バレンタインのためのプレゼントを作ったので届けに行きたい。わたしは出来るだけにこやかに、つとめて邪心もなくナイトメアに伝える。もちろん贈り物を届けるまでが自分の仕事であるのだし、お見舞いのお礼という名目上わたし自身が行く必要があった。
ナイトメアはやはりいい顔をしなかった。すべての季節を回るのはまだやめた方がいいと神妙に言う。わたしは彼が心配してくれる価値が本当に自分にあるのかわからない。少なくとも、わたしは小さな子どもではないのだ。


「大丈夫、ナイトメア」


わたしのあてにならない「大丈夫」を、この人は何度聞いてくれるのだろう。
袋いっぱいになったプレゼントを詰めて、まるでサンタクロースのような格好になりながらわたしは期待ばかりが気を急かしていくのがわかった。喜んでほしくて、それでどうかわたしに目を向けてほしくて。
納得しかねる顔のままのナイトメアと後ろに控えるグレイに、袋とは別の包みを二つ取り出して机に並べる。


「これは…………?」
「わたしから、ふたりへ。青いのがグレイで、薄紫がナイトメアね」


真四角の箱がふたつ並び、リボンがそれぞれ結び方も色も違う。ナイトメアはまるで自分の分は期待していなかったように、驚いている。グレイもまた然り。なぜ自分たちが感謝のリストから外れているなんて考えられるのだろう。彼らはわたしに随分よくしてくれたし、迷惑だって沢山かけたのに。
ナイトメアの箱には、チョコレートタルトが入っている。ハートのクッキーがのせてある、かわいらしい作品。
ナイトメアは恐々箱に触れて、わたしを見つめる。


「あ、ありがとう。君が作ったのか…………?」
「そう。味は保障するよ」
「まずいわけがないだろう」


断定的に言われて、わたしは身が竦む。こうやって明らかに別格扱いをされたときの、不安で心もとない感じはどこから来るのだろう。
わたしはきらきらした目で自分の箱を見つめるナイトメアから、グレイに視線を移す。


「グレイも、休憩のときに食べてね。荷物を持ってもらったお礼も兼ねているから」
「あぁ…………本当に俺がもらってもいいのか?」
「もちろん。わたしは渡したくない相手にまで作るほど、心が広くないの」


冗談めかせて言い、わたしはグレイが笑ってくれたのを確認してコートを着込む。小さなものがほとんどとは言え、袋はやはりずしりと重かった。その重さがわたしの思いなのだとすれば、軽いくらいなのだけれど。
いってきます、と言うわたしにナイトメアはやはり誰か付けようと言ってくれたけれど、わたしは丁重にお断りをした。まずは夏に行くつもりで、そのあとにアリスと待ち合わせをして春に行くことになっている。
温かな部屋から一歩でると、冷たい廊下がわたしを迎えた。この塔は冬がよく似合う。こうやって広い廊下に冴え冴えと白い光が舞い降りるところなど、芸術的だ。わたしはゆっくりと周囲を見渡しながら袋を持ち直して歩き出す。どうか喜んでくれますように、と祈ることは忘れなかった。











* * *  * * * * *










「ほんっとーにすまなかった!」


夏の遊園地に、わたしは謝罪と共に迎えられた。ゴーランドは大仰に頭を下げながらわたしをパラソルの椅子に座らせる。
彼が悪いわけではもちろんないし、自分自身の健康管理の問題なのだと言っても彼は訊かない。自分が不在だったせいだとひどく後悔している口調で続けられるので、わたしはとても申し訳なくなってしまう。遊園地の面々がナイトメアに対して謝罪してくれたのを知ったのは治ったあとだった。お見舞いには申し訳なくていけないが、少しでもよくなってほしいと贈られたのは立派なひまわりだ。雪景色を背景にするように窓辺に飾られているそれの、所在なさげな風情がとても綺麗だと思っている。


「あのね、ゴーランド。本当にもう治ったから」
「いいや! あんたは思っているずーっとずーっと弱い!」
「人を虚弱体質みたいに言わないでよ」


ナイトメアじゃあるまいし。わたしが肩を竦めてみせると、右隣に座ったボリスが頷いてくれる。ちなみにこの炎天下の中でもきっちりとファーを巻きつけている彼の方が熱中症やその他もろもろの面で心配だ。ボリスは額に汗を浮かべながら、少しだけダルそうにして手の中にある箱の中から小さなものをつまみ上げる。


「そーだぜ、おっさん。はよくなったんだしいいじゃんか。それにほら、こぉんなうまそうなもんまで作ってくれたしさ」


彼のつまんだサカナの形のクッキーには、チョコレートがかけられている。箱の中には他に、タコやクジラなんかの形もあったりする。わたしは冷やしてから食べた方がいいと言ったのだが、頑として今ここでと開けられてしまった。
わたしはボリスの援護を無駄にしないべく、立ち上がって彼に平べったい箱を渡した。黄色のリボンのついた、瀟洒な音符のシールで止められてある。


「これはゴーランドに。もう風邪になったりしないから、遊園地に来ちゃいけないなんて言わないでね」
「もちろん言うわけないだろ!」
「よかった」


ゴーランドの続けようとした忠告は聞きたくなかったので、わたしはお礼で黙らせた。自分でも卑怯だと思われるやり方に、笑ってしまう。でも多分、わたしは彼の心配をこれ以上聞いていられない。


っ。アイスコーヒー買ってきたよ!」


ゴーランドがまだごちゃごちゃ言おうとしている空気を打ち破ってピアスが現れた。彼は手に持ったプラスチックの容器をわたしに握らせて、「水分補給!」と真面目な顔をする。もちろん彼にとっての水分が珈琲であることは間違いないのだろう。ピアスのまっすぐなまなざしにわたしはいつも笑い出してしまう。長く続くクスクス笑い。わたしはピアスの手に、代わりのものを忍ばせる。


「なに、これ?」
「バレンタインのチョコレート。今回はチーズじゃないけど、ナッツや木の実をたくさん入れたから」


不思議そうに首をかしげるピアスの手の中にあるのは、カップに入ったチョコレートの上に様々なナッツを仕込んだ彩り豊かなものだった。彼にはぴったりな、ひまわりの種も入っていることはゴーランドには内緒だ。
包みを開けたピアスがひどく喜んで抱きしめてくれ、それを身体に障るからとゴーランドが無理やりはがしてくれたあとに、ボリスがのん気な調子で持っていたクジラのクッキーを食べさせてくれる。あまりにも順調な、けれどすべてが緩慢になる夏の日差しの中で、わたしは笑う。長く居ては他のプレゼントが痛んでしまうから、と名残惜しそうに席を立ち、片手で器用に日傘を差す。その影に入ると、守られていると安心できた。









* * * * * * * * * * * *










「…………ほぉ、これは見事」


ビバルディの手のひらに乗った、薔薇を形作っているチョコレート。彼女の贈り物には一番苦心しただけあって、その一言だけで充分だった。一輪の薔薇をかたどった、アートチョコレート。
アリスに変えてもらっていた季節のおかげで、わたしは春に来ている。ビバルディのお茶に呼ばれるような形で席に着き、キングとアリスと共に彼女を見つめていた。ビバルディはわたし達が見守る中で満足げなため息をついてそっと薔薇を箱にしまった。それをテーブルの端に寄せて、彼女はメイドにきつく言い含める。


「形を崩すことは許さぬ。気をつけよ」
「は、はい!」


傍に居たメイドが怯えきった表情で恐る恐る箱を持ち上げて、城に戻っていく。わたしは彼女に申し訳なくなった。お願いだから食べてね、と付け足すとビバルディは拗ねるように口を尖らせた。だったら食べられるようなものを持っておいで。


「あれでは綺麗過ぎて、口に運ぶなど想像できん」


その率直な物言いと、明らかにメイドへの態度とは違う柔らかな女性らしさ。わたしはビバルディの友人であるという自覚をもつ。すべてを手に入れているようで、けれどいつも満足することを知らない女性。
お見舞いに来てくれたことに礼を述べ、キングにも慎ましやかではあるけれど包みを贈ってからエースの不在を知った。本当にままならない人だ。こうやって会いたいときには会えないのに、ばったりとクローバーの塔で会えたりする。わたしはいつも心構えができていないので、嬉しいのか迷惑なのかわからなくなってしまう。
ペーター用のチョコレートはもとからない。彼にはアリスのひとつで充分だし、あげたとしても捨てられるのが関の山だ。彼の行動や言動が、いつも動かない線であるのが目に見えるようだった。ぶれずにまっすぐ、戸惑いもないので彼は強い。
エースの分を置いていこうか迷い、けれど結局自分で渡すことに決めた。間に何かを挟むのを、きっとエースは好まない。
春は落ち着いていて、どの季節よりも匂いが濃い。暖かい空気は分厚くて柔らかな服のようにまとわりつき、窒息しそうなほど濃い空気を喉に感じる。目を閉じてじっと春の季節に耳を澄ますと、なにも考えずに澄む。ここにはビバルディやアリスやキングがいて、他の二人がいるときより余程平和なはずなのに、テーブルの隅でそれらすべてを忘れて春に身を寄せるわたしは正しく余所者なのかもしれない。












* * * * * * * * * * *











「バレンタインのチョコレート?」


春から秋へ行くためにジョーカーに会う必要があった。もちろん会うだけではなくカードゲームで勝たなくてはいけないのだが、それについては奥の手がある。
ジョーカーはわたしのことを不思議そうに、深くて赤い瞳でじっとこちらを見ている。わたしの真意を探ろうとするようだ。


「お礼も兼ねてみんなに配っているの。冬ならではのイベントだし」
「そうなんだ…………でも俺は君のお見舞いには行ってないよ?」


すまなそうというよりは面白そうな感じで付け加えられる。ジョーカーは本当にわたしが風邪を引いたことを知らなかった。頻繁に行き来するアリスに聞いてやっと知った程度であり、わたしが中々季節を変えないのは冬に閉じこもっているせいだと思っていたらしい。いくら何でも閉じこもるだなんてありえない。わたしは肩を竦めて見せるが、ジョーカーはくつくつ笑ったままだ。閉じこもりそうだよ、と小さく聞こえた気がした。
わたしは袋から小さな箱を取り出す。ジョーカーが瞳を細めた。わたしは微笑む。


「そう。だからこれはお礼ではなく、賄賂」
「へぇ?」
「ブラックジャック、一回勝負でどう?」


そもそもブラックジャックを三回続けて、というのがいけない。あれでは一度勝っても気が休まらないのだ。わたしはぴっと掲げた指先に、力を込める。ジョーカーは他の人より控えめな感じで笑う。楽しいかどうかは別として、いつも。


「驚いた…………勝負なし、ではないんだ」
「それじゃあ意味がないでしょう」
『おいっ、なんだそりゃ! 俺様の目の前で不正は許さねぇぞ!』


はじけるように喋りだした仮面に、わたしはひどく懐かしさが滲んだ。彼はあれやこれやと暴言を撒き散らし、けれどわたしに対してはそれほどひどいことを言わない。正しくは言ってほしくない言葉を使わないということだけれど。
わたしはもう一度袋に手を入れて、そっと同じ箱を取り出した。


「じゃあ、あなたの目をふさぐ必要があるのね?」


二つ目の箱の出現に驚き、仮面が一瞬黙った。ぽかん、という擬音が聞こえてきそうだ。仮面が黙ったことでジョーカーは噴き出し、彼が笑い転げるようすに仮面が我を取り戻してわめきちらす。そうじゃねぇ、とか、笑うんじゃねぇ、と強がる言葉たち。わたしは両手にひとつずつ持った箱を掲げて、ジョーカーに視線で問う。
どうする?
唇の端だけあげて笑い、それ以上の会話は必要なかった。ジョーカーは未だに笑いながらわたしの「賄賂」を受け取ってくれた。もちろん仮面のジョーカーは承服しなかったけれど、了承しなければ賄賂をもらわなければいいじゃないか、と付け加えられてそれとこれとは話が別だ、とも言った。結局ふたりに一つずつ渡ったチョコレートのおかげで、わたしは一発勝負でブラックジャックをできることになり、強運も手伝って勝利した。
ジョーカーは楽しげにいつまでも笑いながら、手の内を翻すように鮮やかに季節を変えていく。ベールを脱ぐ青空に見とれてしまう。いつだってこの世界はあっけなく、わたし以外の誰かの力で壊れては作り変えられていく。どこからともなく降ってきた落ち葉に誘われるように、わたしはサーカスをあとにした。










* * * * * * * * * * * *








秋はいつだって胸をひんやりさせる。ひんやり、しんみり、心に根ざしたもっと奥の部分に訴えかける。ぼうとしていると春は意識を奪われてしまうけれど、秋はいつだって考えさせられた。ここはどこで、わたしは誰で、いったいどうしてこんなことになっているのか。
秋の空は冬の空ほど空虚ではなく、見ていて逸らしたくなるほどの痛々しさもない。色づく木々というよりは空とのコントラストを気に入っていたわたしは、人気がないのをいいことに上ばかり見て歩く。


「あ、お姉さん!」


だからいつだって、見つけてもらうほうが先だった。わたしはようやく下ろした視線の先にディーとダムを見とめる。随分会っていなかったように思う。彼らの無邪気で残酷な、その笑顔に瞳が驚いている。
ふたりは門のところから離れてわたしに駆け寄り、眉根を寄せた。そうして口々にどうして来られなかったのか、ボスばかりのお見舞いでずるいと不平を漏らす。彼らのボスに対するエリオットとはまた違う敬意の表し方。城ほど中が悪いわけでもなく、塔ほどお互いに親身になっているわけでもない関係。特にディーとダムの、彼らの言う大人たちを見つめる瞳はわたしを時折追い込む。


「ふたりとも、とりあえず落ち着いて」
「駄目だよお姉さん。僕らずっと待ってたんだよ? ボスが行っちゃいけないっていうから待ってたけど」
「そうだよ。いっそのこと、準備なんかしなくたって僕らだけでよかったのに」


その準備について、アリスはあっさりと帽子屋屋敷のしようとしたことを話した。わたしは前回の会合を思い出してぞっとし、更にはアリスの機転に感謝した。ディーとダムはやると言ったら言う前にやるだろうし、エリオットもそうだ。それにブラッドが加われば否応なしに混乱を極めていくに違いなかった。いくらブラッドたちの想定内だったとしても、わたしにしてみれば壊されることに他ならない。
袋から、大きな包みをふたつ取り出す。


「これ、ディーとダムに。心配してもらったから…………受け取ってもらえる?」


ずっしりと重い包みは、すぐにふたりに奪われた。もちろん!ともありがとう!とも聞こえた彼らの声に、わたしは微笑む。ラッピングをほどくと双子は歓声をあげた。大きなチョコマフィンが四つも入っている。彼らの成長期だと言い張る食欲を考慮してだった。
子どものように無邪気に早速取り出したマフィンを頬張って、彼らが間違いなく子供だと自覚させられる笑顔を向けられた。


「美味しい!」
「美味しいよ、お姉さん」
「ありがとう」


くすくす笑うわたしに構わず、ふたりはマフィンをあっという間に一つたいらげてしまった。随分重くて食べ応えがあるものなのに、彼らにかかればまばたきの間になくなってしまう。
わたしは食べているふたりに向かってブラッドとエリオットの居場所を聞いた。ふたりにはきちんとお礼を言わねばと思っていた。けれど、予想を裏切り昼の時間帯だというのにブラッドもエリオットも出かけているのだという。なんでもサンクスギビングディだから、いつもより仕事をしているんだとか。わたしは呆れて半ば感心し、結局笑った。


「じゃあ、ふたりにお願いできる? 渡して欲しいの」


ブラッドとエリオットの仕事を待っているわけにはいかなかったので、わたしはそう言って袋からふたつ箱を取り出した。見分けはすぐにつく。オレンジのリボンと黒のリボンで結ばれたものを渡すと、双子はもちろん聞かなくてもわかってくれた。ふたりは揃って胡乱な視線をわたしにくれ、同時にため息をつく。


「なに?」
「お姉さん、ウサギに甘すぎるよ」
「そうだよ、そうだよ。ウサギは餌付けすると調子に乗るよ?」


突き放すような口調で言われたせいで、わたしはいっそ笑い出したくなった。
あんた、ピアスには優しいよな。
わたしが甘すぎるウサギは、別の動物に対してその言葉を使った。今の彼らと同じように不服を訴え、けれどそれ以上にどうしたらいいのかわからない不安そうなようすで。
同じ事を言われるということは。わたしは考える。同じ事ばかりを繰り返しているということに過ぎない。誰に見られても過不足があり、どこをとっても満たされていない。
わたしは双子の門番にひっそりと笑って別れを告げた。近々また来ると約束させられてようやく解放されたのだが、わたしはその力強さに目眩を覚える。どうしたって心のままにある二人に、きっと敵うはずがないのだ。











* * * * * * *















冬へ帰る道すがら、わたしは不意に名前を呼ばれる。森の中を歩いていた。わたしは声のほうに振り返ろうとして首を右に動かす。けれどまばたきの間に、鬱蒼とした森は様相を変えていた。
―――――――――檻?
鉄格子が仰々しく並べられた、そこは確かに檻だった。把握しようと瞳を凝らし、そのせいでまばたきを繰りかえす。そのたびに世界は場所そのものを変えていった。森、檻、森、檻。檻ばかりがひしめく空間は、見たことのある刑務所などとは違っていた。ひやりとした空気が足先から這い上がってくる。ぞっとするほどの冷気と悪寒。
だから突然肩を強く掴まれて、内心ほっとした。


「どうしたんだよ、


ばっと顔をあげた先には栗色の髪の爽やかな男性。真っ赤なコートが森の中で浮いてしまっている騎士は、黙ったまま見つめるわたしに多少困った顔をした。
さきほどの場所はなんだったのだろう。渇いた虚しさややり切れなさばかりが胸を締める。
けれどもう一度ゆっくりとまばたきをして自分がこちら側にいるとわかると、わたしはエースに微笑んでいた。


「驚いた、エース」


言葉を少なくすると、どんどん本質は隠れていく。檻なんてものが見えてしまったから驚いたのだし、こちら側に戻してくれたエースのタイミングのよさにも無論驚いていた。そのどれもを集約して、つまるところ無意味な「驚いた」を作り上げるわたしは愚かだ。
エースは仕事帰りであることやこれから塔に向かうことを簡潔に話してくれた。彼が羽織るぼろぼろのマントは、いくら買い替えを進めたところで聞かない品だ。


「じゃあ、一緒に行こうよ」


わたしもユリウスの部屋に行くの。
告げると、エースがあからさまにぎょっとした顔をした。わたしはもう随分少なくなった袋の中身を指して見せる。


「エースとユリウスの分。お見舞いに来てくれた、お礼」
「…………ユリウスにチョコレート、ねぇ。君のことだから中身は可愛らしいんだろうけど、どうやって仲直りしたんだ?」
「ん?」


わたしは含み笑いのまま、エースを見つめる。まるで何のこと、と尋ねるときの様子で。
喧嘩の仲直りなどしていないことがわかったエースが、また目を丸くする。この人の、笑顔以外の顔は新鮮だ。とても子どもっぽくなるし、反対に誰かわからなくなるときもある。
わたしは微笑んだまま、エースをまっすぐに見る。こうやって他人を見てしまえる残酷さが、わたしの武器であり弱点だ。


「エース、わたし特別扱いは嫌いなの」


自分は散々この世界で甘やかされているくせに、胸を張って言い切った。お世辞もおべっかも大嫌いだった。本心ではないことを言われることも、言わなければいけないことも全部。けれどそれがなくては人間関係をよりよく作り上げることはできない。偽りと誤魔化しと少しの本当。それだけあれば充分で、相手によって違う仮面を作り上げるのは容易かった。
エースはやがて長いため息をつき、眉を八の字にしたまま笑った。爽やかではない、疲れた人みたいに。


「そういうことか…………ユリウスも苦労するぜ」


心得顔のエースが、一体わたしの何を汲み取ってくれたかはわからない。けれどクローバーの塔には自力でたどり着くからと断れた。彼の為に作ったチョコレートを渡すと、大切に食べるよと騎士らしい誠実な台詞が返ってきた。これが彼の非常食になるであろうことを予想しながらわたしはラッピングの施された箱を見つめる。
エースと別れて塔への帰り道を急ぎながら、さきほどの檻が脳裏を掠めた。人の気配もなく、冷たい石畳は何の匂いもしなかった。幻覚だったというにははっきりとしすぎたそれを、わたしはすでに認識し始めていた。この世界に幻覚などなく、例えそうだとしてもそれは真実に近しい夢なのだ。そしてその夢は、始まれば終わりをみないことには目覚めることもできない。









* * * * * * * *









時計の音に満ちた、暖炉の火が赤々と燃える部屋の空気は温められてそれ自体が重さを持っている。わたしはノックを二度したあとに部屋に入り、いぶかしむユリウスの目の前に立つ。この部屋はなにひとつ変わったところがない。引っ越しをする前も、こうやって再会を果たしたあとでさえこうなのだからもちろんわたしがいなくても変わらなかったのだろう。悲しいわけではないが、ユリウスの落ち着いた様子に落胆したのも事実だった。わたし自身は彼の不在について多少なりとも考えるところがあったのに、彼にはまるでなかったように感じてしまう。だから、言い合いになるきっかけなどいくらでもあった。


「わたし、まだユリウスを許してない」


ここから出て行け。
完璧な拒絶だった。以前は寝起きを共にして、友人と呼べる位置にいたはずなのにあんまりだ。けれどわたしは忘れていやしないだろうか。この人は最初からこうだった。この世界に落ちたとき、右も左もわからないわたしに彼は同じようなことを――――正確には、さっさと出て行け、だ――――言われたのではなかっただろうか。今更彼の暴言に対して目くじらをたてたところで何になるだろう。ナイトメアやグレイがわたしを大切にしてくれるせいで、随分と傷つきやすくなったものだ。
ユリウスは驚いた様子も見せず、けれど視線をはずして机の隅を見据える。


「…………言い過ぎたと想っている」


か細く、けれど淡々とした声に目を丸くした。ユリウスの謝罪だと認識してはいたが、いかんせんそんなものは初めてだった。わたしは決まり悪そうにするユリウスの様子が所在なさげで可哀想になる。いまやこの部屋のすべてはわたしに味方してくれているようだった。わたしは思わず笑ってしまった。喉の奥から漏れる、びっくりするほど新鮮な笑みだった。ユリウスが顔をあげて、心外だという顔をする。


「何を笑っている」
「ご、ごめん。でもおかしくて…………あのね、ユリウス、わたしここに来るまでの間にたくさんプレゼントを配ってきたの」
「プレゼント?」
「そう、バレンタインのチョコレート」


こみ上げる笑いをそのままに、わたしは続ける。あからさまにユリウスの眉間に皺が増えた。風邪を引いたときに迷惑をかけたから感謝の意味で贈っていると説明すると、大したお人よしだなとつっけんどんな返事をされた。先ほどまで言い過ぎたと謝罪した人が、もう機嫌が悪い。


「感謝するくらいなら体調管理を怠るな。また季節をめぐって病気になったらとは考えないのか」
「うん、ナイトメアにも言われた」
「夢魔は馬鹿か? そうと知っていてお前を行かせたのか…………この塔の連中に世話ばかり焼かせて菓子作りとはいいご身分だな」
「うん、わたしもそう思う。…………本当に周りには世話を焼いてくれる人ばかり」


何を言われても怖くなかった。むしろユリウスの刺々しい言葉のすべてが愉快でたまらない。わたしはむっつりと黙り込んでしまった彼の前に、箱を取り出して置いた。小ぶりの箱には艶々とした白いリボンがかけられている。


「だからそんな優しい人たちにはお礼をしなくちゃ」
「…………私は心配など」
「いくら熱が出ていて意識が朦朧としてるからって、あれだけ何度も来てくれればわかるに決まってるでしょ」


否定しようとしたユリウスの先回りをした。はっきりと覚えているわけではないが、確かに彼は隣にいてくれた。決して触れたりせずに、見つめていてくれた。アリスがユリウスの話題をのぼらせなかったことで確信を持ったし、エースの話し方も妙に不自然だった気がする。
今度こそ詰まったユリウスに、わたしはようやく落ち着いてくる。


「あのね、さっきの話しなんだけど」
「…………なんだ」
「許してないけど、怒ってないよって言いたかったの。お見舞いにきてくれて、ありがとう」


怒りを持続させるのは難しい。特にわたしの場合、突発的な怒りは時間と共に形をなくしてしまう。彼の声や仕草を反芻させるうちになくなってしまったあの憤りは、もう身体のどこを探してもないだろう。また不用意に大きくさせない限り見つけられない。
ユリウスの頬がうっすら赤く、照れているのだとわかった。本当に、なんて優しい人たちばかりの塔なんだろう。


「お前が一番、馬鹿者だ…………」


呟きはどこか甘く聞こえた。わたしは身を翻して珈琲を淹れにいく。頼まれもしないし許可も得ていないけれど、ユリウスはきっと受け取ってくれるだろう。うんと甘いチョコレートに四苦八苦する彼を思って、わたしは笑う。
外は雪がちらつきはじめ、いずれは吹雪になるのだろうと思われた。そのときのわたしに想像できるのはそれくらいで、自分が愚かであることを知るのはもっとあとだ。夢で見たあの顔のない両親や寒々しい檻の幻はもうすぐ傍まで来ていた。守ってくれる腕がなくなるまで知ることすらしなかったなんて、何を悔やめばいいのかわからない。



















His promises are empty





約束は口先だけ。



(10.02.05)