「…………次は、どの店に行くんだ?」


冬の町並みをゆっくりと見渡しながら、グレイはわたしに尋ねる。いつものように真面目な顔をしているが、妙に気難しげに聞こえた声にわたしは肩が凝るのを感じた。それでも「そうね」と相槌を打ちながら手元の買わなければいけないもののリストから買ったものをはずしていく。上質のチョコレートは箱買いしたおかげで随分安く済んだし、生クリームも砂糖も薄力粉も思っていたよりも簡単に見つかった。それというのもこの町を統括する人が道案内をしてくれているからなのだが――――なにしろグレイは塔にかかるありとあらゆる事務手続きを引き受けているので、物の底値を熟知しているのだ――――感謝はすれど大げさに喜んだりしない。


「あとは…………食べ物だとナッツ類かな。ひまわりの種とかカシューナッツ」
「そうか………じゃあ、あの店だ」


すいとグレイの腕がよどみなく一軒を指し示し、わたしは微笑む。


「ありがとう…………それより、やっぱりわたしも荷物持つよ」


グレイの手にはもうすでに結構な量の荷物が握られている。チョコレートはいくら菓子と言っても業務用のものを選んだのだし、生クリームも薄力粉も軽いものでは決してない。それなのにグレイは買い物に同行する際に約束した――――決して自分で荷物を持たないこと、体調に異変が合った場合は必ず言うこと―――を、頑なに守っていて首を縦に振ってくれない。大体、ナイトメアもグレイも心配性すぎるのだ。わたしはすでに全快しているというのに、しばらくは外出の際ナイトメアの許可をもらわなければ外に出てはいけないことになってしまっている。部下たちにはどうか無理に外に出ないでくださいね、と懇願に似たお願いをされてしまった。ナイトメアやグレイがいくら穏やかな人種だとしても、顔なしの彼らにとって役持ちは脅威なのだろう。


「…………駄目だ。俺のことなど気にしなくていいから、早く店に入ろう」


この辺は特に冷える、とグレイはわたしを急かして店のドアを開ける。呼び鈴の甲高い音がりりりりんと耳鳴りのように響いた。
店内を物色して欲しいものを見つけるふりをしながら、わたしは隅で突っ立ったまま待っているグレイを見た。彼はわたしが風邪を引いてからこちら、まったく持って機嫌がよろしくない。生真面目で優しい、大人のグレイにしては珍しい。わたしの無鉄砲に怒っているのかもしれないが、それをナイトメアのように口に出してくれるわけでもないので参ってしまう。叱られた方が楽だ、なんて間違いを犯したものの文句に過ぎないことはわかっているが無言の責め苦は辛いものがある。
カシューナッツやひまわりの種、それにスライスアーモンド、オレンジピール、色粉を三種買ってその店を出ながら―――もちろん荷物はすべてグレイに奪われた―――わたしはするべき会話が見つからず落ち込む。


「…………?」
「え、あ、なに?」


弾む会話を考えていれば怪訝な声。わたしは思わず背筋をぴんと立てて、グレイに向き直る。


「どうした? ぼうっとしていたがまさか」
「あ、考えていただけ! 次は何を買えばよかったかなって」


大げさに微笑んでメモを持っていない方の手をぶんぶん振る。少しでも元気に見えていればよかった。なにしろ彼には出かける際に服装チェックまでされたのだ。モスグリーンのセーターの下には特殊素材で編み込まれたという長袖を二枚着ているし、もちろん厚手のデニムを履かされブーツだってふくらはぎを覆うベージュ色のものでなくては彼はいい顔をしなかった。風邪など引かせないと宣言したナイトメアはわたしが寝込んでいる間に服と言う服を買い込んだに違いない。好きなものを着るといい、と言ったグレイが部下に運ばせた洋服類や靴は部屋の一角を完全に占領している。


「そうか…………だが本当に」
!」


続けようとしたグレイを遮り、冬の町に明るい声が響く。そちらを見ればわたしは見つけた相手に自然と笑みが零れた。アリスは赤いコートに身を包み、その腕に白ウサギを抱きかかえている。
グレイもそちらに気付き、軽く会釈した。


「来ていたのか、アリス」
「こんにちは、グレイ」
「こんな寒いところによく来たな。塔ならわかるが、この辺は特に冷え込んでいるだろう」


彼は普段と変わらずに実に誠実な言葉を使う。わたしは彼の不機嫌が若干緩和されたことに内心ほっとしながら、隣に立った。アリスには随分お世話になったし、そのことについては何度もお礼を言った。そのたびにアリスはなんでもないわ、と笑ってくれる。


「何度も言うようだけど、看病してくれてありがとう。…………それと、アリスをずっとお借りしてしまってごめんなさい」


前者はアリスに、後者は抱きかかえられているペーターに向かって言った。ペーターは常の彼がわたしに接するよりも二倍増しでむすっとして、可愛らしくヒゲをひくひくさせている。この姿なら眼鏡をかけた宰相閣下よりはずっと怖くない。


「アリスの優しさに感謝するんですね。それに移らなかったからよかったようなもののアリスまで病気になっていたら、僕は―――――」
「ペーター?」


女の子らしい声を特別低くさせて、アリスが彼の頭上で名前を呼ぶ。呼ばれた途端に白ウサギは一瞬沈黙し、力なく「…………はい」と返事をした。たぶん、わたしに対する一切の脅しを禁じられているのだろう。もはやわたしが同情してしまうほどペーターは健気だ。


「それよりどうしたの? 何か随分買い込んでいるようだけど」
「…………あぁ、あのね、これは――――――」
「………………………………可愛い」
「「え?」」


説明をしようとしたわたしとアリスが同時にグレイを見る。彼は視線をまっすぐにペーターに向けて固まっていた。両腕に荷物を抱えたまま、まるでおもちゃを見続ける子どものような熱心さで白ウサギを凝視している。
わたしもアリスも、もちろん言われた本人であるペーターも、この常識人の発言に黙らざるを得ない。


「可愛い。…………抱きしめても構わないか?」
「?!」
「?! え、いやグレイ?!」
「嫌です嫌です!アリス以外に抱かれるだなんて、まっぴら御免です!」
「喚く姿も可愛い…………」
「ひぃぃっ! 気色悪い手で触らないでくださいっ。アリスー!」
「ぎゃあぎゃあ言うのも可愛い。…………中身はハートの城の宰相だとわかっているが」


なんだ、知っていたのか。わたしとアリスは同時に胸をなでおろす。知らずに抱きしめてあとでトラウマにでもなったらわたしにも責任がでてくるだろう。確かに五月蝿いペーターは大変に愛らしい。小さな小動物が震えてアリスのような女の子にしがみついているのだから、あまりにもメルヘンだ。彼には切迫している状態なのだろうが。
アリスがわたしに目配せをする。わたしはすぐに理解して頷いた。


「あ、グレイ! 急用を思い出したわ、ごめんなさい!」
「え?」


言うなりグレイの手をペーターから遠ざけて、アリスはそそくさとその場を去った。ぽつんと残されたわたしは、落胆したグレイを見やる。彼は行き場をなくしてしまった手をじっと見つめ、どこか病んでいるようにため息をついた。たぶん彼の疲労の原因であるところのわたしは、少しだけ居心地が悪い。
気を取り直して最後に向かった雑貨屋で包装紙やらリボンを一式買い込み、それで今日の買い物は終了だった。雑貨屋の荷物だけはかさばるし軽いのでわたしが持つことをグレイは渋々了承してくれる。付き合ってくれたお礼にお茶でもしようと誘ったのだが、彼は頑として受け入れなかった。


「早く塔に戻ろう」


寒い場所に長居はできないとばかりに彼は身を翻す。わたしは少々面白くなかったけれど、悪いことをした子どもがそうであるようにしばらくは黙って従うことに決めていたので彼のあとを追った。背の高いきっぱりとした背中は、雪のつもる町中に映える。
町並みは冬にすっかりと模様替えをしているので、ところどころに冬特有のあたたかさと言うか懐かしさが滲んでいた。わたしの生まれ育った場所は四季に富み、夏は暑かったし湿度も高く冬は例年通りに雪が降った。同じだ、と思う。洋風つくりの家が多いけれど、雪に沈みその中でも楽しんでいるふうである町並みの呼吸はそっくり似通っている。
町の中心部に据えられる塔は見上げるほど高く、白く煌いていた。町中にあるどの家よりも懐かしいそこに、帰ってくるとほっとする。


「グレイ?」


荷物を運び終えコートを脱ぎ、ようやく座ってくれたグレイに珈琲を手渡す。グレイは驚いたように瞳を細める。その瞳がきちんと室内用のもこもこの靴下を履いた足を確認しているのがわかった。


「今日は付き合ってくれてありがとう。重かったでしょ?」
「いや、塔の買出しよりは楽だ…………それよりあれだけの荷物を君に運べるわけがないだろう」
「もちろん何回かにわけようってちゃんと考えていたよ」
「では俺が一緒に行って正解だな…………君を寒空の下に何度も出すわけにはいかない」


ぽってりと厚い白磁の珈琲カップに口をつけて、グレイは深く納得した声を出す。わたしも自分用に淹れた珈琲の苦味を味わいながら、苦笑した。ここは温かく穏やかだ。グレイが怒っているにしろ、きちんと言うことを聞いていればいつかわだかまりも溶けて行ってくれるに違いない。


「それにしても…………ペーターは可愛かったね」


出来るだけ無難な会話を選ぶ。わたしは知識が豊富なわけでもないから、アリスのように熱心に話しこむことは出来ない。だから彼らが答えてくれるような会話が望ましかった。グレイは肯定するように笑ったあとで、ひどく残念そうに手のひらを眺めた。


「あぁ…………抱きしめるのは諦めるから、せめて撫でさせてほしかった」


疲れたお父さんの妄言のようだ。わたしは同じソファに座って肩を落とす大きな体躯の男性を、心配そうに見やる。冬になって彼の仕事量は大幅に増えた。町に出れば雪の処理に追われ、暖房器具や燃料の調達に頭を痛め、事故の後処理までしていたようだ。加えて居候が長い風邪をひいたことで、真面目な彼には相当の苦労をかけたのだろう。
わたしはできるだけ彼が和みそうなものを思い浮かべる。


「あ、この前拾ってきたモモンガを撫でたら? 彼ら、とても可愛いし」
「今は昼だからな…………眠っているのを起こすのは忍びない」
「そっか。じゃあ猫! ナイトメアの部屋に何匹もいたじゃない」
「あの子達はナイトメア様の部屋が特に気に入っているらしくてな。俺の部屋には来たがらないんだ」
「え…………じゃ、じゃあ」


世話を焼いているのはグレイなのにナイトメアに懐くとは薄情な猫だ。わたしはえーと、と思考をめぐらせたが冬の季節に小動物は元々少ない。本気でペーターを借りてくるか、エリオットに化けてもらうしかなさそうだ。どちらも希望的観測の域をでない叶わない願いだろうが。


「大丈夫だ、。…………君がそんなに悩まなくとも」


温和な声に、緊張していた部分が解きほぐされる。普段怒らない人が笑ってくれないというのは、わたしにとっても負担だったようだ。グレイはくつろいだ表情のまま、隣に座るわたしの額あたりを撫でた。


「俺は君に謝らなければいけないな」
「…………え?」
「君の風邪が完治しているのはわかってるんだ。もう一人で出かけても大丈夫だと言うことも理解している…………だが」


そこで笑っていた口元を引き結び、グレイは声を落とす。


「今回の件で思い知ったことが二つある。ひとつは君の友人の幅広さ…………あの帽子屋が共もつけずに単身乗り込んでくるとは正直思っていなかった」
「…………あの人、あれで結構情に厚いから」


見せている部分の裏側で苦労したり努力したりしているのに、決してそんな姿を見せようとしないブラッドをわたしは意地っ張りだと思う。けれどわたしの見舞いにくるのに共のひとりもつけずに現れたりもするのだから、彼の見栄というか体面はいったいどこにあるかはわからなかった。
元々そうなのだ。わたしはこの世界の住人について何も知らないに等しい。いくら一緒にいたとしても、いつだってゼロに近い。


「もうひとつは…………」


口を開いたグレイが言いよどむ。困ったような顔のあと眉間にゆっくり皺を刻んだ彼は、どこか不機嫌に見える最近の表情に戻っていた。わたしは撫でられていた手がゆっくりと遠ざかるのを見つめた。


「君が、ここにいるのは当たり前ではないということだ」


絶望的なほど残酷な笑みは、彼の優しさゆえだろう。余所者だからと言われるよりも余程、わたしは衝撃を受けた。彼の言い方は、わたしを失くす恐れを指している。帰ることや立ち去ることではない、もっと具体的で愚かな選択だ。わたしは羞恥で顔が赤くなる。いつだって自分の首を絞めるのは自分自身なのだ。


「ごめんなさい」


自分自身だから重きを置いていなかったが、グレイは以前の事件を覚えていてくれている。忘れろという方が無理だろう。わたしはエースとブラッドが対峙した会合の場で、全員の前で自分自身に拳銃を突きつけ躊躇いもなく撃った。
わたしは一度、全員の前で死んだのだ。少なくとも死んだと思われていた。


「いや、いいんだ。俺は愚かだから君が笑ってくれると大切なことを忘れてしまう」


グレイが愚かなのではなく、わたしが馬鹿なのだ。いつだって自分がしでかしたことを軽くみなしてしまう。そうして覚えていてくれる人たちよりも早く忘れる。
言うべき言葉が見つからなかった。肯定も否定もできない。わたしはいつだって不確かな存在なのだし、それを改める術など知らない。じっと手のひらを握りしめて構えると、グレイの長い指が覆うようにしてかぶさった。


「すまない…………悩ませるつもりじゃなかった」
「…………ううん」
「ただ知って欲しかった。俺は君を失うのが怖い」


グレイはやはりどこか困ったような、苦しげではあるが諦めも含んだ微妙な面持ちで見つめてくれる。わたしは彼の指先で覆われてしまう自分の手を、あまりにも無力だと思った。何も出来やしないのに、何かをしたいと思っている欲張りな手。
グレイはそんな木偶に成り下がったわたしに構わず笑う。


「だから、閉じ込めておきたかったのかもしれない。何かしらの理由をつけて、冬に閉じ込めてしまいたかった」
「…………グレイ」
「だがそれも限界だろう。君は自由だ」


自由。どこにだって行けるし、誰とだって一緒にいていい。けれどそれを自分ではなく他人が発するのを聞くと、どうしてこんなに淋しいのだろう。その自由に自分は含まれていないと宣言されているように感じるからだろうか。
グレイは尚も優しく諭すように「今日の荷物はバレンタインデー用だろう」と付け加える。わたしは頷いて、風邪のときにお世話になった皆に渡すことにしているのだと白状する。特別黙っていたわけではなく、聞かれなかったから答えなかっただけだが、わたしはそれでもこの人に不実を働いたような気になって悲しくなった。グレイの冬に閉じ込めておいてもらえばきっと、わたしはいつまでも穏やかに暮らしていけるだろう。けれどグレイも同じように幸福になれるとは思えない。
わたしはいつだって不確かなくせに自由で、曖昧なくせに定着したがる。


「グレイのチョコレートは、とびきり甘くするから」


彼が癒されるように特別甘く、優しい味になればいい。わたしがようやく笑うとグレイもいつもの彼に戻って、その誠実さで返事をしてくれた。期待してる。彼の優しさに到底及ばなくともわたしの精一杯を込めたチョコレートを思って、わたしは包まれた手の甲に意識を集中した。そうすれば彼以外、何も考えなくてもすむ。



















死を知る唯一の獣





(10.02.06)