わたしはいっそ腹立たしくなる。
心を奮い立たせるようにアリスの手を握りなおし、エースに手を振った。


「じゃあね、エース。ユリウスによろしく」


何をどうよろしくなのかはわからないが、そう言うしかなかった。エースは頭を掻きながらため息をついている。彼らしくもない、冬に似つかわしいため息だった。



















透明な破片の残骸



(10.01.15)