「この世界が嫌になった?」 季節を変えるためのカードゲームの最中、詳しく言えばわたしの手元がちょうど21になったとき、ジョーカーは声のトーンを全く変えずにそう聞いた。わたしは彼の問いに一瞬答えられず、理解してから首を傾げる。世界なんて全体的なものの言われ方は久しぶりだった。塔や冬を指して言われたことはあるけれど、「世界」が嫌になった、と聞かれたのは初めてだろう。 ブラックジャック一回戦目はわたしが勝利する。二回戦目のカードを配りながら、彼はつかみどころのない笑みをこぼす。 「だって、むずかしい顔をしているから」 むずかしい、顔。以前、ジョーカーはわたしに考えないようにと言い聞かせている。考えるから迷うんだ。むずかしいことなら考える必要はないよ、と。わたしは出会ってまもない人にまで察知されてしまう自分の感情をがらくたのように思う。隠しておけないカーテンなんて、必要ない。 「嫌になったわけじゃないよ。ただ、最近いろいろあって…………」 「いろいろ?」 「聞いても楽しくないこと。…………ただ、わたしはこのままじゃいけないみたい。…………どうしてだろ。ずっと同じで、変わらないのはいけないことかなぁ」 普遍的な友情に憧れていた。そんなものはないと知りながら、それでもワンダーランド特有の力でどうにかなりはしないかと考えてもいた。そんな考えが浅はかであることなど知っていたのに。 『いいわけねぇだろ』 甲高くて口の悪い、彼の腰の仮面が喋りだす。わたしはぱっと顔をあげて仮面を見つめた。 『気になることを放っておいて、いいわけがねぇだろ。いけないと思うなら、まずいことに決まってる』 嫌にきっぱりとした断言に、わたしはぽかんとしてしまう。目を二度三度まばたくと、仮面の方がたじろいだ。 『な、なんだよ。お前、×××か?!』 「驚いた…………。あなたがそれを言ってくれるの」 誰もそんなことは言ってくれなかった。元の世界に帰ると決めていたときも、もちろん残ると決めたときも、誰も彼もが確信をあやふやにしてきた。考えなくていいと宥めて、忘れればいいと甘やかし、両腕を広げて覆ってくれた。わたしが欲しかったのは、けれどそんなものではなかった。 ブラックジャック、二回戦目はジョーカーの勝利だ。わたしの手札は合計数オーバーだった。三回戦目、彼の操るカードは生き物のように従う。 見てはいけないものを見ようとするのなら、わたしは自分の罪ともっと対峙しなければいけなくなるのだろう。変化を受け入れることは、あの扉を受け入れるのと同じことだ。同様の苦痛、同じような痛みを伴う。扉の声を聞くのは、この世界を選んだときからとても辛いものになっていた。 「見ちゃ駄目だよ。見ちゃ駄目」 子どもの声がして意識を手元に戻す。わたしの手札の真横に、小さな顔があった。サーカスの衣装を着ているから、すぐに彼らが団員であることはわかったが、いつ目の前に現れたかはわからない。 子どもの団員は男の子と女の子のふたりで、どちらも顔なしだった。 「ねぇジョーカー、この子悪いことをしたの?」 「悪いことをしたから、楽しそうじゃないの?」 違う声なのに同じ事を問うている二つの唇。小さな子と話すのは随分久しぶりだ、と回転しない頭で考えていた。顔なしと呼ばれる人達と、こんなふうに話すのも。 わたしは手札を置いて、彼らに向き合う。 「悪いことをしたように見える?」 「え?…………うーん。わからない。僕らはそういうこと、わからないんだ」 「でもあなた楽しそうじゃないわ。ここはずっと楽しいはずなのに」 「そうだよ、ジョーカー。この子、悪いことをしたんでしょう?」 聞き返されて、不安そうに子どもはジョーカーを仰ぐ。だが当のジョーカーは肩を竦めるばかりだ。 「さぁ、彼女は俺の担当じゃないからね。わからない」 「ジョーカーの担当じゃないの? じゃあ、ジョーカーの担当?」 『…………俺でもねぇよ』 「えぇ? 優しいジョーカーでも、怖いジョーカーでもないの? じゃあ担当は誰? 前の子みたいに、ハートの城の宰相ペーター・ホワイト?」 「いいや、違うよ。…………その子は特別なんだ。今は暫定的に、時計屋が担当だね」 「時計屋? うわぁ、あの葬儀屋のユリウス・モンレー? 彼はいつだって嫌われ役なのね」 くすくす笑う子どもらにはきっと他意などないのだろう。けれどわたしは、こんなところまで「嫌われ役」と言われてしまう彼に同情する。わたしの同情など知ったことではないし、知られれば嫌がられるだろうが、思ってしまったものは仕方なかった。 子どもたちの声は高くなめらかで、そのくせどこか攻撃的だ。わたしは手札を表にだして、もう引かないことを告げる。ジョーカーがそれを見て、頭を抱えた。 「おやおや…………また俺の負けだ」 「あれ? 負けちゃったの、ジョーカー」 『お前らがいるから気が散ったんだよ! さっさとどっか行け!』 短気な腰の仮面が怒ったので、子どもたちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。わたしはテーブルの上に散乱したカードをまとめて、書類のようにひとまとめにする。 それを見つめながら、ジョーカーが不意に笑い出した。 「…………なに?」 「君は意外とやるね。…………あの子達に質問で返すとは思わなかった」 「大人気なかった?」 「そうじゃないよ。…………言われっぱなしになってると思ったんだ。アリスみたいにね」 含ませる言い方に眉を潜める。アリスは優しいから、きっと子どもたちにも無碍な対応はできなかったのだろう。 「わたしはアリスほど優しくないの」 悪いことをしたの、と問われて答えられるくらいなら、もうとっくに弱音を吐いている。 「季節を変えてくれる? 夏に行きたいの」 「オーケー。約束だからね。夏にしよう。…………君が楽しめますように」 ジョーカーが指を鳴らすと、パズルのピースが変わるように視界に映るすべてが色を変えていく。寒々しい冬はもう跡形もなく吹き飛び、代わりにうだるような暑さが周囲を取り囲んだ。額で影を作りながら太陽に目を細める。ゴーランドにもらった日傘をもってきてよかった、と思う。ばさりと開いてから、やはり少女趣味のレースは自分に似合わないと思ったけれど、それは言わない。 かわいいよ。わたしを見送るジョーカーの褒め言葉を、わたしは綺麗に無視した。 |
皮膚の境界を突き破る切っ先
(10.01.15)