「ねぇユリウス、秋に行かない?」 わたしは努めて慎重に、注意深くそう聞いた。時間帯は昼で、外は珍しく晴れている。ナイトメアと一緒だった夢の余韻が続いているような、静かな気配が漂っていた。 仕事中だったユリウスが、片方の眉を吊り上げてこちらを見る。 「秋に、か?」 「うん、そう」 「…………帽子屋に会いに、か?」 「うん、そう」 隠そうとしても、丸分かりだ。わたしはあまりにも簡潔にものごとが理解されていくので嬉しくなる。けれどユリウスは実に不愉快そうだった。工具を机に置いて、わたしをじとりと睨む。 「お前は、私がはいそうですかと付いていくと思っているのか?」 「まさか。そんなこと思ってないよ。…………でも、それが一番の希望だから」 春にだって連れて行こうとしたわたしだから、きっとユリウスは諦めている。 ブラッドに会わなければ、と何度も思っていた。いつだって優しくわたしを許してくれたブラッドへ、お礼をしにいかなければいけない。もう随分遅くなってしまったのだ―――なにせユリウスは特にブラッドと一緒だと言うと嫌な顔をするものだから――――アリスが取り成してくれているとは思うが、それでも自分で行かなければいけない。 本当はユリウスと行きたかった。彼はわたしをサーカスに連れて行ってくれたブラッドとひと悶着あったらしいし、だからブラッドの元に行かせたくない理由にもなっているのだろうが、あいにくそれには従ってあげられない。 「ユリウスが一緒じゃなくても、わたしは行くよ。サーカスに連れて行ってもらったお礼をしていないから」 「…………そんなもの」 「しなくていいわけないでしょ。…………心配しないでよ。まるでブラッドに会いに行ったらわたしが戻ってこないみたいに聞こえる」 冗談のつもりで言ったのだが、ユリウスはむっとしてわたしの手を取った。忘れていた強引さに、わたしはようやく彼と目をあわせる。 「そう言っているんだ。帽子屋に会いにいけば、少なからずお前は引き止められるだろう」 「………まぁ、それはあるだろうけれど」 「自覚はあるんじゃないか。…………それにな、ただでさえ私が独占しているんだ。あいつらは面白いわけがない」 独占しているんだ。 わたしは一瞬言葉の意味がわからず、数秒後に理解して赤くなる。これだけ一緒に生活して尚、恋人同士のあれこれが不足している証拠だ。わたし達はたくさんの段階をすっ飛ばして『家族』みたいになってしまっている。けれど、こうやってときどき自覚させられてしまう。 わたし達は、まだなにもかも始まったばかりなのだ。 「ユリウス、顔赤いよ」 「五月蝿い…………お前もだ」 「うん。でも、嬉しい。独占してるって思ってくれて」 「…………思わないでいられるか」 ぼそりと低く呟かれた、ユリウスの吐息は甘い。出不精の彼がそう思ってしまうくらい、わたしはずっと彼の傍にいる。片時も離れずに、今までのわたしだったら考えられないくらい一心に、まるで病的なほどの熱心さだ。 わたしは赤い顔のまま笑う。ユリウスが困ってしまうくらい、わたしは彼に独占されてしまっているのだろう。 「じゃあ、やっぱりユリウスも行こうよ」 「だから、それとこれとは」 「おんなじ。…………それに、わたしはユリウスのなんでしょう?」 悪戯っぽく言って掴まれた手をやんわりと繋ぎなおす。指を絡める形で握ると、ユリウスの顔がさらに赤くなった。不器用なユリウスの、素直な感情の変化。 もう少しだ。ユリウスはいつだってわたしの為に折れてくれる。嫌がっても秋に行ってくれるだろうし、撃ち合いになりそうならば帰ってくればいい。ブラッドにお礼を言うとき傍にいてくれたらいいと、わたしはずっと思っていた。 「――――――――…………なぁ、おふたりさん」 にっこり微笑んだわたしがユリウスを追い詰めている最中に、扉があく。そうしてやや呆れた声がかけられた。そちらを見なくともわかる。エースだ。 けれど視線を向けた先にはアリスもいて、尚かつ彼女も赤くなっているものだからわたしはまた笑ってしまった。ユリウスだけが慌てて手を離し、へらへらしているわたしの代わりに応対してくれる。 「な、なんだ。いきなり!」 「ははは! ユリウスってば、俺はノックしたぜ?」 「了承も得ずにいきなり入ったらノックの意味がないわ。エース」 「えー? アリスまでそんなこと言わないでくれよ」 頬を赤く染めてどこを見たらいいかわからない様子のアリス。わたしはなんだか、彼女が可愛らしくてたまらなくなる。本来ならばわたしだって恥ずかしがらなければいけないのに。 「どうしたの? アリス」 「あぁ、あのね。私、遊びに誘おうと思って来たんだけれど」 軽やかにユリウスの傍を離れ、わたしはアリスに近寄る。久しぶりだとすら思えてしまって、本当に自分がこの塔を出ていないことを思い知った。アリスはやっと思い出したというふうに慌てる。 「そう、そうなの。冬に来てみたら、なぜか町でブラッドに会って」 「ブラッド? 珍しいね、冬に用事なんて」 「違うわ、。ブラッドが用事があるのはあなたよ」 首を振って訂正するアリスは真剣だった。話が不穏な感じになってきてしまう。せっかくユリウスが秋に行ってくれそうだったのに、早くも暗礁に乗り上げてしまいそうだった。アリスの隣でにやにや笑うエースを見る限り、わたしの背後にいるユリウスは険しい顔をしているのだろう。 「…………ブラッドと、話をしたの?」 「えぇ、したわ。だって、まさかとは思うけれど抗争をしに行きそうな感じだったんだもの」 「……………………はい?」 「だからブラッドは、エリオットもディーもダムも連れてきているのよ。その他にも部下の人たちがいたし、なんだか物々しい格好だったわ」 「うんうん。あれは、お姫様とお茶をっていうよりは強奪って感じの装いだったよな」 エースはどこまでも朗らかに、楽しそうだ。わたしは窓の外を見るのが怖くなる。 「ははは! やっぱりユリウスにべったり過ぎるのも問題なんじゃないか?」 「エース。お前はどっちの味方だ」 「もちろんユリウスの味方に決まってるだろ。だって閉じ込められてたって、俺はに会えるし」 「エース。ユリウスを煽らないで。…………それでアリス、ブラッドはわたしに出て来いって言っているのね?」 ブラッドがそのままの勢いで塔に来なくてよかった。アリスがここに来たということは、ブラッドがことを起こす前に伝言を持ってきてくれたのだろう。アリスは少しだけ心配そうに頷く。 「えぇ。押し入るのは待ってくれるって」 「押し入るつもりだったってこと? ナイトメアやグレイには迷惑はかけられないし、今すぐ用意するから…………」 「あぁ、それなら心配いらないぜ! 夢魔さんたちならもう外にいるから」 「は…………?」 「お前、今なんて言ったんだ。エース」 「ユリウス耳が悪くなったのか? 夢魔さんたちならもう外にいるって言ったんだよ」 わたしは自分のコートに袖を突っ込んだまま固まってしまう。ユリウスも言葉がでないと言った顔だ。アリスだけが疲れた顔をして、肩を落としている。 「ごめんなさい。すぐにに伝えるつもりだったんだけど、ここに来る途中でナイトメアたちに会っちゃって」 「謝ることないだろ、アリス。ここはクローバーの塔なんだし、夢魔さんは領主だ。外で起こってることを治めなきゃ」 「…………完璧に面白がってるように見えるんだけれど」 「あはは! 、そんなことあるわけないだろ!」 「顔に書いてあるよ。…………はぁ、ユリウス」 「………………………………なんだ」 もうすでに面倒くさいという事態を通り越し、一歩も部屋を出たくないと言った表情のユリウスにわたしはそれでも提案しなければいけない。きちんとコートを着込んで、アリスと瞳だけで会話をして、手の平を彼に向ける。 「死ぬほどややこしくなってるだろうけど、一緒に行ってくれますか」 困ったように眉を八の字にするわたしに、ユリウスは大きなため息をつく。そうして向けた手のひらをしっかりと握ってくれた。 「当たり前だろう。…………お前をひとりで行かせられるか」 「うん。さすがにひとりで行ったら帰ってくる自信ないかも」 「…………そこは帰ってくると言ってくれ」 「ふたりとも、そんなお通夜みたいな顔しないでくれよ!」 「エース、あなた能天気すぎるわ」 「そうかなぁ。だって、要はを渡さなきゃいいんだろ?」 「………………言っておくけれど、無闇に剣を抜いたら承知しないからね」 「えー?」 とりあえずこの騎士をどうにかしなければ。完璧に面白がっているし、ちっとも言うことを聞くような気がしない。 わたしとアリスは頷きあい、ユリウスへと一緒に視線を移す。飼い主がどうにかしろとでも言いそうな二人に、ユリウスはもう一度深いため息をついた。彼は本当に物分りがいい。 ブラッドがどういうつもりで手下を率いてきたのかはわからない。けれど争うつもりがあるようには、どうしても思えなかった。わたしの知る限り、彼の動く理由は常に面白いかそうではないかということだけだ。 であれば、彼の望むように喜劇を演じればいい。 |
Fate just doesn't seem
to be on our side.
運命は私たちの味方ではないらしい
(11.07.10)