見慣れない町並みにも、もうすでに慣れかけていた。
立ち上がって窓の傍に寄り、バルコニーに出る。広がるのはヨーロッパの町並みだ。テレビでしか見たことのないレンガ屋根の家々が立ち並び、石垣には立派な蔦が這う。朝もやに濡れた空気そのものが違うし、胸いっぱいに吸うとまるで花の香りに似ているので不思議だ。
バルコニーに肘をつき、自分がここにいる奇妙さについて思う。ここにはテレビもケータイもなければ自動車だって走っていないのだ。どうしてこんな場所に自分が飛ばされたのかなどわからないが、夢であればいいのに肌寒い朝方の気温はその期待を奪っていく。
馬の嘶きが聞こえてふと下を見れば、一台の馬車が屋敷の前に止まったところだった。
覗き込んだ先で、馬車から降りてきた人と目が合う。
―――――――――ジョットだ。


!」


綺麗な蜂蜜色の髪をした青年はわたしを見て声をあげ、それから指先で中に入るように促した。わたしは声をあげられた意味がわからずに首を傾げて部屋の中に戻る。
窓の鍵をかけ終わって数秒もしない内に現れたジョットは不機嫌そうだ。


「おかえりさない、ジョット」
「あぁ、帰ったよ。………お前は、何をしているんだ」


瞳を細めて不機嫌と言うよりはある種の苛立ちを隠そうともせずにジョットは話す。ネクタイを緩めてつかつかと歩きながら、彼は部屋に備え付けられた暖炉に火をつけた。
働きどうしで疲れているはずの彼があんまりにも機敏な動作で進めていくので、わたしは自分が寝巻きのままなのが少し恥ずかしくなった。


「えぇと、さっき起きたばっかりで…………」
「それはわかる。俺が贈ったネグリジェのままだからな」
「…………その、ぼんやりしてるとここがどこだかわからなくなるの。もしかしたら戻れたんじゃないかって」


思って、部屋を出て確認してしまった。
わたしはいつだって元の世界に帰りたかった。綱吉君たちのいる現代へ戻ることが願いであることはジョットが一番知っていてくれる。


「…………」


暖炉の火が爆ぜ、ジョットは無言のまま立ち上がって上着を脱いだ。わたしの答えは彼をさらに不機嫌にしてしまったんだろうか。おろおろとし出したわたしを、ジョットは無言で近寄ってぐいと体を引き寄せた。
視界の端で投げられた上着がソファの上にバサリと落ちるのが見える。


「…………え、え? ジョ、」
「戻りたいのなら、もっと自分を大事にしろ」


ぎゅうと腕に力が込められ、わたしは自分の体が随分冷たいことを知った。あまりにもジョットの体が熱くて、回された腕も背中に当てられた指先も溶けてしまいそうだ。
彼の少し低くて優しい声が、いつもよりずっと近くで聞こえた。


「ここにはお前の時代にはない病原体が多いだろう。抗体だってないし、助けられない病気も多いんだ。…………俺にはを預かった責任がある」
「あ、その…………ごめんなさい」
「俺は、ここでの生活は保障してやれるが万能じゃないんだ。頼むから心配させないでくれ」


言ったあと、小さくて重いため息が耳元に落ちる。わたしは小さくなりながら謝るしかなかった。ジョットは本当に色々と考えてくれていて、わたしはまるでお姫様みたいに過ごしている。この世界で、わたしはまるでお荷物だった。
ゆっくりと抱きしめてくれていた腕が緩められる。ジョットの優しい瞳とかちあって、やっぱり綱吉君にひどく似ていると思った。優しくて、自分でたくさんのものを背負い込んでしまう人。けれど違うのは、彼の瞳には自分がマフィアである誇りがある。まだ綱吉君が持ち得ないもの。


「わかればいい。…………それに」


ぽんぽんと頭を撫でて、ジョットはソファに落とした上着を掴んで肩にかけた。それからわたしを振り返って、綱吉くんは絶対しない怪しい笑い方で囁く。


「こんな姿でバルコニーに立たれたら、うっかり襲いかねない」


この国はお前が思うより紳士的ではないんだ。
背筋がぞくりと震えて、わたしは耳まで真っ赤になる。ジョットはそんなわたしを見てひどく楽しそうに笑った。朝焼けに蜜色の髪をきらきらと反射させながら笑うジョットは、とても綺麗だ。
とにかく部屋からジョットを追い出そう。これ以上彼がここにいたら、わたしは可笑しくなってしまう。この世界よりも、この人に馴染んでしまうのが一番怖いことなのだから。















想うことすら赦されず





2012.01.01