ユリウスと話をすべきよ。 自分で言ったはずなのに、彼らが話す事柄がまったく予想がつかずアリスは城の庭園で立ちすくんでいる。今しがたのの告白はあまりにも突然で、嬉しいのにとても現実感がなかった。ユリウスがを好きなことなど、ずっと前からわかっていた。彼がそれを口にするには時間がかかることも、その前にが誰かに奪われてしまう可能性があることもアリスは理解していた。それでもがユリウスを好きだと言ってくれたなら、アリスは一番安心できるはずだった。 「…………安心?」 考えてみて、首をかしげる。は頼りないけれど、この世界の有力者であれば大なり小なり強制的に彼女をここに留めて置けたはずだ。言うなればが選んだ男性が誰であっても、彼女は選びさえすればこのワンダーランドに留まらざるを得ない。 でも、なぜだろう。が誰かを選んでここに居てくれるということに、ひどい安堵感を覚えている。ユリウスであろうとなかろうと、きっと感じていたであろうと思えるほど単純で強力な安堵感。 「何をしているんです? アリス」 立ちすくんでいた自分に、穏やかな声がかけられた。ペーターだ。アリスは知らないうちに微笑んで、彼を見つめる。 「ううん、なんでも。それより聞いて、ペーター。がね、ユリウスを好きだって」 あまりにも嬉しくて、と言った調子にアリスは話す。けれど本当は事実を言葉にすることでより確実にしたかったからだ。ペーターはつまらなそうに、けれど感心するように「へぇ」と声をあげた。 「なんだ。時計屋を選んだんですか。あの女は」 「そういう言い方…………は私の友達なのよ?」 「アリスの友人だから、僕は殺したくてもあの女を殺せないんですよ。充分我慢してるんですから褒めてください」 まったく悪気のない顔でペーターはにっこり笑う。彼にとってはアリスこそがピラミッドの頂点であり、それ以外はゴミ以下なのだ。 アリスは自分に対して盲目的なウサギにため息をつく。 「殺さないのは普通のことよ…………。まぁ、前よりはよくなったと思うけれど」 「そうですそうです。僕はアリスの言うことならきちんと聞くいいウサギなんですよ」 「私のことだけって言うのが問題なんだけど…………」 呟きながら、アリスはもう完全に諦めている。ペーターがアリス以外を大切に思うことなどなく、自身のことも大切だと思っていないことを、これから先わかってもらうことなどできない。 ペーターはアリスの手をとって、歩き出す。お茶会の準備が整いました、と溶けそうな笑顔で言われると幸せになる。 「…………も、ちゃんと幸せになれるかしら」 「幸せかどうかは知ったことではありませんけど、時計屋には留めて置けないと思いますよ」 漏れた声に、律儀なウサギは耳ざとく反応した。予想外の答えに、アリスは足をとめる。従順なウサギは自分も足を止めて、アリスと向き合った。ペーターが笑っていないとき、こうやって真実に近い表情をするとき、アリスはいつも不安になる。 「どうしてそう思うの?」 「………あの女は知りすぎました。時計屋がどう守ろうとしたって、あの女は囲えません」 「だって、は自力で戻ることなんて出来ないのよ?」 「…………アリス」 「可笑しいわよ。なんでばかり、そうやって」 口に出そうとした言葉を、アリスは寸でのところで飲み込んだ。飲み込んだ言葉は喉の奥を滑り落ちて、体内に吸収される。そうして吸収された言葉は毒となり、いっきに呼吸がままならなくなった。 なんでばかり。 ぎゅうと瞳を瞑り、アリスはやっと先ほどの安堵感の理由を知った。やっと同類になれたと思ったのだ。この世界を選び、元の世界を裏切った、ただ大切な人がいるというだけで我侭に生きている自分をに重ねた。ひとりで道を踏み外していることを、本当は心のどこかで怯えていたのだ。そうしてが、同じ道を歩んでくれたことにほっとした。 なんて醜いんだろう。ユリウスを選んでくれたと知ったとき、喜びとまったく同時に落ち着いた心があったことをアリスは生涯忘れない。ペーターを選んだことを後悔などしていないと思ったのに、アリスは知らず内に彼まで裏切っていた。 「大丈夫ですか?! アリス」 慌てた様子でペーターが顔を覗きこんでいる、とアリスは目を瞑っていてもわかる。 けれど動けない。アリスは自分自身を悔いている。 「気分でも悪いんですか? それとも僕、何かいけないことを言いましたか?!」 「…………」 「あの女のことなら…………あぁ、本当に嫌ですけれどもう殺そうとはしません。アリスが危険に陥らない限り、銃を向けたりしないと誓います。アリスが気に病むことなんてしたりしません!」 「…………」 「本当は癪ですけど、あの女がいないとアリスは悲しいんでしょう? だったら僕はアリスを悲しませることなんて…………」 「ペーター」 顔を歪めて心底嫌そうに言うペーターの腕に寄りかかるようにして、アリスは額を彼の肩につける。ふわりと清潔なペーターの香りがした。 「大丈夫…………ちょっと目眩がしただけ」 「そうですか。やっぱり室内でやすみましょう。あの女のことはそれから」 「けど、に銃を向けたりしないで。ペーターの言うとおり、がいなくなったら私は…………」 一度区切り、アリスは罪悪感にとっぷり浸かっている心の中を必死で整理する。 「……………………言葉に出来ないくらい、悲しいと思うわ」 誰の声も届かない場所に行ってしまうかもしれない。アリスはそう確信する。 ペーターが渋々頷いてくれたので、やっとアリスは笑顔になれた。 「ありがとう、ペーター」 「いいえ。…………けど、アリスが気に病む必要はありません。あの女も時計屋も、わかっていますよ」 「………わかってる?」 「お互いが枷になることはあっても、牢にはなれない」 ペーターの赤い瞳が、綺麗な光を受けて輝いている。アリスはその光に飲まれてしまって声が出ない。 「僕はそんな真似はしません。アリスを離したりしませんから」 言葉と一緒に強く抱きしめられ、それ以上アリスは何も言うことはできない。けれどと自分がまったく違う方法で、この世界に留まったことだけはわかった。誰かを好きになったという理由は同じだとしても、そのあり方はまったく違うのだ。 …………共犯者にはなれないかもしれないけれど。 罪悪感を共有することしかできないけれど、ずっと友達でいられたらいい。アリスは自分が感じた安堵感を苦々しく思う。本当はこの世界にいることを、自分ではない誰かに認めて欲しかったのだ。同じ方法で、間違いだしてもその姿を見て、安心したかった。 ――――――――ユリウスときちんと話すべきよ。 対話が必要なのは自分じゃないか。ペーターと、自分と、もちろんと。 アリスは優しいウサギの腕の中で、いつだって迷う自分自身を見つけた気がした。 |
ナーバスな薔薇色
(10.11.29)