雪祭りは盛大に行われ、冬は活気付いていた。夜でもきらびやかにライトアップされた見事な雪像を見ることができたし、小さな子どもたちが雪だるまで作った歩道が人気で、クリスマスとは違った賑わいを見せている。
ビバルディはナイトメアにお茶を要求し散々文句をつけ、エースが起きたあとに帰っていった。エースはわたしの太ももが痛み出したので強制的に起きてもらった。だいたい、エースはいつだって全力でのしかかってくる。避けられないスピードで、避けるはずがないと思っているのかもしれない大胆さで。
女王様と騎士が春に帰ったあと、ナイトメアは案の定風邪を引き、ユリウスは引き篭もっている。きっとそうなるだろうとは思ったけれどナイトメアの体調不良を受けてグレイも仕事にかかりきりになってしまった。わたしは塔の仕事に不可欠な要員ではないのでナイトメアに薬を飲ませてしまえば仕事を抜け出せる。グレイには悪いけれど、行かなくてはいけない場所があった。
塔を出て町を歩き、徐々に視界から雪がなくなって緑が増える。わたしは黙々と歩き続けながら、こうやって目的があるのはいいことだと思う。目の前にサーカスのテントが見え始めると、大きな玉やフラフープのような輪が無造作に散らばっていた。まるで先ほどまで誰かいたのに、突然消えてしまったような空間だ。いつもいつも、ここは誰かがいるのにいないふりをしているかのように見える。そうしてわたしの都合の悪いときにしか出てこない。


「…………ジョーカー?」


カードゲームに興じる場所に、彼はいなかった。珍しい。いつだって呼べば現れたし、驚かせるのが好きな人なのにしばらくたっても現れない。
どうしよう、季節を変えて欲しいのに。
派手な白と赤のテントをぐるりと一周してから腕を組む。いなかったことなど始めてなので対処のしようがなかった。団員らしき人の姿も見当たらないし、テントの入り口はあるけれど人が居るかはわからない。
考えて迷った末にわたしはテントに入った。もちろん入る際に「ジョーカー、いる?」と付け加えることも忘れない。侵入者と間違われてうっかり殺されては敵わない。
裏口らしき場所から中に入ると用具やら木箱がたくさん並んでいた。名前を呼びながら誰かいないか緊張した面持ちで歩を進め、次の部屋に入ったところで思わず足を止めた。
そこは小さな部屋になっていた。誰も居ないのに照明があてられ、中央には棺おけのような箱が台の上に置かれている。周囲には無造作に剣が散らばっているので人体切断用のマジックに使うものなのだろうと思われたが、実物より生々しいものに見えた。
やはり戻ろう。きびすを返そうとしたが、すでに遅かった。


「何をしているの」
「そうだよ、ここは立ち入り禁止だよ」


甲高く子どもらしい声。わたしは戻ろうとした足を無理やり戻す。
スポットライトの中央に見知った男女の子どもがいた。サーカスらしい衣装を着て、その手には剣とのこぎりをめいめいに携えている。


「…………ジョーカーに会いに来たの。誰も居なかったから入らせてもらったんだけど」
「ふぅん、そう。でも駄目だよ。お姉さんは関係者じゃないでしょう?」
「そうよ。駄目よ。ジョーカーのお客さんでも、まだサーカスは終わってないもの」


いつになく強気の子どもたちにわたしは曖昧に微笑んで謝罪する。もう出て行くことを告げるが、子どもたちはまた首を振った。


「でもジョーカーに会いに来たんでしょう?」
「…………でも、今はいないんじゃ」
「待っていればいいよ。僕たちの練習台になってくれたらいい」
「練習台…………?」


嫌な予感がしたが、子どもたちが指し示した方向から的中したことを知る。棺おけを指差しにっこりと口元だけで笑う顔なしの表情は幼いと余計に不気味だ。
さぁ、練習しようよ。思い切って切ってしまえば怖くないわ。
ふたりの腕が同時に伸び、わたしを捕まえようとする。指の短い、爪の丸い、子どもの手。ひどく人形じみた手に感じたのは恐怖ではなく、苛立ちだった。
ぱちん。気付くとふたりの手を跳ね除けていた。子どもたちは一様にひどく傷つけられ驚いた顔をし、わたしはわたしでまばたきを繰り返す。拒絶ばかり表しているわたしだが、こんなにもはっきりと拒絶したのはいつぶりだろう。


「しない。練習なんて」


張り付いた喉からようやく声が出たけれど、震えていた。子どもたちは叩かれた手を抱えて驚いている。


「おや。何してるんだい」


固まってしまったわたし達の間にジョーカーが割り込んだ。三人とも信じられないほど動揺したまま、彼を見る。子どもたちが口々にわたしが勝手にテントに入ったことや突然手を叩かれたことを訴え、わたしはそれを黙って聞いていた。不当だとは思わず、けれど自分で主張するものもなかった。少なくともジョーカーや子どもたちに、何かを主張したくない。
ジョーカーは黙っているわたしを見て片眉を器用にあげてから、子どもたちをたしなめる。


「それは君たちが悪いよ。そんなものを持っていたら誰でも怯える」
「これ? でも練習には必要だわ」
「そうだよ。のこぎりがなきゃ練習できない」
「剣もよ。これがなきゃ駄目だわ」
「でもはやらないって言ったんだろ? だったら諦めて違う練習台を探さなきゃ」


ほら、と子どもたちを急かすと渋々彼らは出て行った。わたしはジョーカーを見上げる。底の見えない、優しげに見えるくせにまったく優しくない男を。


「危なかったね、。あの子達はよく失敗するから」
「…………そう」
「失敗したら縫い付ければいいんだと思ってる。大事にしないと練習にならないのに」


ね、と笑うジョーカーには目も口も鼻もついているのに、先ほどの子どもたちよりずっと不気味だった。何に対して笑っているのか、話しているのか、わからなくなる。


「秋に行きたいの。季節を変えて、ジョーカー」


要件を簡潔に述べると、ジョーカーはやっぱり何が可笑しいのかくすくす笑う。


「君は拒絶が上手いね、。アリスとは大違いだ。彼女は子どもたちを拒絶できない。サーカスや、もちろん俺たちのことも」


ジョーカーの瞳はまっすぐに向けられている。この世界の誰もあえて口には出さない類の真実を、彼はこともなげに話して聞かせる。


「君自身が留まらないと決めたらどこにでも行けるんだろう。アリスは帰りたい場所を手に入れたけれど、君にはないから」
「…………」
「騎士も時計屋も夢魔も、なぜ君を手に入れたがるんだろうね。珍しさよりもよっぽど、面倒くさい子なのに」


いつのまにか取り出したトランプをきりながら、ジョーカーは薄く笑う。まるで世間話をするかのように、わたしに刃を付き立てる。両腕を抱えて、わたしはじっと耐えるしかない。


「それで今度は秋に行くんだろう。帽子屋に何をお願いしに行くか、とても興味があるなぁ。…………君はいつだって、無償で何かを手に入れるのが上手だから」
「…………」
「何も賭けず、捕らわれず、慎重に闇を見据えて誰かに手伝ってもらえば真実なんてあっという間に見えてくるだろう。簡単だよね。なんなら俺が案内してもいい」


シャシャシャ、とトランプが軽快にきられていく。ジョーカーがこんなに好戦的なのは初めてだった。けれどいつだってわたしの傍には誰かがいてくれたような気がする。監獄のジョーカーやエース、ユリウスやアリス。全員が優しかったし、見るなと警告してくれていた。


「あなたに付いていったら、戻って来れないんでしょうね」


ジョーカーの申し出は聞かなくても片道切符だろう。真実に触れてしまえば捕らわれてしまう。真実とは、そんなものなのかもしれない。
ジョーカーは手を休めて、ことさらゆっくりと微笑む。


「戻って来れないと問題があるみたいな言い方だね」


三日月に歪む唇が、猫のようだと思った。


「帰りたい場所も待っていて欲しい人も、いないのに」


一際大きな衝撃に耐えるようにわたしはぎゅっと両腕を抱えた。自分の中身がからっぽであることを嫌でも見せ付けてくるジョーカーのやり方は確実にわたしを追い込んでいる。
負けたくない。少なくとも彼に与えられた答えなんてまっぴら御免だ。


「誰かを選ぶことが、正解なんて限らない」
「でも君は間違ってる。誰も選ばないことで高潔を気取っているつもり?」
「思ってない。…………あなたはまるで、わたしが選ばないことで誰かが不幸になってるような言い方をするのね」
「おや、賢いじゃないか。まったくもってその通りだよ」


トランプの中から迷わず二枚、カードが引き出される。目の前に差し出されたその二枚に目を奪われた。


「選ばないで手に入れられるのは安易な日常だ。それも、君の視点だけの平和。君が見せてもらっている世界で誰も不幸になっていないなんて、どうして言えるのかな」


カードを挟んで向こう側にジョーカーがいる。わたしは答えずに腕を持ち上げ、迷うことなく二枚の内一枚を引き抜いた。これはなんらかのゲームで、ジョーカーが自分の役割だけはこなしてくれているのだと理解しながら。
手元の札はピエロが踊るジョーカーだった。


「へぇ。君はやっぱり運がいいね。でたらめに選んだカードから、わざわざジョーカーを選ぶなんて」


わたしの手札を覗き込み、自分はスペードの3を掲げながらジョーカーは笑う。それから数の多いほうが勝つっていう簡単なルールにしようと思っていたんだと告げた。
わたしは眉根を寄せる。


「それで? わたしは勝ったの負けたの」
「もちろん勝ちに決まってる。ジョーカーは誰にも害されない。害すことはあってもね」


所在なげに持っていたカードを奪われ、軽やかな手つきで元の場所に押し込みジョーカーはまだ笑っている。シャシャシャ、とカードを切る手を彼は休めない。そのうちに風が変わっていくのがわかった。
秋は腕をなでる風が肌寒く、けれどいっきに心が満ちていく。礼は言わずに別れのあいさつだけを軽く済ませるとわたしはジョーカーに背を向けた。


「ねぇ、


もう出口だと言うのに、わたしは足を止めざるを得ない。首だけで振り返ると支柱によりかかったジョーカーが至極楽しそうにわたしを見ていた。


「…………もう、冬には戻らないつもり?」


薄く開いた口から漏れた声は、理解する前に脳の裏側に落ちていく。瞳を細めて何の感情も込めずに答えたわたしはひどく疲れていた。


「さぁ」


否定しなかったことで余計に明白になった肯定に気付いたのは、やっとテントから出た瞬間だった。
秋色に澄んだ空は高く、冬よりずっと軽い空気に満ちている。






















悪魔の常套手段





(10.7.25)