優しいのだと誰かが言ったからそう信じた。疑いなど小指の甘皮ほどもなく、猜疑心など持ち合わせないわたしの心に彼はそう定着した。彼は優しい。なんて単純で愉快な言葉だ。口に出すのもおこがましい。実際、言ったところで何も変わるわけがないのだが。
例えば、それは世界は美しいというようなものだ。世界は美しい。緑に揺れる大地が、青い海原が、そよぐ風が、生き物の息吹が。その全てが美しい。儚くて脆くて、わたしの指一本で覆されてしまうこの美しさは絶対だ。そのすぐ裏にまったく違うものを内包しているというのに、これほどまでにまっすぐに美しい。裏と表を上手に使い分けながら、その瞳ですべてを惑わし絶望に追い込み、この世界はより一層美しくなる。 徐々に徐々に、だんだんと、そうそんな感じに。
「
っち〜?」
返事を返そうか。いや、そんなことしなくても彼にはわかっているはずだ。 けれど返さなければあとが怖い。わかってやっているこの行為は、隠れる場所をあらかじめ知られている鬼ごっこのようだ。サプライズなんてあるはずがない。そこにあるのはただ彼が、愉しむためだけの処刑場。
「どこですか〜」
いっそ、すべてを流してしまおうか。彼との関係とこの罪を全部全部清算するように川に海に流してしまいたい。その全てを流し終えたなら、わたしは綿毛よりも白く軽いに違いない。あの美しい二面性を持つ子どもに見つかる前に、なかったことにできるなら。 見つかれば何をされるのだろう。なんて、怯えずに済むのだ。
「出てこないと、見つけちゃいますよ〜」
もう見つけているくせに、自首を促すのはこの時間を少しでも愉しみたいからだ。 怯える小動物を痛めつけるように、背後に迫る肉食獣はことさらに自己を主張する。逃げ回ることを期待しながら、しかしその結果を予想しながら彼は笑う。 ぎゅっと目をつむったら、ふと前がかげった。
「みーつけた」
びくり。体がおかしなくらい跳ね上がる。 恐る恐る見上げれば、そこには表情のまったく読めないヒト。電灯が背後にあるせいだ。わたしが隅に隠れてなんているからだ。だから、これは決して彼からにじみ出る闇のせいではないのだ。 彼が笑う。もう謝っても許してもらえないかな。
「
っち〜。ボクのおやつ、食べたですね?」
天使と悪魔を内に潜める彼が、激情を抑えてそう言った。けれどその手に握られた、ケーキ皿がぴしりと音を立てて粉砕する。わたしはヒッと声をあげて、縮み上がった。
あぁ、あぁ、もう逃げられない!
「ごめんなさい!!!」
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