忘れないでほしいの。
そう彼女が言ったとき、自分の目の前にいるのは同い年の女の子ではないことがはっきりとわかった。いつだって自分は感覚で物事を判断するけれど、これはその最たるものだ。彼女はここにいること事態が不可思議な、もっと別の世界の女性だった。
本当は年も性格も顔すら違うかもしれない。それでも、彼女が女性であることは確かだ。
ただ、こんなふうに学校帰りに友達の家―――綱吉の家だ―――で、宿題をしているのは間違っていることなのだろう。綱吉と獄寺が飲み物を取りに行っていて、よかった。こんなふうに遠くを見つめるを彼らに見せてはいけない。


「どうしたの? 質問をしたのは山本くんなのに」


頬杖をついたまま、は笑う。綺麗な瞳の細め方だった。にはハルや京子にはない、たぶん色気に似た危うさがある。
ふたりきりになることなどほとんどない間柄であったからかもしれないが、自身と向き合うのは初めてだ。


「あぁ、悪い。変な質問だったよな」


は、怖いものとかあるのか。
先ほどの質問を自分の中で繰り返す。はいつだって自分を語らない。質問をしても当たり障りのない答え方しか返ってこない。まるで、そうやって自分自身をこの世界に作り出しているように。
は真っ白な紙のようだ。薄くて軽い、そのくせ存在感のある真っ白な。


「なぁ、
「ん? なぁに」


宿題をひろげ始めたは、こちらを見ない。それでもかまわなかった。俺はただ、に聞いてもらうだけでいい。
怖いものは何かと聞かれて、もうすでに決まりかけた未来を話すように笑う彼女だけは救いたかった。


「俺は忘れない」


たぶん綱吉も獄寺も雲雀やリボーンも忘れないだろうが彼らの分を自分が代弁してやるのはお門違いだ。
ただ俺は忘れない。が恐れる忘却の意味が違うのだとしても、救いになどならなくても、ここにいる今しかできない言葉の約束をしたかった。
は手を止めてこちらを見つめ、それから俺の瞳を見て泣き出しそうに笑った。あぁ、そんな顔をしてはいけない。制服が似合わなくなるほど、は艶めいて見えた。
けれど彼女が発したのは、予想も出来ない一言。


「ありがとう。でも、駄目だよ」


ゆっくりと頬を染めて、は微笑む。


「そんな強い瞳で、約束をくれちゃ駄目だよ。信じたくなっちゃう」


照れているのかが視線を落とし、俺は自分でも驚くくらい恥ずかしくなった。
自分の言葉などではなく、の言葉に気持ちのひだがなぶられる。高揚感が背中を這って、脳髄を満たしていく。ざわめきが思考を縦断し、何の話をしていたかわからなくなってしまった。ただただ、この部屋が先程よりずっと暑くなったことだけはわかる。
やがて綱吉たちが部屋に戻ってきて温度は徐々に下がるのだけれど、の頬はしばらく赤いままだった。赤く色づいたその微笑みは、たとえ生きる場所が違う人間だとしても綺麗だと俺は思う。













触れた混沌



2012.01.01