これはきっとわたしの我侭にすぎない。
今からすることは誰も喜ばないし、得をする人間も居ないだろう。不毛なことだという自覚はあるし、馬鹿な真似だとも思う。クローバーの塔の主従やユリウス、それにブラッドたちを巻き込んでまですることじゃない。けれど、どうしたってそれらの人を巻き込まなくてはできないことだった。わたしがひとり居るだけでそこは誰も入り込めない場所であったように、いつしか築き上げてきた関係性がそうさせた。
鏡台の中でわたしは微笑んでいる。穏やかで安からかな、愚かな自分にほっとする。わたしは賢くなどないし、だから小賢しくても抗わなければいけない。どんなに小さな波紋でも、大きな流れを変えられるかもしれないと思う。


「お嬢様〜。準備〜できましたか〜?」


のんびりとした声が聞こえて、わたしは立ち上がった。帽子屋屋敷の使用人はわたしがきちんとそこにいることを確かめる。まるでいなくなるかもしれない、とでも思われているような仕草に笑ってしまう。
ボスがお待ちです、と告げられたので部屋を出た。サーカスに連れて行ってくれると言ったブラッド。わたしの我侭と無意味な行いを叱り付けなかった人だ。
扉の前でエリオットや大きくなった双子を従えて、ブラッドはわたしを迎える。


「やはり、君には黒がよく似合う」


瞳を細めて満足そうに笑ったブラッドに、わたしも笑い返した。エリオットが目を見開き、双子たちは素直な歓声をあげている。
ブラッドの選んでくれたドレスはサーカスに行くにはいささか派手だった。漆黒のドレスはベアワンピースだ。鎖骨はがら明きだし、丈は膝上というアリスと比べると肌の露出がいささか多すぎる。けれど腰にきつく巻かれた太い真紅のリボン――――ビバルディにもらったリボンだ――――がよく映えていた。ビバルディのドレスを着ようとしたのだが、リボン以外は却下されてしまった。首に巻いたチョーカーも薔薇仕様にされ、右手首にも同じものが装着されている。薔薇のあしらわれた、白いレース着きの真っ黒なリボン。
艶やかなヒールで歩き出せば、自然と差し出されるブラッドの腕にわたしは掴まる。


「なんだかデジャヴ」


会合を思い出してクスクス笑うわたしにエリオットが頷く。


「あぁ、だがどっちでも綺麗だぜ! !」
「ありがとう、エリオット」
「綺麗だよ、お姉さん! 特に足が!」
「うんうん、すごく綺麗! 爪も綺麗に黒なんだね!」


双子の意見を聞くと、なんだか改めて女性より男性の方が格好をよく視ているのだと感心させられてしまう。足を褒めるのは親父臭いけれど、使用人が塗ってくれたラメ入りの黒いマニキュアは綺麗に濡れているので嬉しかった。
ふむ、とブラッドがわたしを頭のてっぺんからつま先まで見やる。


「君は足が綺麗だからな…………やはりもう少し短い方が」
「これで充分です。もっと短いのはお断り」
「つれないお嬢さんだ。だが綺麗だよ、これは本当だ」


まっすぐに深いため息と共に吐き出された言葉を疑うわけがない。わたしはデコルテラインが非常に気になったけれど、剥き出しの肩も爪も足も褒められては拒否できない。
あらためてブラッドやビバルディのセンスには感服する。わたしならば思いつかない服装をさせてもらえるのは嬉しい。
では行くか。
まったく張り切ってなどいない様子でブラッドは号令をかける。彼がエリオットや双子たちにどう説明したのかはわからないが、彼らはわたしが一緒にサーカスに行くことに関して何も言わなかった。いつだって開かれた腕の中に飛び込むだけでいいなんて、わたしはいつか相当の報いを受けることになるだろう。





森を歩いているとブラッドが耳に唇を寄せてきた。エリオットは前を歩いている。内緒話なのかと視線だけ移せば、彼は至極真面目な顔をしていた。


「私は君をジョーカーなんぞに差し出すために、着飾らせたわけではない」


ルージュをひいたわたしの唇よりも、妖艶なブラッドの口元から吐息が零れる。わたしが綺麗なんて嘘だ。ブラッドの方が何倍もその単語にあてはまっている。


「…………それだけは、覚えておいてくれ」


わたしはブラッドの瞳を見て、頷いた。自分を美しいなんて思わないし、こうやって綺麗なドレスも見劣りさせてしまうと思っているのだが、ブラッドに言われればそれはすべて真実だった。もちろんジョーカーのために着飾ったわけではない。ブラッドが喜んでくれるのならそれでいい。
すべてすべて、わたしのエゴを叶えるために。


「レディス・エンド・ジェントルメン!ウエルカム・トウ・ザ・ワンダフル・ワンダーワールド!」


よく通る芝居じみた声。わたしはブラッドの隣に座っている。サーカスのテントの中、中央にあつらえられたステージで深々とジョーカーが頭を下げた。彼だけにスポットライトがあたり、みんな彼だけを見ている。口上は熱っぽく観客を歓喜に誘導していく。


「あなたのために贈る舞台、あなただけに贈るサーカス。迷いなど無粋なものは放り投げて、ただ、お楽しみください」


観客は大勢いるはずなのに、やはりジョーカーはわたしだけを見ていた。三度目のサーカスは、一度目とも二度目とも違った思いで彼を見つめ返すわたしがいる。一度目はただわくわくしていた。二度目は、少しだけ不安だった。そうして今が三度目だ。
堂々と瞳をあわせながら、わたしは隣に居るブラッドが自分を見ていると感じる。彼はサーカスなど見ていない。だからわたしは何も怖くなかった。
スポットライトが消え、ジョーカーもまた同じように消える。三度目のサーカスが、やっと始まった。
























(10.07.25)